世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3533
世界経済評論IMPACT No.3533

常識の目で国際関係を見る:市井之人の基礎的国際問題リテラシー

金原主幸

(一般社団法人 KKアソシエイツ 代表理事)

2024.08.26

 「国際関係論という学問分野は所詮,常識の体系化にすぎない。一般理論もモデルもなく,あるのは情報のみだ」。これは筆者が東大で国際関係論を専攻し学んでいた当時,最も尊敬していた同じ学部の先輩(後に国会議員)が言い放った言葉である。この分野のアカデミアには到底受け入れ難い暴言かもしれないが,一面の真理を突いていることは否定し難い。それは40余年間にわたり事務方として官民双方の海外部門(経団連,外務省等)の現場に携わった者の実感でもある。

 世界が注目する現在進行中の国際紛争はまさにVUCA(volatility, uncertainty, complexity, ambiguity)の最たるものであり,メディアが何を報道しようと専門家がどう解説しようと真相は後世の歴史家による研究分析に委ねるしかない。そうであるならば,たとえ何の専門知識や機密情報を持たずとも世間の常識を結集し自分なりの視点を持つことによって,今起きている国際問題の背景を推測し,将来見通しのシナリオを予想してみることは誰にでも可能なはずだ。そこで本稿では,目下,最大の国際危機であるロシア・ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス武力衝突問題を念頭に置きつつ,筆者が国際関係の常識と考える5つポイントを以下に提示してみたい。これは日々マスコミが流すお定まりの「べき論」や「安易な綺麗ごと」に対するアンチテーゼの試みでもある。

(1)国際社会の本質はアナキーである

 国連信仰が根強い日本では,大規模な国際紛争が起きるたびに「国連が機能していない」との声が上がるが,そもそも国連は加盟各国の国家主権を前提とした調停役にすぎない。国連は各国政府の上位にあるわけではない。とりわけ米中のような超大国では,国連はじめ諸々の国際機関などは自国の国益に合致する場合のみ尊重し活用するツールとの位置づけである。従って,常任理事国(G5)内で利害対立するようなケース(大規模な危機はほとんど全て)では国連機能がマヒするのは当然である。

 また,ロシアやイスラエルの武力行為について国際法違反との指摘も多いが,強制力と罰則のある国内法と同じ感覚で国際法を捉えることは誤りである。主権国家間の約束ごとである国際法を順守するか否かは,各国の判断次第である。たとえ違反があっても世界警察(永遠に不可能)がない以上,国際刑事裁判所による国家指導者の逮捕や強制執行などありえないのが現実である。

(2)国際社会には相対的な正義しかない

 日本人は勧善懲悪のドラマやストーリーが大好きだが,国際関係は単純な善悪二分論には馴染まない。ロシアにもイスラエルにも歴史,民族,宗教等に根差した自国の「内在的論理」がある。プーチンやネタニヤフを闇雲に悪玉だと非難してみても軍事衝突の終息への具体的な道筋は見えてこない。

 原爆投下日時に合わせた今年の平和祈念式典に長崎市がイスラエルを招待しなかったことで,英米など主要6か国とEUの大使が抗議し式典を欠席した。ハマスはG7よってテロ組織と認定されているので,イスラエルの武力攻勢は国家として自衛行為であるとの立場だからだ。だが,これを国内の一部の左翼系のメディアやアカデミアが欧米の「いびつな正義」,「二重基準」などと批判した。欠席した欧米諸国側からすれば,日本(長崎市)の方こそ不正義となる。日頃,価値観を共有しているはずの同盟国・友好国との間ですらこのような立場の違いが露呈した今回の事件こそ,国際社会には万人が共有する絶対的な正義などないことの何よりの証左である。因みに国際社会においては,民主主義国家であろうと独裁国家であろうと二重基準は現実問題として不可避であり,日常茶飯事である。

(3)外交はパワーエリートの掌中にある

 外交の政策決定過程は国内政策とは根本的に異なる。国内政策であれば広く民間部門のステークホルダーからインプットを受ける民主主義体制の国家ですら,重要な外交政策については殆どの場合,為政者と一握りのパワーエリート(外交当局)のみによる閉じた密室で決定される。日々の生活に追われる一般国民にとって国際関係は迂遠な問題であり直接的な関心事項でもないので,パワーエリートが声高に唱える民主主義の擁護,人権の尊重,国連憲章等の国際法遵守などの理念的説明づけには特に反対はないものの深く共有するわけでもない。

