世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
「変わらぬアメリカ」と「変わったアメリカ」:USスチール買収問題の教訓
(KKアソシエイツ 代表理事)
2025.02.10
退任間際のバイデン大統領が「国家安全保障への脅威」との理由から日本製鉄によるUSスチール買収阻止の命令を出したことに,日本の経済界は大きな衝撃を受けた。日米安保条約を基盤に同盟関係にある日本からの投資を脅威と見做すとは,グローバル経済を真っ向から否定するに等しい。大統領の命令が大統領選に絡んだ政治的判断だったことは明らかであり,日本製鉄が強く反発するのは当然である。バイデン政権の政策を全て覆す勢いのトランプ大統領もこの買収には反対らしい(もっとも,お得意の「ディール」の対象になれば覆す可能性ありか)。こうした状況を米国の保護主義の高まりと解釈する見方が一般的だ。
しかしながら,1980年代から90年代初めにかけて激しく燃盛った日米貿易摩擦の現場の一端を体験して以来,米国の通商政策を観察してきた筆者には,久々に相も変らぬ米国の本質が改めて露呈したとの印象の方が強い。と同時に,エマニュエル・トッド氏が近著(「西洋の敗北」文藝春秋)のなかで鋭く分析してみせた衰退し劣化しつつある米国という論考にも大いに頷けるのである。そこで本稿では,今般のUSスチール買収問題を奇貨として,改めて「変わらぬアメリカ」と「変わったアメリカ」の両面について筆者なりの見方を披歴してみたい。
変わらぬアメリカ
戦後のブレトンウッズ体制を構築し主導してきた米国には自由貿易のリーダーとのイメージが強いが,それは誤解である。歴史を振り返ってみても米国は決して筋金入りの自由貿易主義者というわけではない。なにしろ,あの悪名高いバイ・アメリカン法を一貫して堂々と堅持している国である。経済面に限らぬが,米国を理解するうえで最も重要なこの国の本質は,「アメリカ・ナンバーワン・メンタリティ」にあるというのが筆者の基本認識である。このメンタリティは米国のパワーエリート層のみならず一般国民(特に中高年の白人男姓)にも広く共有されている。トランプのMAGA(米国を再び偉大に)はこのメンタリティの裏返しと捉えることができる。
自国が全ての分野において常に世界一でないと我慢ならないのが米国なのだ。国力が圧倒的優位である場合に限り自由貿易を標榜し,それを対外経済政策の前面に出してくるが,一旦,国際競争力に陰りが生じると貿易赤字の大きい相手国に対して不公正(unfair)だと難癖をつけて傲慢な保護主義(1974年通商法301条が典型)に打って出る。これは共和党であろうと民主党であろうと本質は同じである。
時代錯誤のタリフマンを自称するトランプ大統領は,その手法やパフォーマンスこそ型破りではあるが,所詮「変わらぬアメリカ」を演じているだけである。日米首脳会談を数日後に控えた2月1日,同大統領はメキシコ,カナダ,中国に対する高関税を課す大統領令に署名した。だがその2日後には,早速「ディール」が功を奏したのを受け,メキシコ,カナダへの発動は1か月間,停止すると発表した。今後の展開は流動的で誰にも読めないが,いずれにせよ根底にあるのは,これら輸入相手国トップ3との巨額な貿易赤字に対する苛立ちである。貿易赤字は「ナンバーワン・メンタリティ」と相容れないのである。
日本も米国にとって5位(4位はEU)の輸入相手国であり,決して他人事ではない。首脳会談では,最大の対米投資国としての日本の貢献を強調するだけで,果たしてタリフマンの関税圧力を躱せるかどうか石破総理の外交手腕が問われる。
今般のUSスチール買収問題の動きのなかで,クリーブランド・クリフス社(米国第2位の鉄鋼会社)のCEO による感情丸出しで聞くに堪えない下品な反日演説は,かつてワシントンD.Cで展開されたリビジョニスト(対日差別論者)らによるジャパン・バッシングと軌を一にするものだった。劣勢に追い込まれて苛立ち,大国の寛容さを失った時の米国の対外的な言動は,今も昔も全く変わらないということの証左である。
日米貿易摩擦時代の最終局面にあった頃,経団連会長を務めた新日鉄会長が筆者らスタッフに内々に語った名言をここで紹介しておこう。会長曰く「米国の鉄鋼業界は日本の農業界と同じ。(その心は)国際競争力はないのに政治影響力はめっぽう強い」。
大物財界人によるもうひとつの名言は,日米貿易摩擦真っ盛りの頃,経団連の副会長と日米財界人会議の日本側議長を務めたソニーの盛田会長の言葉である。米国の経済閣僚や連邦議員らに対しても物おじせず堂々と真っ向から(しかも英語で)反論できる稀有な存在だった同氏が,我々事務方に繰り返し諭した教えは「いいですか,米国を本気で怒らせてはいけませんよ。なにしろ,あの禁酒法を成立させた国ですから」だった。この同氏の言葉の真意は,怒りや苛立ちが昂じた米国には日本が重んじる中庸の序など通用しないという戒めだと我々は理解した。
変わったアメリカ
米国の本質は以前から変わらないという見方が筆者の基本認識ではあるが,国力が低下しつつあるなかで,現象面において米国の変化が随所に観察できることもまた事実である。断片的な事例に留まるが,日本の立場からみた「変わったアメリカ」について2点のみ指摘しておきたい。
ひとつは,日本の国家安全保障に係わる問題である。日米貿易摩擦時代に米側の主張としてよく耳にした議論が「(貿易と軍事の)リンケージ論」と「安保ただ乗り論」だった。「米ソ冷戦下の日本は米国の核の傘によってソ連の軍事的脅威から守られており,片務的な日米安保同盟で日本側が一方的な利益を享受している。従って,貿易面では日本側が一方的に譲歩するのは当然である」という理屈である。
その結果,GATT(WTOの前身)違反の疑義がある対米自動車輸出自主規制や日米半導体協定(日本市場における米国製半導体の20%シェアの義務化)などの理不尽な要求を飲まされたわけである。ただし,その大前提には有事の際には圧倒的な軍事力の米国が必ず日本を守ってくれるとの相互信頼があった。しかしながら,現在の米国に対して,その意図と能力に全幅の信頼を持てると誰が断言できようか。声高に「アメリカ・ファースト」を叫ぶトランプ政権下では,なおのこと不安感が募る。日本を取り巻くアジア太平洋情勢に鑑みれば,米国からの政治圧力があろうとなかろうと防衛力の拡充は急がねばならない。
もうひとつは,米国のアジア太平洋戦略における優先順位の変化である。端的に言えば,中国に対する警戒感・敵愾心が圧倒的な最重要課題となり,その裏返しとして対日関心の極端な低下である。所謂“ジャパン・バッシング”から“ジャパン・パッシング”への転換が言われて久しいが,この変化は日本にとって必ずしもマイナス面ばかりではない。例えばハードルは高いかもしれないが,日本の官民の各方面に蓄積している中国に関する様々な情報と知見の集積を総動員し,日米合同の中国問題研究会議を立ち上げることを米側に提案してみてはどうか。
米国にとって今や最大の脅威となった中国の本質について同国の歴史,文化にまで深く踏み込んだ日本の視点や分析(米国の地域研究の弱点)が有用だと気づけば,緊密な日米関係の戦略的意義を再認識し,USスチールの買収が安全保障上の脅威などとは言えなくなるだろう。
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