世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ASEAN共同体ヴィジョン2045の策定:提起された経緯と背景
(立命館大学 名誉教授)
2023.09.04
本稿の目的は,今年5月にASEAN共同体(AC)の新しいヴィジョン―「ASEAN共同体ヴィジョン2045(以下,ACV2045と略記)」―の策定が提起されるに至った経緯とその背景を明らかにすることにある。
2015年末に成立したASEAN共同体のその後の10年間(2016-2025年)のガイドラインとなったのは,「ASEAN共同体ヴィジョン2025(以下,ACV2025と略記)」であった。2020年10月にヴェトナム・ハノイで開かれた第37回ASEANサミットにおいて,2016年から2020年まで(前半の5年間)の成果と課題を明らかにすると共に,後半の5年間(2021-2025年)とその後を展望することを目的として,「ASEAN共同体のポスト2025年ヴィジョンに関するハノイ宣言」が出された。同「宣言」は,ASEAN共同体のポスト2025年ヴィジョンの策定を決定する上で嚆矢となった重要なものである。同「宣言」で,①ASEAN調整理事会(ACC)がその策定過程全体を監督すること,および②同ヴィジョンを計画し策定するために「ハイレベルな特別委員会(HLTF-ACV)の設置を検討すること,が決まった。
HLTF-ACVは,2022年3月31日と4月1日に,ASEAN事務局で第1回目の会合を開き活動をスタートさせ,第42回ASEANサミットを前にして2023年3月19日と20日に,インドネシアで第7回目の会合を持つなど,活発に作業を行ってきている。
第40回と第41回のASEANサミット(2022年11月,於カンボジア・プノンペン)の「議長声明」は,HLTF-ACVから出された2つの文書,すなわち①「ASEANの能力と制度の効率を強化するための勧告」を採択すること,および②「ASEAN共同体のポスト2025年ヴィジョンの核心となる構成要素(core elements)の提案」に留意すること,を明らかにしている。こうして,「勧告」と「提案」の2つが,ASEAN共同体のポスト2025年ヴィジョンを策定する上で基本的文書となることが合意された。
以上の経緯を踏まえて,第42回ASEANサミット(2023年5月,於インドネシア・ラブアンバジョ)の「ASEAN共同体ポスト2025年ヴィジョンの発展に関するASEAN指導者の声明」が,20年間という時間の枠組みでACV2045を策定することを公表したのである。
2020年10月の「ハノイ宣言」を起点として,2023年5月の「ASEAN指導者の声明」までの約2年半という短期間で,ACV2025を継承するものとして,ASEANがこれまで企画したことがない20年間という長期のACV2045を策定することを決定した背景に何があったのか。そこには,以下の2つの要因が働いているというのがわれわれの考えである。
1つは,HLTF-ACVの「勧告」が,「ASEANの能力と制度の効率を強化するための勧告」と謳っていることと関連する。シンガポールにある東南アジア研究所の世論調査レポート(ISEAS 2023)は,この点に関するデータを提供してくれている。同レポートのアンケートは,ASEANの人々が持つASEANについて懸念(concerns)3つを選び回答するよう求めている。その集計結果(3つの選択を行うため100%を越えている)によれば,上位5つの懸念の内―この期間にASEANも見舞われたコロナ禍を除く―4つの順位は,①「ASEANは機敏さを欠き非効率であって流動的な政治経済の展開に対応できていない」(82.6%),②「ASEANは強国の競争の場となりつつありASEANの加盟国が強国の代理人になるかも知れない」(73.0%),③「ASEANは益々分裂している」(60.7%),および④「ASEANはエリート主義であって一般の人々から切り離されたものである」(46.2%),となっており,いずれも高い数値を示していた。
ASEANが結成されたのは1967年8月8日なので,今年で56年もの歴史を持っているにも拘わらず,その組織は未だに非効率で情勢の展開に対応する能力を欠き(第1位),かつ益々分裂している(第3位),というアンケートの結果は深刻である。HLTF-ACVが,しっかりと腰を据え時間をかけて「能力と制度の効率を強化」しなければならないとの「勧告」を行っているのは十分に首肯できることであろう。
