世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TSMC最先端半導体2nmに巡るスパイ事件
(九州産業大学 名誉教授)
2025.08.18
事件の発端
発端は『Nikkei ASIA』の記事「TSMC Fres Worker for Breaching Data Rules on Cutting-rdge Chip Tech」(TSMCの従業員が最先端チップ技術データ規則違反,検察側は台湾の国家安全法に基づいて調査を行う)だ。TSMC(台湾積体電路製造)の2nm(ナノメートル)関連の技術を内部の技師が不正に持ち出したことが注目された。
2nmはTSMCの次世代の最も重要なチップであり,今後数年にわたりTSMCに数兆台湾元規模の利益を創造でき,台湾にとっても極めて重要な技術である。
報道によると,9名の技師がこの事件に関係し,3名(内1名は他社に転職)は2nm生産ラインの技師で,既に逮捕された。残りの6名はR&D技師で他の部署に配置替えされた。また,逮捕された技師は,TSMCから貸与された社内パソコンを使い,自宅でのリモートワークで自分のパスワードでアクセスし,彼らの職級では進入できない機密ファイルに,3分内での入退出を繰り返し行った。彼らは自分のスマートフォンのカメラで機密ファイルのデータを撮影したとされる。TSMCのAIが「異常接触」と検知し,誰がこの機密ファイルを開いたかを確認した。
TSMCは直ちに関係部署に通告し,調査員が新竹サイエンスパーク周辺のスターバックスで2名の技師が約1000枚の機密データの写真を,既に離職していた技師に渡した現場を押えた。
8月5日,台湾高等検察署知的財産検察分署は「国家の先端産業の競争力維持のための中核的重要技術に関わる営業秘密の初の違法獲得事件」であることを公表した。それによると,陳某など3人は国家安全法抵触の疑いがあるため,高等検察署が直接第2審から審判を行う。その理由として,次世代2nm最重要技術は,米国の相互関税交渉においても台湾にとって最も重要な役割を果たす半導体に関わる技術であること。2nm技術を盗んだ相手企業はまだ確認されていないため,台湾側は非常に慎重に調査を行っている。
3名の拘留者
陳技師は台湾名門の国立清華大学材料学科卒。TSMCで数年間勤務した後,2022年12月に東京エレクトロン(TEL)に転職し,マーケティング専門員として働いていた。TSMC在任中は5nm,4nm,3nmなど先端半導体製造プロセスを担当していた。
呉技師は同じく国立清華大学化学学科卒で,TSMCで8年間の勤務。在職中はエッチング,良品率の向上を担当していた。注目されたのは最近マンション2軒を1億台湾元(約5億円)で購入していたことだ。
戈技師は国立清華大学材料学科卒後,台湾国立名門の交通大学大学院材料研究科に進学。卒業後はTSMCで6年間勤務し,3nm,2nmなどの先端半導体の封止を担当し,「製造プロセスの欠陥(defect)を99.9%低減させ,良品率を10%も向上させた」という。分析技師も担当し,その後はシニア首席技師に昇格した。
TSMCの年俸は250万台湾元以上(約1250万円)でボーナスを加えると450~500万台湾元と高額であることで知られる。事件後,TELは直ちに人員を台湾に派遣し,陳技師を懲戒退職処分にした。また,TSMCは技師の上司を5段階の職級に遡り最も厳しい処罰の対象にした。今回の2nm半導体技術の流出事件は「国家安全法」の対象のため,最も厳しい場合,犯人には12年の有期刑罰と1億台湾元の罰金が科される。また,TSMCの技術を不正に取得した企業がこの3人の背後にいた場合,数億から数兆円単位の賠償責任を負うことになる。
事件の背後は誰か
これらの不正で入手した機密ファイルのデータはどの位の価値があるのか。現時点では明らかでないが,一般的に言われることは,TSMCの良品率は他の半導体メーカーよりも2倍も高く,機密データのパラメータを入手した場合,少なくとも2年以上の開発期間の短縮と数百億台湾元から数千億台湾元の開発コストの節約ができるという。
