世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4049
世界経済評論IMPACT No.4049

張忠謀(モリス・チャン)物語(下):世界最大のファウンドリー企業の創業者

朝元照雄

(九州産業大学 名誉教授)

2025.10.27

 本稿は本コラムサイト掲載のNo.4040「張忠謀(モリス・チャン)物語(上)」の続編である。

創業とファウンドリービジネス

 1980年代,台湾の工業技術研究院(ITRI)は,米国の半導体企業と製造技術を台湾に導入するための「RCA(Radio Corporation of America)技術移転プロジェクト」を立ち上げた。同プロジェクトに則り技術研修を実施,台湾に半導体ウエハーのパイロット工場を設立し,その運営をITRIの電子技術センター(後の電子技術研究所)が担当した。同プロジェクトで吸収した技術を用い,後にスピンオフしたのが聯華電子(UMC)である。

 不慣れな土地で,モリスは,後の夫人となるITRI台北事務室の張淑芬(ソフィー・チャン)と知り合った。当時,ソフィーは既婚者であったが,夫婦としての生活実態は希薄であった。米国留学経験のあるソフィーは闊達で,優雅な気質を持つ自立した女性で,モリスとも同じ職場で日々顔を合わせる関係であったことから双方気脈が通じるようになったた。他方,米国に残してきた妻クリスティーンとは,遠距離に離れていることから次第に疎遠となり,夫婦としての感情も冷めていった。

 モリスがITRIの院長に就任した数週間後,李国鼎(政務委員:無所属相に相当)が来訪し,台湾における国産半導体企業の設立をモリスに要請した。モリスは半導体の設計,製造,封止め・検査を1つの企業(IDM=垂直統合型)で行う当時のインテルなど大企業と比べると,後発になる台湾に勝機は少ないと判断し,受託専門の製造(ファウンドリー)であれば,膨大な資金が必要であるものの長期にわたり利益を得ることができると考えた。こうしてファウンドリー専門の企業となるTSMC設立が着想された。しかし,当時の台湾の技術力は高くなく,その設立には日米欧の半導体の関連企業の資金的・技術的支援が不可欠であった。モリスは十数社にレターを書いたが,唯一反応を示してくれたのがオランダのフィリップスで,同社の目的は台湾政府との関係構築であった。

 フィリップスはTSMCへ出資するほか,特許費用を持株として計上した。モリスも多くの特許を持つ企業がパートナーになることで,特許の保全と侵害に対する備えができると考えた。こうして1987年2月にTSMCは設立された。その時,モリスは55歳。TSMCの総資本は13億7750万台湾ドルで,出資比率は行政院開発基金が48.3%,フィリップスが27.5%,台湾民間企業が24.2%であった。

 TSMCは設立当初,ITRIから6インチウエハーの製造装置を借り,Fab1(第1工場)で製造を開始した。年間製造は僅か6615枚であり,これまでビジネス実績がないため,顧客を得ることも難しく,初年の売上高は1億2800万台湾ドル,赤字は1億2500台湾ドルであった。翌年にFab2を建設し,3年目に量産体制が確立し,ファウンドリービジネスは次第に安定するようになった。その主な理由として,米国のシリコンバレーからスタートアップのファブレス企業が多く誕生したことが挙げられる。これらのファブレス企業の設計能力は高く,TSMCがファウンドリービジネスを行っていると知り,製造を委託するようになった。その代表はNVIDIAである。同じくITRIからスピンオフしたUMCもファウンドリービジネスに切り替えたため,TSMCとは競合関係になった。TSMCは優れた良品率と技術によって,業績を伸ばし,経営は次第に軌道に乗るようになった。この頃,モリスはクリスティーンと正式に離婚し,ビジネスに専念するようになる。

 2000年,TSMCはテキサス・インスツルメンツ(TI)と,パソコン製造企業であるエイサーが出資する「徳碁半導体」を,TSMC株1に対し徳碁半導体株6の割合で吸収した。さらに同年,世大積体電路製造をTSMC株1に対し同社株2の割合で合併した。TSMCの製造能力の不足がこの2社を吸収合併した理由である。

 2000年になり,ソフィーが離婚したことから,翌年1月23日に70歳のモリスと57歳のソフィーは正式に結婚,カリフォルニアの教会で挙式した。式は地味で僅かの友人が招待されたのみであった。

 同年,TSMCは12インチ向け製造工場を世界に先駆けて開設し,半導体産業における地位を確立した。2000年以降TSMCとUMCとの生産能力のギャップはさらに拡大する。TSMCは自社技術重視の路線を選び,UMCはIBMからの技術導入を基本とした。2005年,モリスはCEOを辞し会長職に専任,後任CEOには蔡力行が就いた。2006年に陳水扁総統(当時)の要請を受けたモリスは,APEC非公式首脳会議で台湾の代表として出席した。

