世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.872

民間経済外交の担い手は誰か:相談役・顧問の知られざる貢献

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2017.07.10

 米国流コーポレートガバナンス流入の影響かどうかわからぬが,昨今,大企業の相談役・顧問への風当たりが強くなっているらしい。社長・会長等の役員を退任した後も会社経営や人事に口を出すというケースが散見されるからのようだが,如何なる理由からにせよ,もし仮に相談役・顧問の制度が廃止されるようなことになると支障が生じることがある。それは貿易投資の分野を中心とする民間経済外交の世界だ。一般にはあまり知られていないが,実はこの世界ではグローバル企業出身の国際派の相談役・顧問が重要な役割を果たしている。本稿では,同じ通商分野でも大きな政策論ではなく,実務的な現実問題の一局面を取り上げて論じてみたい。

 WTOにせよ,EPA/FTAにせよ交渉自体は政府が行うが,交渉の原動力は実際の貿易投資活動を行う企業である。通商交渉の開始から妥結に至るまでの課程において,ことあるごとに外務省・経産省等の交渉責任者が「交渉推進に向けた経済界からの支援」や「企業からのインプット(球出し)」を求めるのは当然だ。では,誰がいつ,どこで,どのように「支援」や「インプット」を行っているのだろうか。その答えは,様々な局面のどこを強調するかによるし,観察者の立場や考え方によって異なるだろうが,筆者の現場経験から以下,3つのケースを紹介する。

 ひとつ目のケースはドーハ・ラウンド,舞台はWTO本部所在地のジュネーブである。2001年のラウンド立ち上げの前後頃からほぼ毎年,日本から企業関係者によって構成されるミッションが派遣されてきた(現在はラウンドが事実上凍結のため中止)。目的は交渉の現状把握と早期妥結の働きかけである。大半の団員は各社の海外事業部門の部課長クラスだが,現地ではWTO事務局長や各国代表部大使とも会談するため,団長には然るべきレベルの企業人に務めてもらう必要がある。だが,社務多忙な取締役が社業と関係ない用件で1週間も繁忙期に仕事を離れ海外出張をするのは,機会費用があまりにも大きく,困難だ。そこで国際経験豊かで語学にも堪能な顧問に日本の産業界を代表する団長をお願いすることになる。

 では他国の場合はどうかというと,欧米の多国籍企業などは自社のビジネス機会拡大に資する市場開放やルール作りを狙いとした単独のロビー活動が中心だ。ラウンド全体の動向などには関心がない。したがって,渉外担当の役員・幹部らがもっぱら自社の権益確保のために暗躍している。日本の経済ミッションの趣旨が特定の企業や業界のためではなく,多角的自由貿易体制の維持・強化にあるのとは似て非なるものなのだ。現地で会談したムーア,スパチャイ,ラミーといった歴代のWTO事務局長らが異口同音に「日本の産業界の総意として自由貿易推進への支持表明のためジュネーブを訪問して頂けるのは大変有り難く,心強い」と語ったのは決して社交辞令ではない。因みにEUからは,欧州各国の産業団体を代表するビジネス・ヨーロッパ(欧州産業連盟)がしばしばジュネーブを訪問しているが,彼らは企業人ではなく団体事務局の通商分野の専門スタッフである。

 二つ目のケースはAPECビジネス諮問委員会(ABAC)の活動である。ABACはAPEC21か国・地域の各政府首脳(日本の場合,総理大臣)により3名ずつ任命される経済人から構成され,年4回の定期会合を開催し,毎年,APEC首脳宛ての提言を具申している。APEC首脳お墨付きの格の高い委員会である。だが,実態はというと必ずしもすべての国・地域の経済人が熱心というわけではなく,殆ど会議に出席しない委員も少なくない。そのなかで,1995年の発足以来,ほぼ毎回,3人揃って会議に出席し積極的に活動に参画しているのは日本の委員だけなのだ。当然,ABAC内での日本のプレゼンスは大きくなる。委員の任期は数年なので,歴代の委員経験者はのべ人数で二桁になるが,その多くがやはり相談役・顧問である。首脳任命といっても政府からは一銭の助成金が出るわけでもなく,年4回もあらかじめ決められた日程で海外出張を強いられる。ひとつ目のケースと同様,現役の取締役には難しい。

 三つ目のケースは,ほぼ毎年のように派遣される訪欧米ミッションの団長である。総合経済団体が事務局を務め,外務・経産両省ならびに訪問各国・地域の在外公館が全面的にバックアップする形で派遣されるこのようなミッションは,経済界の首脳外交と言ってよい。米国訪問では連邦政府幹部や州知事に対してTPP交渉の推進を,欧州訪問では欧州委員会幹部や各国政府首脳・閣僚に対して日EU・EPA交渉の推進を働きかけてきた。団長は会長職から相談役に退いた財界人の場合が少なくない。

 一例を紹介しよう。総合経済団体で6年間にわたり欧州問題を担当した大手生保出身の某財界人は,毎年,ミッション団長として欧州各地を訪問する傍ら,訪日する欧州の要人と会談を重ねた。会見した件数は政府首脳・閣僚クラスだけでも優に三桁にのぼる。数年前,訪日中の欧州委員会の対外総局長(外務省の事務次官に相当)と会談した時のことだ。総局長から交渉の現状認識を聞き終えた同氏は事務務局が用意した発言メモから離れ,「貴方の話を聞いていると,端から日本政府に対する不信感しか感じられない。我々ビジネスの世界では契約交渉を始める際には,まずお互いの信頼関係が前提だ。貴方のような姿勢で本当にEPAに合意できるのか私は心配だ。もっと日本政府を信頼して頂きたい」と叱責するような強い口調で切り返した。これには強持の欧州委員会幹部もたじたじだった。まさに日本の民間経済外交の面目躍如たる一場面であった。こうした民間による不断の働きかけが功を奏したか,報道によれば,日EU・EPAは今月(7月)中にも大枠合意の見通しとのことで何よりである。

 最後に指摘しておきたいのは,相談役・顧問らによる以上のような活動は彼らの出身企業の利益とは何ら直接の関係はないということである。TPPや日EU・EPAが実現すれば,国内の構造改革が進み日本市場の魅力が増すとともに締結相手国・地域での事業機会が拡大する。その結果,消費者としての一般国民は確実に裨益する。全員が勝者だ。牛肉,チーズ,ワイン等が安くなるといった事例がわかりやすい。だが,生産者としての個々の企業についてはどうか。TPPやEPAの実現はビジネスの世界では競争激化を意味するから,新しい通商ツールをより戦略的に活用し国際競争力を高めた企業のみが勝者として裨益する。どの企業が勝者か敗者かは,予め決まっているわけではない。このような見方が正しければ,相談役・顧問による自由貿易推進のための民間経済外交は,彼ら自身のみならず,それを支える出身母体の企業にとっても,日本経済全体すなわち国益のための名誉あるボランティア活動と見做すことができるのではないだろうか。

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