世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3084
世界経済評論IMPACT No.3084

中国の対応からみるTSMCの戦略:コアコンピタンスとデリスキング

杉田俊明

(甲南大学経営学部 教授)

2023.08.28

 「台湾有事」関連企業対応に関する海外での調査研究を終え,引き続き現地の情勢を観察していたところ,ある記事とそれに伴う中国の反応が気になった。

 中国に複数の生産拠点をもち,世界において話題の半導体問題の中心人物,TSMCの創業者であるモリス・チャン(張忠謀)氏に関するインタビュー記事(ニューヨークタイムズ紙電子版,2023年8月4日付)がその元だ。

 「半導体戦争」(Chip War)に関する話題は広く知られているためここでは省くが,先端半導体は現代では石油よりも重要な物資であることや,この領域におけるTSMCや台湾の関連産業の圧倒的な存在感,それに対する各国の依存,というのが現実である。

 そのチャン氏はインタビューで業界の動向や自社の優位性について語るのはいつものことだった。そして,1931年に中国に生まれ,1962年に帰化し自身はアメリカ人,ということも,一般的な「華僑」や「華人」の話であり,中国もその存在を利活用していることだ。

 物議を醸し中国で非難を招いたのは以下の部分のようだ(英語は原文)。

 中国を離れ香港経由でアメリカに渡った後,出身地に戻らず台湾を拠点にしたのは "to get away from the Chinese Communist Party’s advancing army, there was no going back."

 TSMCは自社の優位性を基にアメリカなどと行動すれば,“We control all the choke points,” “China can’t really do anything if we want to choke them.”

 もっとも,チャン氏は1998年に刊行した自伝で“My old world crumbled as the mainland changed its color”と記し,アメリカが2022年に発動した対中半導体規制を支持したことなどで,当時から中国のネットで非難されていた。

 ところで,台湾や対中規制問題でアメリカや台湾などをいつも強く非難する中国当局だが,この件では違った対応をしていた。まず,当局が直轄するメディアはこの件に反応しなかった。

 代わりに,当局の意向を反映する傘下の「環球時報」は,ネットが激しく反応したチャン氏の発言部分に触れず,対中規制はアメリカ自身の対中ビジネスのチャンスを逃すもの,規制をしても中国に反撃される,というチャン氏による別の発言を都合よく引用しながら自国の主張を報じていた(8月8日付)。中国他のメディアもこれを踏襲し反応を控えた。

 香港の中国系メディア鳳凰網は,例のインタビュー記事を自社記事風にして掲載したが,ほぼ全訳ながら,ネットが激しく反応したチャン氏の発言部分はなかった(8月7日付)。

 このように,ある種のナショナリズムに基づく反応は目下の中国では時にみられるなかで,それを時には利用し,時には抑えようとする当局の思惑が興味深い。

 中国は現実をよくみている側面もあり,自国にとって必要不可欠なモノに関しては熱烈歓迎だ。先端半導体はまさにその対象であり,現時点で中国はまだ生産できないものの多くは特に政治力や軍事力の向上にも欠かせないから,誘致優先の反応に至ったであろう。

 ただ,中国はかような発言や依存を許容している訳ではない。時間を稼ぎながら,反デカプリング対策の一環としても,内製のレベル向上を急いでいるのだ。

 競争優位やコアコンピタンスは固着のものではない。絶え間ない努力による維持や,新たなイノベーションによって生まれるものなので,TSMCもその維持に苦心している。そして,台湾の本拠を増強すると共に,中国事業を維持しつつ,日本,アメリカ,ドイツでも拠点を設けたのは単に相手に誘致された訳ではない。

 一個人の生立ちや考えに対する過激な反応は共感を得られるものではない。特定環境のもとで相手を無用に刺激する必要もない。TSMCのケースが示唆するのはより重要な点にある。

 企業や産業間競争は国が執念を賭けた戦いになる場合もあり,時間との戦いでもあろうが,コアコンピタンスとデリスキングを含め企業戦略のあり方が問われる戦いでもあろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3084.html)

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