世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3912
世界経済評論IMPACT No.3912

ある名物企業家死後の係争にみる中国の多面性:党と国家や企業はどう統治されているのか

杉田俊明

(甲南大学経営学部 教授)

2025.07.28

 中国出張中に日々携行し,常用するペットボトル飲料は,現地で人気の二大ブランドのいずれかであり,「娃哈哈(ワハハ)」は間違いなくその一つ―。これは筆者に限らないだろう。

 「娃哈哈」グループは,宗慶後氏が一代で築き上げた中国の一大食品飲料企業であり,同ブランドは今や国家・民族を象徴する存在となっている。宗氏は1987年に創業し,後にフランスの大手企業「ダノン」との合弁事業で勢いを増したが,外資が中国の民族ブランドを奪おうとしたと主張し,結果的に合弁から外資を排除することに成功。これにより「愛国民営企業家」として広く知られるようになった。

 しかし,宗氏の死後に表面化した係争は,単なる企業統治の問題にとどまらず,中国の政治・社会・企業・資本・家族などが複雑に絡み合う構造を露呈させた。

 2024年,宗氏が79歳で逝去。米国留学から帰国した一人娘がグループの後継者となった。彼女が改革として傘下企業の整理を進め,自らが出資・主導する企業へ実業をシフトしようとするなか,宗氏の婚外子を名乗る人物らが香港と国内で訴訟を起こし,宗氏の海外個人資産や企業株式の継承権を争い始めた。

 ちなみに,その婚外子のうち二人は同グループ企業において役員を務めており,在籍企業が整理対象に含まれていたため,後継者である一人娘が異母兄弟を排除しようとする姿勢への反発として訴訟が起きたとの見方がある。

 注目すべきは,宗氏が共産党員であり,婚外子の母とされる人物も同企業グループの党委員会書記という要職を務めていたことだ。さらに,一人っ子政策が厳格に実施されていた時期に複数の子をもうけ,米国籍を取得させていたなどの事実も明らかになっている。愛国を旗印に成功を収めた企業家が,党の規律や国家の政策と矛盾する行動を取っていた事実は,庶民の信頼を揺るがす要因となった。

 また,「民営企業」とされる同企業グループも,創業時には地方政府の支援を受けており,国有資産管理監督部門との関係が深い混合型企業構造であった。その一方で,宗一族が筆頭株主である国有部門への利益還元が,自社自身への還元よりも著しく少ないことが報じられている。

 さらに,母体企業や傘下企業とは別に,宗一族が出資・主導する企業に実業を移し,国有資産の私有化を進めているのではないかという疑念も一部で浮上している。これは中国の企業統治における透明性や責任所在に重大な疑問を投げかけるものだ。

 加えて,海外資産を巡る係争では,共産党および外貨管理当局が厳格な規制を敷いているにもかかわらず,個人が巨額資産を所有・移転できることに対して,民衆の怒りが拡大している。

 党幹部・政府高官・企業経営者の親族らが海外留学や国外資産保有をしているという報道はもともと少なくなく,彼らが国外と密接なつながりを持つ一方で,厳しい統制下にある国内の庶民が「不況に耐えよ」と求められている現実は,中国社会の格差や階層化を如実に示している。

 なお,こうした議論を呼ぶ事例においても,事実そのものへの論議は少なく,むしろ事実に呆れ,あるいは諦めているのがいまの中国の実情のようだ。宗氏の創業精神と経営手腕,外資に対する勝利,民族ブランドの創出と保護に対しては,依然として「愛国企業家」としての評価が根強い。私人の問題を過度に論じるべきではないという中国的論調も存在するが,この件は単なる一族間の争いや企業内のトラブルにとどまらず,中国の企業が抱える構造的課題――党・国家・企業・経営者の相互関係やそれぞれに関わる統治の曖昧さ――を鮮明に映し出している。

 このように,この事例は,中国の多面性を理解するうえにおいて象徴的だと思う。経済成長をある程度達成した「社会主義市場経済」の中国は,いまなお制度的な曖昧さと統治の混沌を抱えている。この現実を知らずして,中国と向き合うことはできない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3912.html)

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