世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
緊急人道支援学会発足の意義と課題:「多様性の科学」の実現に向けて
(一般社団法人 KKアソシエイツ 代表理事)
2024.03.04
学会の新機軸が誕生
日本には「〇〇学会」と呼ばれる学術研究団体が2,000以上存在するそうだが,今般,社会科学系の学会としては既存の如何なる学会とも性格を異にする新機軸ともいうべき新たな学会が立ち上がった。その名を緊急人道支援学会(英語名はJapan Society for Humanitarian Action Studies, 以下,学会)という。昨年9月に組織として正式に発足し,今年の2月には初の年次大会が外務省,経団連,ジャパンプラットフォームの後援の下に東大駒場キャンパスで開催された。発足間もない学会による会合であったにもかかわらず,200名近い参加者を得て朝から夕刻まで活発な議論が展開される盛況ぶりだった。
筆者は人道支援については全くの素人だが,経緯があって学会の立ち上げから年次大会の開催準備まで側面的な支援を行った。そこで本稿では,門外漢の視点から学会の意義と課題について若干の個人的見解を披歴してみたい。
緊急人道支援学会の意義
まず意義については以下の3点が注目に値する。第1は,学会の構成(会員)の多様性である。学会である以上,大学等の学界からの会員は当然としてNGO,医療従事者,国際機関スタッフ,そして大企業等およそ人道支援に係るほぼすべての民間セクターが参画している。英国の代表的ジャーナリストのマシュー・サイド氏は近著『多様性の科学』(原題はThe Power of Diverse Thinking, 出版社は株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中で,考え方が異なる人々の集団が如何に大きな力を生むか,またその真逆の画一的集団が如何に危険な落とし穴に陥るかについて,数多くの実に興味深い事例(例えば前者の事例ではネアンデルタールより知能が低かった我々の祖先のホモ・サピエンスの方が生存競争に勝利したこと,後者の事例では有能な集団のはずのCIAが様々なアルカイダの事前の動きを把握しながら軽視したために9.11テロを阻止できなかったこと)の分析を通じて極めて示唆に富む議論を展開している。サイト氏の主張のエッセンスは,多様な視点が集合知を高めるという点にある。あらゆる領域がタコ壺化し互いに交わろうとしないタテ社会の日本で,横串を通す突破口となることが学会には期待される。
第2に,日本が国内外で直面している喫緊の課題に,学会として真正面から取り組む姿勢を強く打ち出していることである。今回の年次大会においても,海外問題ではウクライナ危機への対応,トルコ地震の被災者や中東ガザ地区の難民への支援,そして国内問題では能登半島地震の被災者支援について,実際に現地でのオペレーションに従事したNGOスタッフや医療チームから,臨場感溢れる報告と問題提起が行われた。海外においてはまさにウクライナ支援が典型だが,憲法上の制約からG7のなかで唯一軍事支援を行えない日本にとって,人道支援は国際貢献の大きな柱であり外交的な意義も小さくない。国内においては,毎年のように頻発する大規模自然災害の被災者への迅速で効果的な支援のための官民連携の重要性ついては論を俟たないだろう。
第3は,上述の2点と深く連動するが,学会にはフィールド(現場)経験の豊富な実践型プロフェッショナルが多数参画しており,単なる学術研究に留まらず現実の問題解決志向が強いということである。人道支援の現場からのフィードバックを重視した実証的研究・分析に基づき関係省庁への政策提言を積極的に行い,さらには提言の実現に向けて広く世論へ働きかけていくことも視野に入れている。やや大袈裟だが,緊急人道支援の分野において国を動かすことを目指しているのである。実に野心的な学会の誕生と言えよう。
緊急人道支援学会の課題
発足したばかりの学会の真価が問われるのはまだ先の話だが,取り組むべき課題についてはすでに見えてきている。紙幅が限られているので,ここでは2点のみ指摘しておきたい。1点目は,サイト氏の説く「多様性の科学」を人道支援という分野において如何に具現化していくか,である。これは1点目に指摘した学会の意義とコインの裏表である。基本的に個人ベースで研究を行う学者,支援活動自体が目的のNGO,利潤追求が基本原則の企業,公務員的性格の強い国際機関スタッフ,そして専門性の高い医療従事者らが,人道支援という共通の目的の研究と実践のために互いの知的資産を共有し,集合知を高めることは決して容易ではない。
とりわけ一般的な企業にとって,単なる寄付行為や社会貢献を越えて人道支援に積極的に携わるのは簡単ではない。他方,大企業には物資,資金はじめ各種のテクノロジー,ノウハウ,情報,人材等の被災者支援と防災に必要不可欠な要素が揃っており,特に国内災害時において企業が担い得る役割は極めて大きい。事実,既に経営戦略的観点から学会との関与を深めている企業も出現している。学会発足とほぼ同時に法人会員第1号として参画したANA(全日空)や今回の年次大会で「災害とテクノロジー」と題するセッションを大学の教授と連携して企画したNTTデータ,LINEヤフー等のグローバル企業がその先鞭をつけている。
ふたつ目の課題は,真の官民連携の実現を見据えて行政とのポジティブなコミュニケーションを如何に構築していくか,である。人道支援に限らず所謂「公」の分野に携わる民間セクターにとって,行政は心強いパートナーにもなれば厄介な手かせ足かせにもなり得る存在である。現場重視の研究に基づく政策対話を通じて,行政との問題意識や政策優先順位の共有をめざすことが学会の重要な役割のひとつである。
一刻を争う人道支援の現場においては官も民もない。今回の年次大会では,かけ声だけの抽象的な官民連携ではなく,現場発のひとつのリアルな連携のサクセスストーリーが語られた。本稿の最後にそれを紹介したい。能登半島地震発生の元旦からいち早く始動し,現地での医療活動をリードしたピースウィンズジャパン(PWJ)所属で救急専門医の稲葉氏からの報告である。同氏によるとNGOであるPWJのヘリ,政府系のドクターヘリ,そして自衛隊のヘリの3本のオペレーションが共通の被災者リストの下に行われたというのである。現場経験豊富の稲葉医師でもこのような連携は初めてだったそうだ。しかも,何とそのオペレーション全体の調整役を担ったのは真っ先に現地入りしていたPWJだった。霞が関の会議室でいくら議論を重ねても,このような民主導の官民連携は実現しなかったであろう。
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