世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日米貿易交渉のもう一つの断面:脅しとディールの罠
(杏林大学 名誉教授)
2019.04.29
気になる日米貿易交渉の行方
日米貿易交渉が4月15〜16日にワシントンで開始された。昨年9月の日米首脳会談で交渉入りが決まって以来,初めての会合である。交渉担当である茂木経済財政・再生相とライトハイザー米通商代表部(USTR)代表の間で,交渉の範囲をどう設定するか話し合われた。日本は物品に絞ったTAG(物品貿易協定)交渉に限定したいが,米国はサービスその他重要な分野も含めた包括的なFTAを目指しており,日本の思惑通りに進むかは見通せない。
日本から見た日米貿易交渉の焦点は3つに絞られる。第1に,農産物の市場開放をTPPの範囲内に抑えられるか,第2に,自動車の対米輸出規制を回避できるか,第3に,日本は米国が要求するサービス分野の交渉をどこまで容認するか。
来年11月の米大統領選を控えるトランプ大統領にとっては,是が非でも成果を得たい交渉である。そのため決裂は避けたく,日本に対する一定の配慮が見られた。農産物の関税についてTPPの水準を限度としたことに米国の配慮を感じる。これは米国が非常に焦っていることの証拠だ。CPTPP(TPP11)や日EU・EPAの発効により,牛肉をはじめ米国の農産物は関税で不利な状況に置かれ,米国の農業団体から早期決着を強く求められているからである。
今回,自動車輸出については,米国から数量制限などの要求はなかった。しかし,貿易不均衡是正の観点から,自動車は米国が最も重視している項目であるから,このまま何の要求もなしで済むはずはない。
米国からの提案でデジタル貿易が交渉範囲に追加された。日本にとってはまさに「渡りに舟」である。対中包囲網を睨みながら,日米主導でデジタル貿易のルールづくりを進めていきたいというのが米国の狙いだろう。デジタル貿易については日米の考え方に殆ど違いはなく,米国の顔を立て物品の関税以外の分野にも交渉範囲を拡大できるので,日本にとっては一石二鳥といえる。
成功体験による米国の対日要求
日本はトランプ氏が仕掛けた「脅しとディールの罠」に嵌ってしまうのか。日本が警戒すべき点は,NAFTA見直しにより新たに締結されたUSMCA(米墨加貿易協定)を成功体験として,米国がカナダとメキシコに呑ませたのと同じ項目を日本にも要求してくることだ。例えば,為替条項,輸出規制,原産地規則,非市場国条項などがあげられる。
通貨安誘導を禁ずる為替条項を交渉対象に含めるかは,次回に結論を持ち越した。調整は難航する可能性もある。今回の交渉に先立って,ムニューシン米財務長官が「為替条項も協定に含める」と述べている。茂木氏は,「17年2月の日米首脳会議で,財務相間で検討することが合意済みだ」として,TAG交渉での議論に否定的な考えを示した。
米国は円安による対米輸出増を警戒しており,為替介入だけでなく,日銀の異次元金融緩和までも円安誘導策とみている。為替条項を容認すれば円高が進行する恐れがあるため,今年10月の消費増税を控え景気の失速を恐れる安倍政権としては,交渉対象から為替を外したい考えだ。
日本の対米貿易黒字の約8割を自動車が占めていることから,米国が,貿易不均衡の是正を理由に自動車の対米輸出規制を日本に求めてくるのは明らかだ。USMCAでは,米国が自動車に25%の追加関税を課しても,カナダとメキシコの対米輸出台数がそれぞれ260万台を超えなければ適用除外とした。事実上,対米輸出の数量規制にほかならず,米国は日本に対しても同様の要求をしてくる可能性が高い。
また,自動車の原産地規則も,USMCAでは現地調達比率はこれまでの62.5%から75%に引き上げられ,自動車の40%は時給16ドル以上の工場で生産しなければならなくなり,保護主義色の濃い内容に変更された。TPPの自動車に関する原産地規則については米議会でも不満が多く,米国のTPP離脱の一因となった。このため,日本に対してTPP合意の45〜55%よりも厳しい現地調達比率を要求してくることが予想される。
トランプ政権の最大の狙いは,原産地規則の強化と対米輸出規制をテコにして,日本の自動車メーカーによる米国内での生産及び雇用の増大を約束させることだ。日本も落としどころを米国での現地生産拡大とみているが,具体的な数値目標の設定には応じない方針である。
さらに,米国は,中国のような非市場国とFTAを締結するのを制限する「非市場国条項」を盛り込もうとしている。トランプ政権は米中新冷戦を意識し,この条項を同盟国などに拡げ,中国と対峙する有志連合のようなものをつくる狙いがあるようだ。しかし,非市場国条項が導入されると,これを盾に取って米国が日本のRCEP参加に言いがかりをつけてくる可能性もある。
ペンス演説に隠された日本の切り札
トランプ氏は,日米の貿易協議入りと引き換えに,交渉中は自動車の追加関税を棚上げにしたが,交渉が思い通りにならなければ腹を立てて,関税の引き上げを言い出すかもしれない。今年2月17日,「国防条項」と呼ばれる米通商拡大法232条にもとづき自動車関税を発動すべきか否か,米商務省が大統領に報告書を提出した。報告内容は非公開となっているが,報告を受けてから90日以内に大統領は対応措置を公表しなければならない。5月18日までにトランプ氏はどのような判断を下すのか。
米EUの貿易協議に先立って,EUは理不尽な追加関税に対しては報復関税の発動を表明し,米国の脅しとディールに屈しない強い姿勢を示すなど老獪さを発揮している。他方,「シンゾーとドナルド」の親密な関係に水を差すような報復措置は取らないだろうと,米国は日本を甘く見ている。交渉カードを1枚封印した形で,米国の厳しい要求をかわすことができるのか。
日本は米国の要求に対して,「WTOルールとの整合性を確保する」,「TPP合意の範囲を超える譲歩はしない」という2つの方針を貫く姿勢だ。だが,理不尽な要求には断固応じないとお題目を唱えるだけではだめだ。米国の圧力をかわすには「切り札」が必要である。
米中新冷戦を匂わすペンス演説は,中国の国家資本主義への宣戦布告である。窮地に追い込まれた中国が,日本にすり寄ってきた。対中包囲網を切り崩す魂胆である。日米間に軋轢が生じれば中国を利するだけだ。持久戦に持ち込もうとする中国に対して,二国間主義による対中戦略の限界が露呈している。
トランプ政権は国家資本主義を捨てるような構造改革を要求しているが,中国は応じるつもりは全くない。脅しとディールの手荒な交渉術に固執し,米中貿易戦争をエスカレートさせれば,米国も深手を負う結果になるだろう。
中国の不公正貿易慣行に対処するために,米国は独善的な二国間主義に固執せず,日本やEUと連携して対中包囲網をつくるべきである。中国の習近平国家主席がマルチの対中戦略を最も恐れていることは,躍起になって米欧,日米の分断を画策していることをみれば明らかだ。232条を乱用して,敵・味方の見境もなく銃を乱射すれば中国の思う壺,トランプ氏はきっとその代償を思い知るだろう。
度を越した米国第一主義の挙句の果ては米国の孤立しかない。日本が「下駄の雪」でないなら,米国に対して堂々と「中国カード」を切るべきだ。日本がトランプ氏の仕掛けた「脅しとディールの罠」から逃れられるか,カギはペンス演説に隠されている。
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馬田啓一
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