世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3335
世界経済評論IMPACT No.3335

サプライチェーン協定と迅速対応労働メカニズム(RRLM)

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授・国際貿易投資研究所 客員研究員)

2024.03.11

 IPEF(インド太平洋経済枠組み)のサプライチェーン(以下,SC)協定は,アルファベット順にフィジー,インド,日本,シンガポール,米国の5ヵ国が国内手続きを完了し,2月24日発効した(注1)。SC協定発効により新設される「SC協議会」,「SC危機対応ネットワーク」および「労働権諮問委員会」も動き出す。1月31日付の商務省発表によると,3組織の議長選出は遅くとも4月24日まで,各組織の詳細事項の採択は同6月23日まで,また労働権諮問委員会のガイドラインの策定は同8月22日までに,それぞれ行われることになった。

 労働権諮問委員会の主な任務はサプライチェーンにおける労働者の権利侵害を是正することにあるが,ガイドラインができれば委員会のメカニズムや機能もより明確になろう。この委員会は,西村あさひ法律事務所が報告しているように,USMCA(米墨加協定)の「迅速対応労働メカニズム」(Rapid Response Labor Mechanism,以下RRLM)に類似した機能を持つものになるのではないかと言われる。このためRRLMの実態をみておく必要がある(注2)。

迅速対応労働メカニズム(RRLM)の実態

 USMCAは第23章「労働」に17条を設けて,ILO宣言が定める中核的労働基準の採用と維持,移民を含めた労働者の権利保護,国内労働法制の効果的な執行を義務付けている。同時に第31章「紛争解決」では,労働者の結社の自由と団体交渉権に関わる紛争解決を規定し,付属書Aでは米墨間,Bでは加墨間のRRLMの詳細を定めている(注3)。

 米墨間,加墨間のRRLMを対照すると,両者に差異はみられないので,米墨間を例にとってみると,RRLMは次のように機能することになっている。

 米国政府は労働組合等からの訴えを受け,もしくは自主的に,①メキシコの事業所で労働者の団結権または団体交渉権が侵害されていると疑うに足る根拠があれば,メキシコ政府に対してその事実確認を要求できる。②メキシコ政府は10日以内に要求を受理するか否かを米国に回答する。③メキシコ政府が米国の要求を受理する場合は,45日以内に事実確認の調査を完了する。④メキシコ政府が米国側の事実確認に同意しない場合,または,メキシコが労働権侵害を否定した場合,あるいはメキシコが侵害を認めたが改善策が取られなかった場合は,3名から成る迅速対応労働パネル(Rapid Response Labor Panel,以下パネル。)に検証を求めることができる。⑤パネルは30日以内に労働権が侵害されているか否かを判定する。⑥パネルが侵害の事実を認定した場合には,米国は当該事業所で製造された物品に対する特恵関税の適用停止,輸入停止などの制裁を課すことができる。

 米墨間ではRRLM発足以降現在までに,21件(注4)のRRLMによる訴えが提出されたが,訴えたのはすべて米国側であり,メキシコ側の訴えは皆無である。件数は2021年が2件,2022年は4件にとどまったが,2023年は13件と急増した(2024年はすでに2件)。訴えられた業種は,自動車部品生産から衣料品生産,運輸,鉱山開発などに広がっている。21件のうちパネル設置に至ったのは1件(メキシコ大手鉱山開発企業)だけで,ほとんどがメキシコに対する事実確認要求だけで問題が解決された。④提訴から解決までの期間は2ヵ月~半年と短期間で,RRLMの「迅速」解決の目的は達成され,,メキシコの労働権侵害問題の改善に寄与している。

 「迅速」な処理がRRLM本来の目的だが,それを可能にした背景には,米国がメキシコに事実確認を行うのと同時に,USMCA実施法(PL116-113)第752条によって,訴えられたメキシコの当該工場で生産された製品に対する米国の輸入関税の清算を,問題が解決されるまで停止できるという制度の効果が大きい。米国関税の清算停止は当該製品の対米輸出の停止を意味し,メキシコ側に迅速な問題解決を促す大きな要因となる。米国はメキシコに事実確認を求めた時点で,USTR代表が米財務長官に清算の停止を(問題が解決すれば清算の再開を)指示している。

RRLMのメカニズムを考案したのは民主党

 前掲のコラムNo.3307(2月19日付)で筆者は,共和党の「労働者を守るための10の公約」を紹介し,ライトハイザー前USTR代表が,米国の労働者にとってUSMCAがいかに素晴らしい協定であるかを自慢していると書いたが,RRLMを考案したのは,共和党政権ではなく,民主党である。トランプ大統領は就任前からNAFTAを徹底的に批判し,大統領就任後も「悪い協定ならば無い方がましだ」と主張し続け,対案を何も出さなかった。米墨加3ヵ国が協定存続のためNAFTA改定交渉を続け,ペロシ下院民主党議長のもとで下院民主党歳入委員会とそのスタッフが改定案作りに尽力した。その結果,USMCAには民主党の意向が色濃く反映されている(注5)。

 当時下院歳入委員会のスタッフとして改定案作りに貢献したのが,キャサリン・タイUSTR代表である。バイデン大統領は彼女をUSTR代表に指名することによってその尽力に応え,タイ代表はメキシコの労働権侵害の改善に力を振るい,IPEF交渉でも類似の制度の構築に努めた。3月1日に発表されたUSTRの2024年版年次報告書は,労働者中心の通商政策の推進を政策課題のトップに掲げている。

[注]
  • (1)IPEFの協定は,参加14ヵ国のうち少なくとも5ヵ国以上が国内手続きを完了し,寄託国である米国に協定受託書を寄託してから30日後に発効する。
  • (2)西村あさひ法律事務所「インド太平洋経済枠組み(IPEF)サプライチェーン協定交渉の実質妥結と日本企業への影響‐労働問題対応メカニズムの構築」,2023年7月6日号。同報告ではUSMCAの第23,31章についても詳述されている。本稿の当該部分は同報告とジェトロ・ビジネス短信に依存した。なお筆者は,RRLMはIPEFの第1の柱「貿易」にも関係しているとみる(コラムNo.3273参照)。
  • (3)付属書Aは米墨間,同Bは加墨間のRRLMを規定している。USMCAでは米加間にRRLMは適用されない。
  • (4)ジェトロは訴えられたRRLMの件数を累計し,同一企業が2度訴えられたケースを2件としているので合計件数は21件となるが,USTRは企業別に集計しているため合計件数を20件としている。
  • (5)ジェトロの調査スタッフが書いた全309ページの力作『NAFTAからUSMCAへ:USMCAガイドブック』(2021年7月刊)の第1章参照。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3335.html)

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