世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3257
世界経済評論IMPACT No.3257

無人島の経済学と貫通する時代の流れ

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2024.01.15

 GDPランキングがドイツに抜かれて世界4位になったようである。GDP指標が経済力の全てを表現できる訳でもないだろうが,最近の我が国の政治経済社会の動向から,なるほどと思わせる事態ではある。政府与党の前近代的な政治スタイルが今なお強力に残存していることや,災害頻発の日本列島,周辺アジアの地政学的圧迫感などを体感すると,やはりこれまでの社会スタイルは刷新しなければならないように思える。

 ある大学出版社に「学術出版とアカデミアの在り方に」に関する意見を出したところ,好意的な返信があった。つまりオンラインの急激な普及は利便性の向上に貢献しているが,それ以上のものではないという認識である。同様に,学会報告や学術研究スタイルもPCやAIの開発によって変貌を遂げている。数量的高度化・精密化の陰で,そのことの意味するものの精査が軽んじられて,安易な結論や政策提言がなされているのである。また,若年層の研究者志望の動機は「研究職はブラック企業と無縁だから」というものである。なるほど,大学院での長い修業期間で堆積した「多額の奨学金・学生ローンという借金」を抱えている訳だから,まずは就職に有利なsurvey論文を効率良く仕上げて,早々に研究機関で収入を得たいと思うのは人情である。さらに,そのためには海外で特にアメリカ留学を経験して箔を付ければ就職に有利になる,と指導教授もコメントする。ハーバード大学のサンデル教授崇拝以降,アカデミアとその教育方法に大きな変革がなされ,思慮深い研究スタイルや教育方法が等閑にされる傾向が高まったような印象がある。そして,我が国はいつになったら宗主国願望のアカデミアから脱却できるのだろうか。

 ウクライナ戦争やイスラエル=ガザ戦争,米中の覇権競合等によってこれまで想定して来た自由貿易体制の根幹が揺らぎつつある。これに対して「純」経済的分析の研究報告は,関税ゼロの「封鎖経済=無人島経済か?」を措定して,コンピュータ処理される。しかし,そんな世界はどこにあるのか? もちろんこれはヴァーチャルな思考実験として行われるのであろうが,問題は結論部分で具体的な現実政策が提言されることである。社会科学研究のシミュレーションは物理工学的なモノとは本質的に異なっている。部品分析だけならある程度存在価値はあるがそれ以上ではない。いくらモデルの複雑化を組み立てても実態を反映できるものではない。むしろ多元連立化は高度化すればするほど,実態社会から遊離する傾向がある。あるいはヒューマンエラーを派生しやすくなる。

 モデル論を別な視角で捉えるため,あえて経済史的なモデルを例に「経済発展段階説」を比較したい。

  • ① リスト=「未開➔牧畜➔農耕➔農工➔農工商」
  • ② K.ビュッヒャー=「家内経済➔都市経済➔国民経済」
  • ③ ロストウ=「伝統社会➔離陸の準備➔離陸➔成熟への前進➔大量消費社会」
  • ④ マルクス=「原始共産制➔古代奴隷制➔封建社会➔資本主義社会➔共産主義社会」

 何れの経済発展論も歴史学的にはフィクションとしての類型化に過ぎないが,生産力増強という点では共通している。そして,それぞれが生産力の高まりとして,それに適合した社会体制の相違を特徴づけている。また,リスト,ビュッヒャー,ロストウは最終段階を分析者が生きている時代までを論じている。しかし,マルクスの唯物史観だけは未来社会論を付加している。はるか遠くの社会を理想,ないし夢想しているのである。空想的社会主義批判や空想的資本主義,次は空想的何か? という疑問も湧いてくる。従って,マルクス主義は宗教的観念を伴い大規模な社会的実験を,強権的政治体制で推し進める結果になってしまった。中国社会主義政権はその呪縛から未だ解放されていない。

 他方で,国連の国際開発論や経済発展による民主政治の実現や独裁からの解放というテーゼも非現実的だった,との反省も今更ながら一般化してきた。世界市場の拡大はグローバル推進の過程で達成されてきたが,均一化と単一化は新たな問題群を生み出している。あたかも単一品種作物の大凶作に似ているのかも知れない。単色に染めれば紛争がなくなるということはあり得ない。また共同体論の盲点として,近親憎悪はより残酷になる(無関係な人とは争いにならない訳でもないが)傾向も強い。世界は多様であり,あるいは残酷である。イスラエルのガザ攻撃はインカ帝国の消滅やアパッチ族の解体現象である。近代化論や過去の植民政策論の読み返しも非常に重要と思われる理由である。これからどんな経済学が主流派を形成するのか,あるいは形成させるべきなのか? 最終消費財には中間財がなければならないが,部分論よりは俯瞰的視点の養成もそれ以上に重要である。包括的な政策体系のない所には,必ずや武力の論理が独走する。設計図なしには一寸先も描けない故,時代を切り開くエスプリを感じさせる,粗削りでも野心的な若年層を期待したい。我が国は離れ小島でも無人島でもない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3257.html)

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