世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3641
世界経済評論IMPACT No.3641

日本外交は劣化しているのか:外務官僚の苦悩と限界

金原主幸

(KKアソシエイツ 代表理事)

2024.12.02

 官僚OBによる出身省庁に関する暴露本的な著書が時折散見されるが,山上前駐オーストラリア大使の近著(『日本外交の劣化』文藝春秋)はそれらとは明らかに一線を画している。かつての同僚や上司だった外務省幹部の実名を次々と挙げ,外務省の現状について痛烈な批判を展開していることは衝撃的だが,事実に基づく正論が展開されており,同氏のキャリア外交官として矜持と抑えきれぬ苛立ちや憤慨が随所から読み取れる。ほぼ40年間にわたり民間組織(経団連)の国際畑のスタッフとして,在外公館(在欧州共同体日本政府代表部)への出向期間中を含め外務省と連携して現場の業務に携わってきた筆者にとって,同書の内容には共有できる点が満載である。しかしながら,他方では基本的な認識において若干の違和感を禁じ得なかったのもまた事実である。

 そこで本稿では,山上氏の同書に触発され筆者なりに日本外交ならびに外務省について,日頃より思うところの一端を披歴することとしたい。実に多岐にわたる山上氏の外務省批判をふたつに大別すれば,大きな外交戦略のあり方に係る事柄と外務官僚個々人の資質や職務態度(ロビング努力不足,対外発信力の貧弱さ,部下への指導力欠如,任国についての勉強不足,語学力不足等々)の範疇に属する事柄に分かれるが,本稿では同氏の見解と異なる部分のみにフォーカスして私見を述べる。

 山上氏は今の外務省には全く存在感がなく機能していないと断じ,その具体例として,安倍政権下での北方領土交渉,及び腰の対中外交,NOと言えない対米外交,慰安婦問題で毅然と対応できない対韓外交等を挙げている。各局面における指摘や分析には大いに首肯できるのだが,その多くは外交の劣化というよりも官僚外交の限界を示しているというのが筆者の見立てである。とりわけ,安倍総理の国家指導者としての決意と執念に基づく北方領土返還に向けた外交努力に対して,1956年の日ソ共同宣言以来の外務官僚による努力を無にしかねない「前のめり」だったと決めつけていることは,官僚の傲慢との誹りを免れない。

 およそ民主主義国家の外交においては,対外政策の基本的な戦略や方向性を決めるのは民意を受けた国家指導者であり,国家公務員の外交官ではない。むろん,外交のプロたる外務官僚が政治家(特に総理,外相)に対し専門的な知見に基づき十分な情報提供や助言を行い,場合によっては諫言することがあって当然であるが,最終的な決断はあくまで政治のトップであり,結果責任も政治トップが負うべきものである。また,対中,対韓外交の基本的なあり方についても外務省が独自に自己完結的に決められるわけではない。もし外務省の対応が弱腰だとすれば,それは世論,経済界,政界等を含む日本社会全体の総意あるいは雰囲気の制約があってのことである。

 そもそも論として「外務省の存在感の低下」とか「外交の劣化」といった山上氏の認識にはやや誤解がある。同氏の入省(1984年)のはるか以前の1970年代から80年代にかけて日本外交の最大の懸案のひとつが日米貿易摩擦だったが,政府内での主導権は当時も外務省にはなく,もっぱら通産省(現経産省)や大蔵省(現財務省)や農水省等だった。外務省は蚊帳の外だったケースも少なくない。また,当時の日本も米国に対して正面からNOなどとは言えず,その結果として日米半導体協定や自動車輸出自主規制などの自由貿易に反しGATT(現WTO)ルール上,疑義ありの全く理不尽な要求を飲まざるを得なかった。これは外務官僚の努力不足云々などという次元の問題ではない。外務省の存在感や機能が近年になって急に低下したわけでも劣化したわけでもないのである。

 長年にわたり,国際会議や通商交渉,経済ミッション等を通じて外務省と協業してきた経験から言えば,必ずしも近年における外務省員の質や練度が著しく低下しているとの印象はない。仮に士気が低下したり若手の職員の離職が増加したりしているのが事実ならば,それは国家公務員全般の傾向であり外務省固有の問題ではない。国家の外交を司る外務省員には,他省庁とは異なる特段の「ノブレス・オブリージュ」と「吏道」が求められるとの山上氏の主張は,正論かもしれないが期待値が高すぎて現実的ではない。たしかに一流官庁である外務省は衆目の一致する俊傑の外交官をこれまで何人も輩出してきたかもしれないが,すべての外務省員に同じ水準をめざせというのは酷というものである。なお,著者の同僚でもあった多くの外務省員の名誉のために付言するが,在外公館では総じて外務省プロパーは他省庁からの出向者(アタッシェ)に比べ語学力も優り,遥かによく働く戦力となっている。

 紙幅に限りがあるので,ここからは筆者が日本外交の根本的な課題と考える2点について指摘して結びとしたい。一点目は,省庁の縦割り外交の弊害である。縦割り行政の弊害については枚挙に暇がないが,外交の最前線では特に深刻である。規模が大きく他省庁からの出向組が多い在外公館では,まさに霞が関の縮図のような様相を呈している。赴任前に東京で外務省出向の辞令を受けているはずだが,彼らの多くは外務省の下で働いているとの認識が希薄で,重要(と認識した)情報は公電にはせず外務省をスルーして親元の省庁へ直接送っているケースが少なくない。本来,外交分野でこそ省益より国益が優先されるべきだが,現実は全く逆だ。在外公館では外務省以外の閣僚の外遊について直前まで大使(外務省出身)には敢えて知らせないことなど珍しくない。これに対抗してか外務省プロパー組は在外公館に届く本省あるいは他の在外公館からの公電の管内回覧先を限定することで対抗しようとする。要するに外務省組と他省庁組で意図的に情報の共有をしないのである。著者は3年間の在外公館勤務中にそうした実態を目の当たりにして唖然としたものである。任地国の政府や国際機関から見れば,日本政府がバラバラであることは一目瞭然となる。国益損失以外の何物でもない。

 2点目はより根本的な問題なのだが,国政を担う政治家の外交に対する関心が極めて低いことである。本当の国益のための外交について真剣に考え行動している国会議員はどれだけいるだろうか。時折,一部の族議員らが強い関心を示し本気になるのは農林・水産品貿易等に絡む国内利権に係る時ぐらいである。幸い今は静かだが,ドーハ・ラウンドやTPP交渉の際,永田町は「重要」農産品目の市場開放の阻止のみを声高に「国益」と称して騒いでいた。戦後80年近く平和を享受してきた日本では,「外交はカネにも票にもならない」ことが当然のように語られてきた。しかし,内向き志向で指導力の低下著しい米国,軍事的威圧を高める一方の中国,ロシア,北朝鮮の動きなど日本を取り巻く現下の国際情勢に鑑みれば,今や,あらゆる国政課題のなかで外交の優先順位は否が応でも高まらざるを得ないのではないか。外務省任せ,あるいは外務省叩きで済む平穏な時代は終焉しつつある。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3641.html)

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