世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
異文化交流:多様性と寛容
(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)
2023.10.23
「歴史の終わり」は終わるどころか「新たな歴史の始まり」となった。自由市場主義が1990年代から21世紀の最初の20年までの30年間,グローバリゼーションという言葉を介して世界を席巻した。しかしながらこのグローバル化は,ひとつは宗教文化圏の「文明の衝突」,もうひとつは文明社会内部における「格差拡大」という二重の矛盾を浮き彫りにさせてしまった。
まず第1に文明の衝突は,ニューヨーク貿易センタービル爆破などイスラム過激主義集団のテロリズムとして顕在化した。西欧諸国において頻発したテロリズムは,西欧文明とイスラム文明が相容れないことを世界に証明した。中国の一帯一路政策は,欧州統合による外延的境界線の拡大に対する不安を煽った結果の産物であった可能性がある。NATOとEUが仕掛ける東方拡大に対するロシアの不安と焦りは,クリミア半島の占領,そしてウクライナへの侵攻に結びついていった。サミュエル・ハンチントンは世界を8つの文明に分けて,西欧・中国・日本・イスラム・ヒンドュー・スラブ・ラテンアメリカ・アフリカの民族間の紛争を異文化間の「衝突」であると捉えた。その最大の切れ目である東アフリカを南北に縦断する「大地溝帯」は,地球の裂け目であると同時に2大文明圏の境界線,フォールト・ラインと呼ばれる断層である。この地政学的境界線にウクライナやシリア,イスラエルの死海・ヨルダン川西岸などが位置するのは決して偶然ではない。この断層ラインでは非物質的な「文化」こそが重要な分断の要因になると考えられた。パワーや経済合理性ではなく文明という非物質的なもの,すなわち文化という概念を中核的な要素として国際関係を分析しようとする考え方が重要視されるようになった。ソ連崩壊後のポスト冷戦時代は2022年2月24日のロシアのウクライナ侵攻で終焉したという見方が専門家でも指摘された。ハンチントンが言及していた文明の衝突がついに戦争となって現実化したのである。最近のハマスによる爆撃をきっかけとする中東の戦争状態はこのことを改めて世界に示すものと考えられる。
第2に今や国際間レベルのみならずこのような文明間の摩擦に拍車をかけたのは,EUのような統合を目指す地域的な共同体内部,そしてその次に私たちの住まう都市の内部で都心部の富裕化の上昇と中間階層の没落が進行した。多国籍企業と労働者の国境を超えた移動のなかで地政学的境界線に見られる異文化衝突が各国内部では社会階層の分裂や格差拡大という形で進行しているのである。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは文化を次のように3つの形態に分類している。①客体化された形態の文化資本(Objectified state),絵画,ピアノなど楽器,本,骨董品,蔵書等,客体化した形で存在する文化的財。②制度化された形態の文化資本(Institutionalized state),制度が保証した形態の文化資本。③身体化された形態の文化資本(embodied state),慣習行動,言語の使い方,振舞,センス,美的性向。これら3層の要素に分解される文化はもっとも恒久的で国際間の移動性の乏しいものである。
グローバリゼーションの時期以降,異文化接触が不可避となっていくなかで,また多国籍企業の世界的な展開を背景に,異文化交流やグローバル経営重視が,大学教育,企業戦略論において重要な地位を占めるようになった。企業は買収・合併,企業間の提携も含めた世界的なネットワークを通じて国境を越えるグローバルな競争優位を形成することが求められるようになった。そこでは国際的な経営論においてこれまでその普遍性を売り物にした競争優位戦略は,例えばグローバルとローカルという対立軸においても模索することが求められてきた。この2項対立をいかに克服していくかについてマルチド・メスティック,アライアンス,異業種間パートナーシップなどのより高度で複雑なグローバル戦略論がもてはやされるようになった。
これに対して異文化価値重視の立場から今,各国の経済・経営モデルを原点に戻って再検討しようという異文化関係論のあり方が注目を集めるようになった。文化の違いに対する感受性の度合いにかかわらず,異文化を受容する段階を表す有名なUカーブ理論は,海外駐在員の異文化経験における動態的な時間的変化の過程を説明する。当初の新鮮な憧れや熱狂,違った新たな環境下で理解不可能なことや効率の悪さなどに遭遇,やがて幻滅と戸惑いのときが訪れる。時間の経過のなかで徐々にその国のローカルな習慣に適応し,そこの社会的なネットワークのなかに統合することによって自己に対する信頼を回復する。心理的なモラルも上昇する。外国人としての異文化における到達点は一律でなく,その適応度は様々である。異文化を受容する段階を表すUカーブ曲線は駐在員のホスト国に対する理解や職業上の効率性によるよりも,むしろ当事者の心理的な感情の変化を重視する学者が多くなった。
実際のところ,世界的な多国籍企業でも異文化経営のあり方について適切な経営管理システムを持ち合わせていない。企業にとって異文化の問題はアキレス腱(Achilles heel)である。これまでは企業内の異文化交流という領域においては個人と個人の間にその調整や解決が委ねられていた。今や海外駐在員や外国企業との交渉当事者は,異文化経験における動態的な時間的変化の過程において自分の適応能力・寛容さ・柔軟性などの感覚を発揮することが自ら求められる時代に突入した。米国のE. ホール(Hall)やオランダのG. ホフステッド(Hofsted)などは異文化間にかかわる国際的なビジネス交渉は研修や学習を通じて対応することが可能であるとする手法やモデルを開発して注目を浴びている。これらの理論を通じて自分が普遍的,絶対的と思い込んでいる文化経営モデルの限界や相対性が示される。理不尽で非生産的と見えることでも別の文化尺度では正当化されうるものであると知って,他の文化的環境に対して寛容になることができるのである。
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