世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3227
世界経済評論IMPACT No.3227

政治家は教育無償化を語る前に財政管理に対する責任感を示せ

熊倉正修

(明治学院大学国際学部 教授)

2023.12.18

 与党の政治資金パーティー騒動のせいでほとんど話題にならなかったが,国民民主党の前原誠司前代表代行が11月末に離党して「教育無償化を実現する会」を立ち上げた。前原氏はその意図や経緯を詳しく説明していないが,教育費の完全無償化が日本維新の会の看板政策であることから,野党勢力の再編を狙った動きだと解釈する向きもある。

 しかし前原氏と親しい評論家の佐藤優氏によると,同氏はかねてから教育費の問題に心を痛めていたという。母子世帯で育ち,苦学して大学を卒業した経験から,「僕の時代は,母子家庭でも本人が努力すれば自力で京大を卒業することが可能だった(が,)現在ではそれが不可能になっている」,「親の経済状態にかかわらず,子どもはその適性に応じて,無償で教育を受けることができる体制をつくりたい」と語っていたそうである(AERA 12月18日号)。

 若者が潜在能力を十全に発揮して充実した人生を送る上で教育はきわめて重要である。前原氏の新党立ち上げに参加した他の国会議員も,それが教育無償化だけの単一イシュー党ではなく,それを突破口にして若い世代が希望を持てる社会を実現するのだと述べていた。

 政治家がそうした決意を持つことには敬意を表したいが,筆者は素直に支持する気持ちになれない。理由は二つある。

 一つは教育無償化に対する疑問である。家計の教育費負担はすでにかなり軽減されている。保育や幼児教育は実質的に無償化され,高校の授業料も所得制限はあるものの無償が原則になった。維新の党や前原氏にとっての本丸は大学などの高等教育だと思われるが,それに関しても2020年に低所得世帯の若者向けの給付奨学金が作られた。岸田内閣は来年度からこの奨学金の対象を一部の中所得世帯に広げることを決めている。

 前原氏や維新の党の政治家は,それではまだ不十分だ,日本は学歴社会なのだから,家庭の所得によらず誰でも無償で大学に進めるようにすべきだと考えているのだろう。しかし現時点でも大学生には色々なタイプの人がいる。医師や研究者を目指して本気で勉強している人もいれば,勉強したいことも将来の希望もなかったけれど,周囲がみんな進学するから進学した,という人もいる。両親も「大学を出ておく方が無難だから」という理由で進学させようとする。

 しかし若者の半数以上が大学に進学する今日の日本において,「大学を出ておけば安心」というのは半ば幻想である。近年は貸与型の奨学金を得て進学する人が少なくないが,卒業直後から返還に行き詰まる人が少なくない。また,そうした人たちはランダムに発生しているわけではなく,選抜性の低い大学に進学して専門性の乏しい文系課程に籍を置いていた人たちに偏っている。貸与型の奨学金をすべて給付型にしてしまえば未返還の問題はなくなるが,進学を卒業後の自立に繋げることができない人はむしろ増えるだろう。若い貴重な時間が無駄になり,社会も余計な費用を負担することになる。

 もう一つの問題は,教育無償化という大きな支出を伴う提言をしておきながら,その資金がどこから来るのかを説明しようとしないことだ。これは前原氏だけの話ではなく,なし崩し的に教育費の公費負担をどんどん増やしている政府や,口を揃えて無償化や給付拡充を訴えている野党の政治家に関しても言えることである。

 前原氏も岸田首相もポケットマネーで国民の教育費を負担できるわけではない。資金の出所は究極的には国民なので,教育費の無償化も煎じ詰めれば誰から取って誰に渡すのかという話である。「若い世代が希望を持って生きることができる社会」は望ましいが,政府が財政管理に失敗した場合,助けられたはずの若者や現役世代が上の世代の借金まで支払わされることになりかねない。

 筆者は日本の財政はすでに破綻状態にあると考えている。民間企業の場合,債務超過で借金を返せなくなったら正真正銘の破綻である。金融機関が追い貸しを続ければ存続しているふりはできるが,事態が改善する見込みがなければ実質的には破綻状態である。私たちが過去30年間に学んだように,ゾンビ企業に追い貸しを続けると後の始末がかえって面倒になる。

 今年度の政府予算の歳出のうち,過去の借金の借り換え分をのぞく真水の支出額は約109.9兆円である。そのうち新たな借金によって賄われる分が26.8兆円もあり,この金額は今年度に予定されている所得税収の約1.3倍に相当する。それにもかかわらず,岸田首相はせっかく得られる税収を減税や給付金の形で国民に返してしまおうとしている。

 家計や民間企業でもよくあることだが,借金があまりにも多くなると返済計画を立てても現実味がなくなり,返済の努力することも空しくなっていく。かつては財政再建に命をかけた政治家もいたが,毎年の財政赤字と政府債務があまりにも巨額になる中,与野党ともに支出を増やす話しかしなくなってしまった。

 赤字を垂れ流している会社が金融機関によって延命されていても,株主や取引先が見切りをつけて手を引くことは自由である。日本の政治家と国民が財政破綻を見て見ぬふりしていても,外国人投資家が日本国債を一斉に売却したり,そうした事態を見越した海外の金融機関が日本の金融機関との取引を拒んだりすることは大いに考えられる。昨年から円安が急ピッチで進行する中,私たちはそうした事態が絵空事でないことを知らされたのではないか。

 岸田内閣は防衛予算の恒久的な大幅増を決めながら,そのための財源の手当てを先送りしつづけている。近隣諸国との緊張感が増す中,防衛費の増額は必要かもしれない。しかし財政が破綻して円が暴落すれば,外国政府の息がかかった資本によって国内の企業や不動産が片っ端から買い上げられる事態になりかねない。返す気のない借金で兵器や教育費の補助を増やしても,それによって国民の安心が得られるわけではないことを与野党の政治家は知るべきである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3227.html)

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