他の1つは,米中対立が激化しASEANの中心性(ASEAN Centrality)が試練に晒されてきていることである。ASEANは1967年に東南アジアの5カ国(インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポールおよびタイ)から構成される地域協力機構として成立したが(1984年にブルネイが加盟し6カ国),その後とりわけ冷戦終結後の1990年代から2000年代にかけて,内外に地域協力の輪を拡大していった。内では,1990年代後半にインドシナ半島のCLMVと呼ばれる4か国(カンボジア,ラオス,ミャンマーおよびヴェトナム)が加盟しASEANは10カ国の体制になった。外では,ARF(ASEAN地域フォーラム:1994年),APT(ASEAN Plus Three:1997年),EMS(東アジアサミット:2005年),といった地域協力のための組織を次々と結成していった。これらの組織はいずれもASEANが主導し(ASEAN-led),ASEANが中心に位置する(ASEAN-centered)―これをASEANの中心性(ASEAN Centrality)という―組織である。なかでも現在最も注目を集めているのは,ASEANの中心性の下に,アジア太平洋およびインド洋地域の主要国(日本,中国,米国,豪州,インド,等)が参加する地域協力機構であるEASである。
しかし,2010年代に入るとASEANの中心性は新たな対応を迫られることになる。米中の対立がその主原因である。米国のオバマ政権は「オバマドクトリン」(2011年11月)を出すが,それは「リバランス政策」(中東からの撤退しアジア太平洋地域に安全保障の重心を移すこと。その目的は同盟国と連携して対中包囲網を構築することにある)とTPP(成長するアジア太平洋地域における米国主導の経済圏を構築すること)の両輪から成り立っていた。この米国の新政策に対して,2012年末に成立した中国の習近平政権は,2013年に「一帯一路構想」(以下,BRIと略記)を新たに打ち出し米国を中心とする国際秩序に対抗する構えをみせた。中国の影響力の拡大を懸念したトランプ政権は,2017年に「自由で開かれたインド太平洋構想」(以下,FOIPと略記)を出し牽制することになった。ASEANは自らのインド太平洋構想(AOIP)を出し対応することとなった(ASEAN 2019)。
2020年代に入り米国にバイデン政権が登場すると,米中の対立は一層激化し,その主たる舞台はASEANが中央に位置するインド太平洋地域になってきた。インド太平洋地域を舞台にした米国と中国の対立の激化と両国の新政策(FOIPとBRI)が,これまでASEANが採ってきたASEANが主導しASEANが中心に位置する地域主義,すなわちASEANの中心性を機能させる上で大きな試練となってきたのである。このことは,HLTF-ACVメンバーの一人であるエリザベス・ブエンスセコ(Elizabeth Buensuceco 2022)が,HLTF-ACVが現在の状況下で最優先のものと考えているのはASEANの中心性を強化することである,と述べていることからも明らかであろう。米中の対立は短期で片が付くような性質の問題ではない。その意味で,第7回目のHLTF-ACVでACV2045の策定が内定していたことを摑んでいたBangkok Post紙のカビ・チョンキッタヴォーン(Kavi Chongkittavorn 2023)が,地域協力機構としてASEANがこれまで培ってきた重要な価値(relevance)をより高め,かつ内外からの圧力に耐える強靭性(resilience)をより増す,ためにはACV2045のような新たな長期の時間枠組みを必要とする,といち早く指摘していたのは的確で優れたコメントであると言えよう。
インドネシアのジャカルタで第43回ASEANサミットが2023年9月5−7日に開かれる予定となっており,目前に迫ってきている。現地の有力紙が,同サミットの主要議題の一つとしてACV2045が取り上げられることを報じており(Antara, “What is the main agenda of the 43rd ASEAN Summit in Jakarta ?”, 24 August, 2023),ASEANの今後を占う最新のトピックの一つとして,注目が集まるものと思われる。
[参考文献]
- 1.ASEAN (2019), ASEAN Outlook on the Indo-Pacific, 23 June, 2019, ASEAN Secretariat, Jakarta, Indonesia.
- 2.Buensuceso, Elizabeth (2022), Visioning ASEAN Post-2025 Through Storm-Clouds of Change, ASEAN Focus, No.39, September 2022, ISEAS, Singapore.
- 3.ISEAS (2023), The State of Southeast Asia: Survey Report 2023, ISEAS, Singapore.
- 4.Kavi Chongkittavorn (2023), “What will Asean become like 2045 ?”, Bangkok Post, 4 April, 2023.
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