世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.887

トランプ大統領の法案制定力

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授)

2017.07.31

 米国でもどこでも,一国の法律を制定するのは立法府であって,行政府ではない。しかし,行政府の長が法律の制定に全く関与しないということはありえない。行政府の長が制定したい,あるいは制定しなければならないと考える法律については,行政府の長が立法府を説得し,立法府と協調してその成立に全力を尽くす。三権分立の米国でも,同様である。このことは,トランプ大統領といえども十分に理解しているはずである。

 そうであるから,政権発足半年目の節目を3日後に迎える7月17日,トランプ大統領はホワイトハウスのイベントで「私は42本の法案に署名した。これほどの多くの法案に署名した大統領はいない」と誇らしげに語ったのである。ちなみに,その数日前は「フランクリン・ルーズベルト大統領には負けるが」と但し書きが付いていたが,何回もツイートし,発言を繰り返すうちに,自分が一番と言うようになったらしい〔7月18日付ニューヨーク・タイムズ電子版(NYT)〕。

 トランプ大統領がこの半年間で42本の法案に署名したという事実に間違いはない。それは米国国会図書館のウェブサイトcongress.govで確認できる。しかし,自分が一番というのは真っ赤なウソである。同サイトで検索すれば,政権発足後半年間の法案署名件数は,オバマ39本,ブッシュ19本だが,クリントンは50本,父ブッシュは56本,レーガンは23本,カーターは68本とわかる。ルーズベルトは就任100日間に76本の法案に署名した。しかし,大統領は明言していないが,42本の中にトランプ大統領が成立させると公約した法案は一本も見当たらない。上記NYTによると,42本の内訳は,オバマ前政権下で制定された規制を撤回する法案が15本,連邦建造物等の名称を定める儀式的な法案が14本,行政上の微調整に係わるもの5本,宇宙・科学関係法案4件,復員軍人関係が4本である。

 署名した法案数では劣るが,オバマ前大統領は就任半年間に共和党の反対を押し切り,リーマンショックから脱出するため,史上最大規模である総額8,000億ドルの景気対策(2009年米国再生再投資法)のほか,公的児童医療保険制度の拡充など重要法案を成立させた。しかし,未だにトランプ大統領は選挙戦終盤の昨年10月,就任100日間に成立させると公約した10件の法案のどれ一つも成立させていないのである。最重要法案がオバマケアの撤廃・代替法案であり,2番目に重要な法案が減税・税制簡素化法案だが,ほかに10年間に1兆ドルのインフラ投資を財政赤字を増やさずに実施する米国エネルギー・インフラ法案,さらに首都ワシントンにおける腐敗を一掃する新倫理改革法案などは,議会審議すら始まっていない。

 こうした重要法案を成立させずに,法案の数だけを挙げて成果を誇示するのは,トランプ特有の誤魔化しであり,大統領の行動としては許しがたいものである。筆者は4月3日の本欄で,トランプ政権にとって一丁目一番地の最重要法案であるオバマケア撤廃・代替法案が3月下旬に下院で頓挫するまでの過程を報告した(「トランプ政権の怪しい先行き」)。本稿では,未だに同法案が成立しない現状をフォローしつつ,トランプ大統領の法案制定に対する指導力,力量および意欲のほどを検証してみたい。

 3月末に頓挫したオバマケア撤廃・代替法案は,その後下院で修正され,5月4日,217対213の僅差で可決された(反対213の内訳は民主党全193人と共和党20人)。下院可決法案は上院に回付されたが,上院のマコーネル院内総務は下院法案を上院の審議にかけず,独自に作成した法案を7月4日の独立記念日前に上院で成立させる方針を取った。

 しかし,このいわゆるマコーネル法案は一部の共和党議員のほか,多くの州知事の反対によって,上院審議は独立記念日休会後に延期されたものの,共和党議員4人の反対は崩れず,さらに脳腫瘍手術で穏健派のマケイン議員の議会欠席が明らかになると,上院共和党幹部は審議を諦めてしまった。法案は予算調整方式(reconciliation)により単純過半数で成立する手続きが取られているためである(現在の上院勢力は共和党52,民主党46,民主党系無党派2)。その後,法案を分断し,オバマケア廃止法案を可決してから代替案を制定するプランCも,3人の共和党議員の反対で実現しなかった。このため,上院は夏季休会入りを遅らせて審議を続けることになった。

 一部上院議員や州の反対は,税額控除や補助金の削減で低中所得者の医療保険離れが加速し(7月20日の議会予算局の発表では2026年に無保険者数は現行法の3,000万人から5,000万人に増加),州の財政負担が急増することなどによるが,医療保険給付の財源となる富裕層に対する新規課税の撤廃にも異論がある。しかし,こうしたことは当初からわかっていたことであった。

 オバマケアが制定された2010年3月以来,共和党は一貫してオバマケアの撤廃を主張し続けてきた。しかし,この7年間,撤廃後の医療保険制度をどうするか,共和党は真剣に検討してこなかった。そのツケがいま回ってきたというのが現状である。下院ライアン法案も上院マコーネル法案も,一部の関係者が内輪だけで議論し,広く民意を聞く努力をせずに法案化された。例えば,政権発足から半年間にオバマ政権下の議会は医療保険改革で36回の公聴会(トランプ政権下では5回)を開き,証言者は合計200人に達した(同18人)。また,オバマ政権下では上院は超党派会合を5回開催したという(同0回)。

 こうした議会の対応の背景には,当然ながら大統領および政権全体の医療制度改革に対する熱意の差がある。今回のマコーネル法案作成の過程では,プライス厚生長官にも十分報告されていなかったというから驚きである。トランプ大統領も早く早くと議会共和党にせっつくだけで,どこをどうすればトランプ支持者に応えられる改革になるか,把握していなかった。一方,現地紙を読んでも,大統領が議会幹部と法案の中身について協議するとか,厚生長官や議会指導部に指示を出したとかいう記事を目にしたことがない。こうした状況をみると,そもそもトランプ大統領がオバマケアの中身を本当に理解していたのかどうかも,疑問になる。

 以上のようにオバマケア改革の経過をみてみると,トランプ大統領の法案制定力はほぼゼロだと考えざるを得ない。下院で同法案が頓挫した4ヵ月前の3月24日,大統領は「我々は(今回のことから)多くのことを学んだ」と述懐したが,結局,この発言はその場の取り繕いであり,フェイクであった。次なる課題は減税・税制簡素化法案の成立だが,副長官もいないムニューシン財務長官だけでは限界がある。重要法案成立の見通しは暗くなるばかりだ。

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滝井光夫

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