世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2913
世界経済評論IMPACT No.2913

金融の安定とモラルハザード

川野祐司

(東洋大学経済学部 教授)

2023.04.10

繰り返される金融危機と対策

 銀行は資金を余剰主体から不足主体へと移す機能を持っており,経済の発展に欠かせない。しかし,銀行の過剰なリスクテイクは金融危機を引き起こす。1990年代初頭の金融危機や2008年のリーマンショックの経験から様々な対策が採られたものの,2023年に入って各国の銀行に対する不安が高まっている。過去の2つの危機には銀行の過剰なリスクテイクという共通項があるにもかかわらず対策は不十分で,近い将来,大きな問題が発生するのは避けられそうにない。

 1988年に作られたBIS規制は,銀行の経営健全化を目指したものであり,以降,2度にわたって強化されている。ルールは複雑化しているが,自己資本を厚くするルールに,流動性の確保や資産のリスク評価が加えられている。

 2010年代には,政府が銀行の損失を負担するベイルアウトから,株主や債権者(預金者も含む)が損失を負担するベイルインへの制度転換が進んだ。2013年のキプロスの銀行破綻では預金者にも一定の負担が生じ,ビットコインへの逃避が発生した。

 また,EUでは,破綻の恐れがある銀行に対する早期の是正措置も導入された。

 これらの政策の目的は,1:銀行の経営を強化して破綻しづらくすること,2:破綻処理を速やかに進めること,3:モラルハザードを防ぐこと,だといえる。

モラルハザードとは

 モラルハザードは「保険の仕組みがあることにより加入者の行動が悪化すること」をいう。大学での期末試験の成績が悪い学生に対してレポート提出の救済措置を導入すると,レポートが保険の役割を果たし,学生が試験勉強をおろそかにする。試験勉強に力を入れなくてもレポートを出せば単位がもらえるためで,モラルハザードの一例である。

 モラルハザードは銀行の経営者に発生する。リスクの高い経営をして成功すれば,経営者は莫大な報酬を得ることができる。経営に失敗しても政府が救済してくれるため,失うものがない。失職する可能性はあるものの,それまでの莫大な報酬の方が魅力が大きい。

 モラルハザードは預金者にも発生する。経営難の銀行は資金を集めるために預金金利を引き上げるが,預金が全額保護されるのであれば経営難の銀行に預金して利息を稼ぐのが合理的となる。預金保険制度が上限を設けているのは,預金者のモラルハザードを防ぐためでもある。

 2023年3月にはアメリカで銀行が破綻したが,無条件で預金を全額保護したことで銀行経営者のみならず預金者のモラルハザードも防げなくなってしまった。モラルハザードを防げない弥縫策は,後で膨大なコストを発生させるだろう。

モラルハザードは防げない

 モラルハザードを放置すればリスクテイク行動を抑制できず,危機は拡大する。一方で,金融機関や金融市場に厳しい態度を取れば,株式などの金融商品の価格が乱高下する。金融市場には高度な金融理論を学んだプロが多数参加しているものの,危機が起これば一般人と同じようにパニックを起こす。加えて,金融関係者は自分たちの保身のために,危機の恐怖を煽って中央銀行や政府からの支援を引き出そうとする。中央銀行や政府は脅しに屈服して,無制限の支援を約束する。このような流れを危機のたびに経験していることから,金融関係者は何をしても最後には助けてもらえることを知っている。

 そのため,モラルハザードを抑制するのはほとんど不可能になっている。金融の世界は技術の進歩が速く,規制が追い付く見込みもないことも彼らにとって追い風となっている。「新しい技術なので放置すると何が起きるか分かりませんよ」という脅し文句も使える。

「金融の安定」は金融商品の価格の安定ではない

 「金融の安定」とは,資金余剰主体から資金不足主体へと資金が流れる仕組みが安定して機能することであり,金融商品の価格を安定させることではない。金融の安定のためには問題のある金融機関は退出させるべきであり,その際に金融商品の価格にタービュランスが発生するのは自然なことだといえる。金融「システム」を守る必要はあるが,金融機関の経営者や大口預金者を守る必要はない。モラルハザードの放置は短期的には金融市場を安定させるように見えても,長期的には金融の安定を損ねる。

 金融市場が混乱したり危機に陥ったりすると,短い間に大量の情報が発生する。情報の渦に飲み込まれてしまうと,正しい判断ができなくなる。新しい言葉が登場して世界が複雑になっているように見えても,金融危機の本質は過去のものと変わらず,人類は同じ過ちを繰り返している。分析者や政策当局に最も必要なものは大局観なのかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2913.html)

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