 2009年,折からのリーマンショックによる金融危機が世界に蔓延し,TSMCも大きな打撃を受けた。蔡力行はこれに対処するため,同年5月にリストラを敢行したが,解雇された従業員が抗議のデモを行い,メディアはこれを大きく取り上げた。事態を憂慮したモリスは,自ら解雇された従業員に「この度のことは誠に遺憾であり,リストラされた全従業員は,直ちにTSMCに戻ってください」と録画で呼びかけた。2カ月後の理事会でモリスはCEOに返り咲き,蔡力行は他の運営事業部門のトップへ異動となった。金融危機によりモリスの引退は延期され,この年78歳のモリスは,資本を59億ドル増資し生産能力を増加させ,危機を最高の転機として用いた。増資は28ナノウエハーの製造に集中させ,この結果,TSMCはファウンドリービジネスの世界市場の8割シェアを占めるに至った。モリス復帰後,TSMCの株価は2009年の65台湾ドルから2013年には116.5台湾ドルに大幅に増え,アップルのiPhone6搭載のA8の受注を独占した。その後,一時的にiPhoneに搭載された半導体はサムスンと共に供給したが,後にはTSMC1社で独占的に供給するようになった。

 中国の改革開放以降,インテル,サムスン,UMC,パワーチップなどが中国で工場を設け,コストダウンを図ったが,TSMCは自社の技術力アップによる競争力の向上に重点を置いた。2016年,TSMCは中国の南京に30億台湾ドルを投資し,12インチの工場を建設した。しかし,同工場はTSMCの生産能力の僅か2.5%を占めるに過ぎず,最先端半導体は台湾で製造する方針「根は台湾に残す」を徹底して実行した。

 2017年2月,86歳のモリスはハワイの別荘で転倒し,翌日のニューヨーク市場ではTSMC株が0.9%も下落し,1日で時価700億台湾ドル相当を失った。これをきっかけに,モリスは再度引退することを考えるようになった。

引退と劉徳音・魏哲家の就任

 2017年3月20日,TSMCの時価総額は1690億ドルに達し,世界王者のインテルの時価総額の1667億ドルを凌駕した。また,純利益も3431億台湾ドルに達し,史上最高を記録した(その後も記録を次々と更新)。2017年10月2日,モリスは記者会見を開き,引退する意思を表明,翌年6月の株主大会で引退し,会長には劉徳音(マーク・リュウ)が,総裁(CEO)には魏哲家(C.C.ウェイ)が就任する。その後2024年6月の取締役会で魏氏は会長に就任した。

 2018年1月,南部サイエンスパークでの5ナノウエハーの製造を主眼とするFab18工場の着工式にモリスが出席,また,2019年,87歳になったモリスはTSMCの運動会で,「TSMCは多くの国家が争奪戦を試みる地政学的な企業になる」と予言した。また,「誠実,信頼,正直を主とする経営理念を堅持することは,私たちの価値を護る最善の方法である」と述べた。

 2020年に新型コロナが世界に蔓延したことで,在宅勤務が盛んになり,パソコンやスマートフォンの需要が大幅に増えた。このため,自動車産業と家電企業では必要とされる半導体を発注しても入手できず,生産を停止するようになった。こうした中,TSMCはモリスの予想通り,世界各国から注目される企業になった。

 それ以降,米中貿易戦争がクローズアップされ,地政学的な緊張が高まり,保護主義が増長した。米国は「チップ法」で総額2800億ドルの補助金を半導体牽連に提供すると発表し,TSMCも2020年に400億ドルを投資し,アリゾナ州で4ナノ半導体工場を建設することを発表した。

 グローバリゼーションの原則とは,コストが低い国に投資し,最大の利益追求することである。従い,米国はTSMCにとって米国での製造はTSMCにとってベストの選択ではない。米国の人件費は他国と比べ約

 30%から4倍も高い。また,アリゾナ工場は熊本工場よりも早く着工したが,労働問題など様々な理由でその完成と量産化は大幅に遅れた。しかし,TSMCには米国に工場を建設しなければならないやむを得ない事情がある。先端半導体の大半の顧客,すなわち,アップル,NVIDIA,AMD,クアルコム,ブロードコムなどが米国企業であるためだ。

 新型コロナの影響で3年の間,TSMCの運動会も開催を見合わせてきたが,2023年に再開し,モリスも再び出席した。この時モリスは92歳。同年,政府の要請を受け,APEC非公式首脳会議に台湾代表として7回目の出席もした。モリスは「蔡英文総統(当時)が,私に皆さんへの伝達を求めたことは,アジア太平洋地域の平和と繁栄の実現であり,私たちは私たちのパートナーと協力し,更なる強靭性と柔軟性を持つサプライチェーンを構築させ,地域のデジタル・ギャップを減少させることだ」と述べた。

 半導体の需要は,パソコン,スマートフォン,生成AI(人工知能)と時期によって主役が変化した。現在,AIブームにより最先端半導体の9割以上はTSMCの1社が生産・供給しており,世界で不可欠の企業となった。モリスが半導体業界において今までもこれからも不可欠な人物だと思うのは筆者一人ではない。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4049.html)

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