世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3847
世界経済評論IMPACT No.3847

米価のシグナルから制度欠陥を読み解く

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2025.05.26

 米卸値の上昇傾向が続いている。4月の「相対取引価格」は1990年以降で最高を更新し,27,102円(60㎏玄米)となった。前年同月比でも75%の上昇である。なお,スーパーマーケットの「5kg袋」小売値の動向では2024年7月に2,300円程度だったのが,4月には4,200円を越えた。実に83%の上昇である。5月12日の対前年同月比では,102%の価格上昇になっており下落傾向は見られない。

 「深川正米市場」での詳細なデータが残されているが,75%もの価格上昇は歴史的に見ても異常な高騰である。戦前期と比べると次のようになる。両大戦間期の米価変動は激しく,対前年比上昇率で高い値を示している年は1917年55.4%,1918年58.6%,1919年43.7%の3時点である。

 さらに歴史を遡って,明治以降1942年までの変動では対前年比上昇率で60%を超える年はなかった。米は主食であり経済活動の基軸だった江戸時代まで射程に入れた場合は,どうなっていたのか。60%を越える年は次の6時点である。1602年は98.9%,これは関ケ原の戦いが1600年で,1603年に江戸幕府が開かれた時期であり政治体制の混乱の結果である。1688年は61.3%で「生類憐みの令」が出された年である。1707年は富士山の中腹にある宝永山が噴火した年で197%の上昇があった。関東一円に火山灰が堆積し未曽有の大災害をもたらした。1732年の71.6%は西国大飢饉の年である。1787年の62.6%は倹約令が出されたものの「天明の打ちこわし」があった。1867年の60.0%は明治維新前夜で経済混乱は回避出来なかった。

 1600年以降,現在までの歴史過程を観測すると,米価が100%を越えて上昇し大混乱に陥った時期は「1707年の宝永山噴火」と,太平洋戦争終結後の「1945年380%,47年209%,48年380%」の二つの時期だけである。我々は如何にして主食の安定に力を入れてきたのかを知ることが出来る。米本位制ともいえる封建制度の江戸時代は1620年代には大坂淀屋に米取引所を設けている。そして1697年には取引所を拡張整備するため堂島に移転し,1730年堂島米会所を開設した。ここでは価格安定のために世界でも先駆的な米の先物取引が行われており,1848年に始まったシカゴの穀物市場(主にトウモロコシと大豆)より100年以上早い。

 さて,以上の米価変動を単純比較できないにしても,昨年からの米の値段が急激に上昇している事態は異常である。体制崩壊や世紀的大災害,世界大戦等の歴史的に見て例外中の例外を除けば,江戸時代以降は1688年,1732年,1787年の3時点の高騰しか観測できない。昨年からの米不足や急速な変動要因は一体何が原因しているのか。数百年や数千年に一度の大災害といわれる異常気象が数年おきに発生しているという自然環境問題を考慮の上で,ここらで冷静に考える必要がある。

 戦後農政の基本は「農地改革」に起因している。戦後の三大改革は財閥解体と労働改革,そして農地改革である。財閥解体によって巨大企業が消滅した訳だから,雨後の筍のように新規参入の企業が生まれ,その中の一群の創造的企業が日本経済を牽引してきた。「創造的破壊」の歴史過程を絵に描いたようになった。これに対して,農業分野はそうではなかった。家内制手工業のような1町歩単位の農業経営を維持しようというのであるから,どうしようもないのが実態である。近代的大規模生産を目指すはずの大潟村は単なるモデル事業に終わり,全国にこの経営方針が貫徹することはなかった。昭和40年代前半の「農業機械の共同使用」方式は数年で頓挫し,20年ほど前に唱えられた「集落営農」は話題にはなっても,殆ど取り組みもなされなかった,というのが実態である。そもそも農村地域において近代的会議や打ち合わせなどというものが機能しない,ということを官僚は認識できない。「話せばわかる」というが,特に利害がらみの事案を合理的に運営することは並大抵のことではない。農村「共同体」幻想そのものといっても過言ではない。地域共同体は「近親憎悪」を生み出す最良の培養地でもあるから,酔いしれる用語に惑わされてはむしろリスクは増大する。

 農業自給率の傾向的低下に対して,国は常に50%以上を目指すとスローガンを出し続けてきたが改善されることはなかった。これを巡って,農政専門家は「自給派(国内保護)」と「国際派(貿易)」の間で論争を繰り返してきたが,実態は「内部崩壊説」が最も有力である。新規参入が出来ない程の様々なバリアの下で担い手が無為に時間を過ごし,その「塊」が一斉に引退する時期を迎えている。この現象のシグナルが米価の急激な高騰として結果している,と捉えるべきであろう。

 地方の人口減少は回復の兆しは殆どない。産業構造の推移から見て当然と思えるデータがある。第1次,第2次,第3次産業が,それぞれ3分の1(就業者数比率)でシェアしていたのが1960年である。戦前から第2次産業は20−30%でほぼ一定であるのに対して,2020年時点では第1次が3.3%,第3次が73.4%となった。つまり誰でも知っていることだが,サービス産業は人を対象にしているから,過疎地は益々過疎化するということにならざるを得ない。これが「成長経済」ということになる。首都圏のみが過剰に肥大化する経済構造を前提に議論しているから,地方に人を呼び寄せることも叶わず,まして産業を興す人材など残るはずもない。農業生産現場に人がおらず,農業関連の行政機関には大勢の人が滞留している。殆どの政策誘導が空振りに終わるのも無理はない。高価格米価を維持したところで,効果的な新規参入を促すことは出来ない。「青田買い」から「茶田買い」等と言う言葉だけが独り歩きして米価が暴走しなければ,とも思う次第である。

[注]
  • *米価の変動に関するデータは,A.D.407年から現在まで豊富な資料が残されている。本稿で引用した計算値(%)は拙稿「超長期の価格変動--米価統計・図による史的推論--」『景気とサイクル』第23号,景気循環学会,1997年5月号。による。但し,直近のデータは農林水産省発表の速報値。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3847.html)

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