世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
移民国家であることを認めるまで50年
(南山大学国際教養学部 教授)
2025.03.10
1990年代の半ば,ニューヨークで初めての海外生活を始めてすぐのこと。DV被害を受けている移民女性対象の法律相談会があることを知った。比較的貧しい移民が住むコミュニティで毎週開催,相談は無料。当時は事情を開催者に取材するような機転も度胸もなく,事の背景を察する知識もなかった。ただ,移民対象,しかもDV被害女性対象?そんなピンポイントの理由で?そこまでサポートする?それほど深刻?毎週開くほどの規模で?しかも無料で?と思うのが精一杯だった。しかし次第に気が付いたのは,米国はコストを払っている,ということだった。
同じ時期,マンハッタンのチャイナタウンではいつもピケが行われていた。中国人経営のレストランの前で,そのレストランを解雇された中国人とその支援者(ニューヨーク市の議員,大学生や教員,弁護士等)が集まっている。食事のために入店する客に対して,プラカードを掲げながら“shame on you!”と叫んでいる。座り込んでハンガーストライキもやっている。賃金不払い・長時間労働の強要・チップのピンハネをする経営者に対する糾弾なのだが,解雇されずに働いている中国人はピケをしている中国人を非難し罵倒している。中国人同士なのに?中国出身で,米国の中国人を研究対象とし,当時Hunter Collegeで教えていたPeter Kwong教授は「彼らは階級闘争をここ(米国)でしているんだよ」と教えてくれた。チャイナタウンで移民を支援する組織の代表者は,Kwong教授のことを“上流の中国人(成功して米国社会のメインストリームに仲間入り)”と呼んだ。今,ピケをはっているのは,ベトナムやミャンマーなどの東南アジアや南米の出身者も多い。
当時,コロンビア大学で教えていた社会学者のSaskia Sassenに憧れてニューヨークに滞在したが,至るところで移民が働いているニューヨークの姿は,多国籍企業の経営中枢が集積するグローバル都市こそが移民に対する需要を生む,という観察が現実なのだと思った。レストランやホテル,街角のショップ,企業が入る高層ビルやタクシー,運輸等,あらゆるサービス業を底辺で支えていたのは移民の人々だった。
フィリピン出身の学生を受け持ったことがあった。お母さまが彼を連れて来日し,日本で教育を受けた学生だった。彼にはフィリピンに残る家族や親戚,友人がおり,多くはシンガポールやドバイに出稼ぎに行っていた。雇い主から暴力を受けてけがをしたり,突然解雇されたりしてやむなく帰国する人も多かったそうだ。彼はそうした人々のことを卒業論文に書いた。タイトルは“フィリピン人の人生の色”。いつもフィリピンに住む祖母を恋しがっていたので,「家族が離れ離れにならず,出稼ぎに行かなくていいようになるいいね」と声をかけたら,彼は「フィリピンの人々にとって,幸せになるための手段の一つに過ぎないんです,海外で働くことは。」と答えてくれた。何も分かっていない自分が恥ずかしくて情けなかった。
国際労働力移動の研究を始めた頃,日本が外国人労働者政策のお手本としたのがドイツのガスト・アルバイター制度(帰国を前提としたゲスト・ワーカーとして労働者を受け入れる)であるということが語られていた。1950年代,ドイツは戦後復興期にトルコなどと契約を結んで労働者を受け入れ,一定期間働いてもらって,帰国してもらうシステムを採っていた。でも,彼らは帰国しなかった。そのドイツは自国を「移民国家ではない」とずっと主張してきた。しかし,2000年以降,「ドイツは移民を必要としている」と認めて国籍法を改正し,移民受け入れに政策の舵を切った。ドイツは移民国家であることを認めるまでに50年かけた。日本が人手不足対策で外国人労働者を受け入れ始めたのが1990年とすれば,50年後は2040年。あと15年だ。それまでに日本はまたドイツをお手本にするだろうか。そのドイツは今また反移民で揺れている。
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