世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ASEAN経済共同体(AEC)の発足をどう見るか:その成果,課題および役割
(立命館大学 名誉教授)
2015.12.28
2015年11月22日にマレーシアの首都クアラルンプールで開かれた第27回ASEANサミットにおいて,政治安全保障,経済および社会文化の3つの共同体からなるASEAN共同体の発足が宣言された(また,下記の3点の英文の報告書も公表された)。本稿では,上記の3つの共同体の中でASEAN経済共同体(ASEAN Economic Community,以下AECと略す)に限定して,その成果,課題および役割について考察する。
AECは,(1)単一の市場と生産基地,(2)競争力ある地域,(3)公平な発展,および(4)グローバル経済への統合,を実現するという4つの柱から成っており,そのための実施状況をモニターするためにスコアカードが作成されている。A Blueprint for Growth ASEAN Economic Community 2015: Progress and Key Achievementsによれば,2015年10月までの各柱の実施状況は(1)92.4%,(2)90.5%,(3)100%,(4)100%,で全体としての実施状況は92.7%となっている。実に高い実施率であるが,このスコアカードの実施状況を鵜呑みにするAECの専門家は大変少ないものと思われる。というのは,スコアカードはASEAN各国の自己申告を基にして集計されたものに過ぎず,その結果について分析も説明も行われたことがない。各国の申告の内容は秘匿されており,かつAECの目標を達成できなかった時も制裁を加えるメカニズムがない。つまり,過大報告や失敗の隠蔽等が行われている可能性があると考えられているからである。したがって,AECの成果については,上記の4つの柱について具体的に検討することが必要になる。紙幅の制約から,本稿では4つの柱の内最も重要なものと理解されている第1の柱に絞って以下検討してみたい。
AECの第1の柱「単一市場と生産基地」の実現は,1)物品,2)サービス,3)投資,4)資本および5)労働の自由な移動によって達成することが計画されている。これは,単一市場の形成という市場の拡大による規模の経済や生産要素の自由な移動による資源の最適配分並びに競争の促進による生産効率の向上といった経済統合の動態的な効果を重視するポール・グルーグマンらが提唱する「経済統合の新理論」をベースにしたものと考えられる。各項目について見てみよう。 1)物品貿易に関しては,AFTA(ASEAN自由貿易協定)とそれを継承したATIGA(ASEAN物品貿易協定)がありその支柱はCEPT(共通有効特恵関税)である。ASEAN Integration Report 2015によれは,ASEANの関税率はASEANの先発6カ国で99.2%,後発のCLMV4カ国で90.8%,ASEAN全体では96.0%,がこれまでに削減されてきており,ほぼ関税の無い地域になっている。しかし,そのことは物品が自由に移動する地域が出来たことを意味しない。何故なら,多くの非関税障壁がありその撤廃が遅れている,原産地比率(AECの場合40%以上)を証明する書類(ATIGA FormDと呼ばれるもの)の提出が求められるが煩雑でコストが掛かるため,WTO(World Trade Report 2011)等が指摘するようにCEPTの実際の利用率は約20%という非常に低い水準に止まっている,等々のことが指摘できるからである。 2)1995年にWTOのGATS(サービス貿易に関する一般協定)に準拠してAFAS(ASEANサービス枠組み協定)が締結されて20年も経過しているにも拘わらず,サービス貿易の自由化約束無しの件数が制限のない完全自由化の件数を大幅に上回っており,サービス貿易の自由化は遅々として進んでいないことは広く知られている。 3)投資の自由化も各国が設けている障害のためその自由化は遅れている。投資の自由化の水準を示す指標である域内投資比率は17.8%(2014年)という低位である。 4)投資と同じく資本の自由化も同様の理由で遅れており,域内証券投資資産比率は僅か9.8%(2013年)となっている。 5)労働の自由な移動に関しては,単純労働の移動はAECのアジェンダにさえなっておらず,僅か8種類の熟練労働がMRAs(相互承認協定)で認められているに過ぎない。
このようにAEC実現に向けたこれまでの成果は十分ではなく,克服すべき課題は多い。そこでASEANは,今後10年をかけてAECを実現するためのASEAN Economic Community Blueprint 2025を発表し引き続き取り組んで行く姿勢を明らかにした。その意味で,2015年はAECの実現にとって通過点であると理解することができる。
最後に,これまでの成果が不十分で課題が多いことを以ってAECの役割を評価するのは一面的であることを指摘したいと思う。ASEANはこれまで常に東アジアの地域統合のフロントランナーだった。アジア危機後の地域主義の台頭に潮流に乗って「ASEAN+3」や「ASEAN+6」(東アジアサミット)のスキームを立ち上げるのに主導的役割を果たし,グローバル経済危機後は米国主導のTPPに対してASEAN主導のRCEPを立ち上げた。ASEAN10カ国がAECの実現のために取り組んできていることが,ASEANの交渉力や指導性(所謂ASEAN Centrality)を保証する役割を果たしてきているという他の側面があることを看過してはならないだろう。
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