世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3811
世界経済評論IMPACT No.3811

文芸批評と政策提言の狭間における深刻な問題

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2025.05.05

 政治学や社会学関係の国際分析は専門領域の持って生まれた制約故に,経済要因を殆んど考慮しない論考が散見される。その一つとして近年富みにPRしている論客に,エマニュエル・トッドが挙げられる。彼はポール・ニザンの孫という因縁からかどうしてもロシア,ソ連社会主義に郷愁を抱くようで,欧米自由主義を「敗北」させたがっている。世間的には,有名な論客の主張は疑いもなく受け入れられる傾向が強いから,よくよく注意する必要がある。まして,核武装をしてまで自国を守るべきだとの論調を展開されては看過できない。

 1980年に清水幾太郎が『日本よ 国家たれ -核の選択―』という著書を文藝春秋社から出版しており,核武装による自国権益を守る論理はトッドが先鋒という訳ではない。また,同年,アメリカの工学部生が卒業研究で携帯用の核兵器を造ったことが話題になった時期でもあり,大陸間弾道ミサイルのような大型兵器のみが核兵器ではないから,それ程センセーショナルな主張でもない。しかし,トッドらのヨーロッパ社民系の論客は,スターリン主義的社会主義を批判しつつも,根底に於いて反米イデオロギーである。ノルマンディー上陸がなかったら,フランス・レジスタンス活動もパリ解放も出来なかったと思われるが,アメリカへの恩義はどこかに忘れ去られている。ベトナム戦争でのアメリカの過剰な介入が心底にあるのだろうが,それすらフランス植民政策の破綻に起因しているのではないか。おそらく社民思想には大国の覇権よりも,多極的な国際的民主主義の方が世界は平和を実現できると見ているのだろう。

 そして,ヨーロッパ社民系はロシア・ソビエトとは異なった「本来の社会主義」や「人間的な社会主義」を夢想して,その上に様々な社会思想を展開しているのではないか。社会主義をアプリオリに措定するのは,「社会=公共」を第一義的に持ち出すところにある。「みんなのために」という独善である。それを「良心の証」として宗教的に信じ込み,実現するためなら強権をもってしてもやらねばならぬ,という文脈につなげていく。この憑りつかれた観念(あるいは雑念)はルソーやサルトルも同様であり,それ故フランス革命の理念実現のためには手段を択ばないといわんばかりに拡散した。その結果がロベスピエールだったのだろうが,その甲斐あって現代でもフランスでは議会よりも恒例のデモということになってしまう。

 なぜ,プーチン・ロシアの肩を持たなければならないのか,判然としない。全く理解できない。西欧の一部の人々には何かの義理でもあるのだろうと訝るのだが,我々にはそれが全くない。ロシアはウクライナを「緩衝地帯」にしなければ自国の安全が図れないという。なぜなら,ウクライナからモスクワまで核弾頭が5分で到着するからだという。ポーランドからでも大差ないが,軍事技術者の間ではオリンピック競技の如く,数秒が命取りになるのだろう。だがそもそもなぜこの「緩衝地帯」なるものが,ロシアには極めて重要な政治課題なのか。確かに軍事的制圧論からすれば地政学的要因は決定的である。しかし,経済的活動や資本と市場の論理は国境も物理的距離も容易に飛び越えるし,深く深く浸透していく。「癌の転移」の如く空間的阻害要因などは殆ど問題にならない。これが海外直接投資であり自由貿易,つまり世界商業をベースとする世界経済の実体である。これは世界帝国と異なり,領土の拡張も移民も不要な世界である。

 ソビエト社会主義の国策原理としての唯物論から導き出された技術体系は,19世紀末のローテクの科学思想である。カラシニコフはその精華ではあったが,それ以上のものではなかった。象徴的・基幹的産業分野を例にとればそれは明らかである。ソ連最大規模の油田にバクー油田があったが,ソ連崩壊時には完全に枯渇していた。アラル海の消滅的危機も同様である。大地と資源の収奪は資本家的収奪よりもソビエト社会主義の方が劇的であった。これがソ連経済崩壊の最大級の要因である。この技術開発はヴィクトル・ダニレフスキーを教祖としており,当然の帰結であった。社会の変動を嫌う中国清朝の広範囲に及ぶ政治主義的判断が,洋務運動を阻害した現象と酷似している。

 従って現在進行中のウクライナ戦争によって,ロシアがウクライナ東部4州とクリミア半島を完全併合したところで,事態の抜本的解決にはならない。経済構造の外延的拡張のみでは何時までたっても,ロシアは1次産品輸出国からは脱却できないはずである。民生を軽んじた工業技術は旧東ドイツの工業力を象徴する国民車トラバント,真空管でコントロールされていたミグ戦闘機やモスクワでの白黒TVを例に挙げるだけで,その技術開発劣位は明らかである。いずれも治安維持のため組織情報管理を何よりも優先してきた社会の末路なのである。

 観念的社会主義義思想を信じる人々は,これまで様々な事実誤認を平然と語ってきた。例えば,朝鮮戦争の勃発について休戦協定後かなりの時間がたってからも,「平和勢力の北朝鮮が韓国に攻め込むわけがない」という説が根強く主張されていた。しかしこれは事実と反していた。さらに,彼らは社会主義中国が我が国を属国化するはずはないとか,冷戦時代にソ連の衛星国になった方が国家として安泰であるから「日米安保反対」だと主張してきた。

 しかし,歴史展開の時系列はオスマン帝国やロシア帝国,引いては中華帝国のような「帝国の崩壊」が先にあるのであって,「合衆国の崩壊」ではない。これが『正史』を記述した歴史年表の正しい見方ではないか。トッドらの歴史認識は経済分析を欠落させた情緒的な政治スローガンである。それ故,具体的な核保有による安全保障等々の政策提言は根拠希薄であるとしか評価できない。彼らにはもっと実証的なデータを駆使した政策を期待したいが無い物ねだりであり,余りに文芸批評的過ぎないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3811.html)

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