半導体チップの製造プロセスは非常に複雑であり,成熟ノード(レガシーチップ)の場合は100~200の製造プロセス,先端ノード(先端チップ)の場合は1000~2000の製造プロセスが必要となる。すべての製造プロセスを複製する場合,数年間を必要とする。TSMCの各プロセスが細分化され,仮にTSMCの技術を盗用する場合,R&D部門から量産化部門に至るまで広範囲にわたるため,そもそも盗んだ技術を用いることは非常に困難である。
魏家哲(C.C. Wei)TSMC会長・総裁は「TSMCの技術を盗んでも,その技術は非常に緻密であり,1人,10人や100人の人間をヘッドハンティングしてもできるものではない」と述べた。
TSMCの2nmのライバルとして,サムスン電子,インテル,ラビタスと中国の中芯国際(SMIC)と華為(ファーウェイ)が考えられる。
TSMCの3nmチップは7nm,5nm,4nmチップに持続してFin-FED(Fin Field-Effect Transistor)構造を採用し,2nmチップになってからGAA(Gate-All-Around)構造を採用した。ちなみに,サムスンは3nmチップからGAAトランジスタ構造を採用している。それにも関わらず,サムスン電子の2nmの場合,良品率は3~4割と言われている。少なくても70%に達してからでないと顧客からの受注を受けることはできない。
インテルについては,破産に直面し,大量の従業員のリストラ,18A(TSMCの2nmに相当)の開発を放棄し,将来において最先端半導体チップをTSMCに製造を委託する(現に先端GPUをTSMCに製造を委託している)。そのために,TSMCから2nmチップのデータを盗む可能性は極めて低い。また,トランプ大統領は経営不振のインテルを救済するため,TSMCに49%のインテル株式の取得要請をしているが,TSMCがライバルに手を差し出す可能性が低い。
日本のラビタスの可能性はあるのか。7月18日にラビタスは2nmの試作に成功したと発表した。しかし,良品率は未発表。ラビタスの2nmの技術はIBMなどからの提供されたものであるが,IBMが持っている技術は試作技術であり,量産技術ではない。試作技術と量産技術は別のレベルである。したがって,ラビタスは現時点では量産技術を持っていない(2027年量産と発表)。なお,TSMCは今年までに寶山工場Feb20のP1と高雄工場Feb22のP1が2nmの量産,2026年4月~6月期に高雄工場Feb22のP1が2nmの量産を予定している。ラピダスの会長は元TELの社長・会長経験者で,今回の逮捕者の1名は元TSMCの従業員でその後にTELに移籍したものであるため,接点があるように見える。しかし,ラピダスの技術はIBMから供与され,TSMCの技術は自社開発のため,技術が異なり,仮にTSMCのデータを入手した場合,どの位役に立つかは不明である。また,2nmチップが完全に量産化した場合,ラピダスのウエハーは月産7000枚で,TSMCは月産10万枚とレベルがまるで違う。
中国の中芯国際(SMIC)と華為(ファーウェイ)の可能性はどうか。米国による制裁のため,中国側の最新製造技術は7nmチップであり,最大で5nmチップが製造できるレベルである。その理由はASML社のEUV(極端紫外線)露光装置および液浸DUV(深紫外線)露光装置の入手が制裁の対象になるためだ。そのため,現時点においてTSMCの技術を入手する緊迫性が低い。
現在,台湾の高等検察署の辣腕女性検察官で知られる劉怡君らが厳密な調査を行っている。彼女は2017~2018年に28nmチップの機密漏洩事件に際し,36時間の調査で,3週間の内に犯人を逮捕し,事件を解決させた。今回の事件では,誰が3人の背後にいるかは現時点では断定できないが,今後の高等検察署の調査の結果に注目したい。
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