世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.866
世界経済評論IMPACT No.866

東洋のミケランジェロとシンタ・マニホテル,カンボジア

平岩恵里子

(南山大学国際教養学部 准教授)

2017.06.26

 先月,縁ある方々にお世話になり,カンボジアを訪問する機会に恵まれた。北部の街,シェムリアップ。数キロ先にはアンコール・ワット。宿泊はシンタ・マニホテル(Shinta Mani Shem Reap)。空港に迎えに来てくれた若者は,静かに車の中で話しかけてくれて,もてなそうとしてくれていることがすぐに伝わる。フライトはどうでしたか,疲れませんでしたか。湿度の高い外気で白く曇った窓越しに初めて訪れる街の様子を覗きながら,食いしん坊の私たちは,カンボジアのローカルフードのことなど尋ねる。一生懸命に答えてくれる。ホテルはリゾート感溢れ,チェックインの手続きから案内まで,素敵なホスピタリティが発揮されている。ホテル内のレストランのもてなしも,食事も飲み物も豊富で多彩でとても楽しい。外出から戻れば冷たいおしぼりを用意して待っていてくれるし,彼らはいつどこで何をしていても,手をとめ道を譲り礼儀正しく笑顔で挨拶してくれる。客が走れば,荷物を持った若者もすぐ後を追いかけて走ってくれる。そしてみな,若い。とても若い。この地域出身の若者のように思う。堪能な英語で実にスマートにホスピタリティに徹している姿は,そこだけ別空間のようで,こんなにも洗練された教育を受けている彼らは何者だろう? 話しかけてみた彼はこの街の出身。このホテルで働けて幸せと言った。生活できるから。これが例えばニューヨークだったら彼らは間違いなく移民の人々だ。

 カンボジアは移民の送出し国である。世界銀行(注1)によれば,約112万人,人口の7.4%の人々が海外で働いている(2013年)。行先は,伝統的にはタイ,マレーシア。また,アメリカ,フランス,オーストラリア,カナダ,バングラデシュ,最近は韓国,日本などである。初鹿野氏(注2)によれば,カンボジアが正規の移民労働者送出しを始めたのは1990年代。マレーシアへは家事労働や工場労働,タイへは,農業,食品加工など工場労働,建設業,レストラン・ホテルなどのサービス業が多い。非正規就労も多くその数30万人規模と言われる。2000年代からは移民労働政策が政策課題としてとりあげられるようになった。韓国では産業研修制度を利用して中小企業や農業分野で働く人々が多いそうだ。日本も研修生・技能実習生として受け入れている。2015年で6,000人ほどだが,この数年で3倍に増えている。

 シンタ・マニホテルの若者に戻る。ウェブページ(注3)によると,同ホテルは2003年にオープン,シェムリアップの若者がツーリズム産業でキャリアを積む支援をする目的で,とある。このホテルを基礎として,NGOであるShinta Mani Foundationがホスピタリティを学べる学校,Shinta Mani School of Hospitalityを開校。若者はツーリズム産業で世界レベルのスキルを身に着けるべく,無償で教育を受けることができるのだ。以来,229名を超す卒業生を地域に送り出している。宿泊費の一部は彼らのために使われる。私が出会った彼らはそうした卒業生だったのだ。

 カンボジアは1990年代からツーリズムを経済発展けん引の主要産業として位置づけている。Vannarith Chheang氏によれば(注4),カンボジア観光客は1993年には11万人だったものが,2007年には200万人を超す勢いで伸びているそうだ。しかし,そうした光があれば,影も生まれている,と同氏は指摘している。シェムリアップ市中心部に住む人々の所得と,アンコール遺跡群周辺の人々の所得の格差が格段に大きいのだ。同氏の現地調査によれば,ツーリズムの恩恵を受けているのは市内中心部に住む人々のみ。アンコール遺跡群周辺の人々はほとんどが農業や,せいぜい食べ物や飲み物を自宅前で売るに過ぎない。観光客が増えることはいいことだと彼らは考えているが,そのため物価が上昇し,生活は苦しい。政府の目配りもなく,不満がつのる。市内ホテルで働くスタッフの賃金は一か月100ドルほど。生活はできるが貯金はできない。建設業の賃金は一日3ドル。トゥクトゥク(タクシー)は一か月200ドル〜350ドル。ツアーガイドはもう少しよくて,一か月約500ドル。アンコール遺跡群でのお土産は安い輸入品が買われていく。例えば質の良い現地生産のかばんは24ドルだが,輸入品は7ドル。人々の生活は貧しくなる一方であるし,ドル拝金主義はかつて親密で穏やかだった家族関係を崩壊させてもいるそうだ。

 19世紀にアンコール・ワットの価値を最初に認めたとされるフランス人,アンリ・ムオの「インドシナ王国遍歴記」(注5)には,アンコール・ワットに驚嘆する様子が記されている。「…この建物はクメール人,すなわち昔のカンボジア人の天稟,力量,忍耐力,知能,富力及び権力が如何に優れたものであるかを如実に物語っているのである!…後人の理解力を絶しようとして進んで難事を求めたこの東洋のミケランジェロの名を教えてくれるものはないのであろうか!」。私たちを案内してくれたツアーガイドは,「この遺跡のことはカンボジア人みんな知っていたよ」。では,“発見された”と言われてどう思いますか? 「別に。いいよ。そんなこと」。

 一度きりの訪問で何か言えるわけではないが,カンボジアやASEANの将来を机上で学ぶ時に,シンタ・マニホテルの若い人たちの顔を思い出そうと思う。

[注]
  • (1)World Bank (2016) Migration and Remittances Factbook 2016, Washington, D.C.: World Bank.
  • (2)初鹿野直美(2014)「カンボジアの移民労働者政策-振興送出国の制度づくりと課題-」山田美和編『東アジアにおける人の移動の法制度』(研究叢書)アジア経済研究所。
  • (3)Shinta Mani Hotels, http://shintamani.com/resort/about.php
  • (4)CHHEANG, Vannarith (2010) “Tourism and Local Community Development in Siem Reap” Ritsumeikan Center for Asia Pacific Studies紀要, pp.85-101.
  • (5)アンリ・ムオ著,大岩誠訳(2002)『インドシナ王国遍歴記 アンコール・ワット発見』,中央公論新社。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article866.html)

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