 しかし,時として迂遠のはずの外交政策の帰結が一般国民の実生活を脅かす事態が生じることがある。その典型が,深刻な問題となりつつある欧米におけるウクライナへの「援助疲れ」である。疲れているのは,ウクライナ軍事支援と対ロシア経済制裁の結果のエネルギー価格の高騰とインフレに苦しむ一般国民であり,決して為政者やパワーエリートではない。あれほど大規模な軍事支援と徹底的な対ロシア経済制裁を実施するにあたり,その是非や想定される帰結について国内で十分民主的に開かれた議論があったとは考えられない。政策決定過程では蚊帳の外だったにもかかわらず,結果として重い経済負担を負わされるのは国民である。

 ウクライナ支援の後始末については,日本にとっても決して他人ごとではない。世銀では停戦後のウクライナ復興の必要支援額を4,860億ドルと試算しているが,これは日本のGDPのおよそ12%に相当する。軍事支援ではほとんど貢献のなかった日本には,応分以上の分担が押し付けられることは覚悟しておくべきだろう。それについて岸田政権から今のところ何の説明もないが,国民には大型増税が待っている。

(4)最終的には内政(国内事情)が外交を規定する

 如何なる統治形態(民主制,専制,独裁等々)であろうと,国家指導者が最も神経を使うのは権力基盤を脅かしかねない国内状況である。プーチンにとって,目下の最大の恐怖はG7による対ウクライナ軍事支援でも経済制裁でもない。戦争が自らの誤算によって想定外に長期化する中で,国民の厭戦気分の加速化が命取りになりかねない。この国の歴史を顧みれば突然のクーデタや暗殺の可能性も排除できない。

 かたやゼレンスキーは,全領土奪還だけでなくロシア領土内への越境攻撃とあくまで強気だが,これも国内事情であろう。ここまで国民に犠牲を強いておきながら事実上の敗戦に近い停戦に応じようものならば,国民的英雄から一瞬にして国賊に転落することになる。もともと行政経験ゼロの素人がポピュリズムによって大統領に祭り上げられた。あまり報道されていないが,今回の戦争はゼレンスキーの現実的外交戦略の欠如した軽率な対ロシア政策が誘因だったと考えるウクライナ国民も少なくないはずである。

 また,ネタニヤフが国際非難の大合唱にもかかわらず非人道的なガザ攻撃の手を緩めない理由のひとつに,政権基盤の脆弱性ゆえに超タカ派(宗教右派)に迎合せざるを得ないという国内事情があるとの説が有力である。一方のハマスは国家ではないが,昨年10月にイスラエルに対し奇襲攻撃を仕掛けた背景には,やはり内部事情が絡んでいるようである。

(5)国家指導者の人間学的分析が不可欠

 国際関係論の学術的専門家は「科学」に拘りすぎて国際社会をシステムとして合理的な論理で説明しようとする傾向が強いが,それだけでは実際の国際事象を説明できない。「現実的な考え方をする人がまちがうのは相手も現実的に考えるだろうから,バカなまねはしないにちがいない,と思った時である」とはあのマキャベリの言葉である(塩野七生氏の著書からの引用)。「君主論」の著者の見立てであるから,これは権力者や為政者についての観察であろう。500年の年月を経た名言である。マキャベリこそ国際関係論に人間学的分析の視点を導入した先駆者ではないか。

 先日,TVの報道番組のなかで著名な軍事評論家が「なぜ人間は戦争するのか」との質問に対し,それは人間性のバグだとの意味不明な回答をした。人間学的な視点の欠如が露呈した回答だった。人間と機械は本質的に異なる。

 著者は安倍政権末期の官邸を訪問した際,総理の側近中の側近(国会議員)が雑談の中で「うちのオヤジ(安倍総理)は,首脳外交でこれまでに150人超の世界中のリーダーと会談したけど,そのなかで一番好きになったのは誰だと思う? プーチンとエルドアン(トルコ大統領)なんだよ。」と言ってニヤッと笑ったことを鮮明に覚えている。歴代最長の政権として強力なリーダーシップを発揮した為政者が,なぜこのふたりの超強権的な大統領に惹かれたのか,その分析には人間学的アプローチが最も有効ではないだろうか。

 経済学の分野では,人間は常に合理的に行動する(ホモエコノミクス)という人間の本質を軽視した前提に基づく理論・モデル構築への反省から行動経済学なる分野が最近では注目されているが,国際政治学の分野こそ人間性の本質である非合理的側面に焦点を当てた人間学的な研究分析がもっと重視されて然るべきである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3533.html)

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