世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2791
世界経済評論IMPACT No.2791

デュアルからマルチユースへ

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2022.12.19

 「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が11月21日に開かれた。その報告書の「研究開発」について論じた部分では,「先端的で原理的な技術はほとんどが民生でも安全保障でも,いずれにも活用できるマルチユースだ」と指摘している。これまで軍民両用技術=デュアルユースと呼んでいたものを,さらに拡大し「マルチ」と表現している。用語の変更は概念の転換をも意味するから,その意義は大きい。単に軍民二元論から多様性を含意し,幅広い産業内転用=相互転用の概念に発展させている。人間の行為を「善悪二元論」や性善説・性悪説で論ずる哲学は古くから存在し,理解が得られやすいが,多元的価値体系は複雑であり理解され難い。また,何が正義なのかというのは相対論であり,極めて難しい。ややもすると二元論的に,政府批判を展開すれば「良心の証」を提起したように錯覚する論者も未だに多い。

 科学技術の発達は「生産力の増大」を促すが,同時に「破壊力も増大」させる。これは表裏一体的,螺旋的,非可逆的に進行する現象であり,一局面だけを切り取ることは出来ない。「技術は人類の厚生に役立つものでなければならない!」というスローガンは心情としては理解できるが,人類史を顧みれば,それは理想に過ぎない。人類が合目的的に存在しているという理解も限定的である。天空と地表の間には薄い雲が漂っている。あたかも,その雲が「現実社会」と「神」の間を取り持つ「科学」である,と呼びかけているようにも見える。そこでは科学は絶対神,唯一の真理を代弁するかのような存在観を呈する。そして,数式の解は一つ。科学的真理も一つでなければならない。しかし,科学技術が人類を幸福にするという観念はフィクションに過ぎない。あるいは疑似的な仮説である。

 とはいうものの,世界は神に仲介する存在としての科学がその威力を発揮するために,一定の時代的共有観念を日常業務で定式(マニュアル)化し,システム工学化する。さらに,それに依拠しながら社会は運営される。他方で,その論理から弾き飛ばされた者は処罰の対象になる。取り締まりと罰を受ける。こうした現象を人々は日常的に体験しているが,罪人が増え過ぎれば社会の在り方が問われることになる。社会が教条化を排除し,間断なき改革と刷新が求められるのはそのためである。安全保障論議も決して例外ではない。まして,地球人口80億人を超えた現在(2022/11/15),地域紛争の火種は尽きない。軍事問題や軍事技術は平時の一派生形態に過ぎないことを,肝に銘ずる時期でもある。「デュアルからマルチへ」の転換はそのことを象徴している。

 軍事問題は権力の集中とともに議論されるのは当然である。しかし,そこで注意しなければならないのは「集中と独裁の時間軸」であり,その期間である。社会主義者のプロ独論は,永久不変の議論に転落した事例である。独裁政権は権力掌握までのごく限られた制限法でなければならないが,支配者はその甘い蜜に酔いしれ,永久政権化するから始末が悪い。プーチンの政治哲学もそこに悲劇がある。ロシアの起源がウクライナとキエフにあるとはいえ,プーチンの大ロシアは「モスクワ=クレムリン(より明確には大統領室)」のみが中枢国家であり,それ以外は全て周辺国家に過ぎない。バルト三国やベラルーシ(白ロシア),ドンバスも東欧と同じ扱いであり,属国でなければならない。こうした独善的な国家観と歴史観はより根源的,かつ原理的に批判の対象にさらされる必要がある。これはK.シュミットによる改憲なしの独裁理論への変容を許してきた歴史教訓でもある。

 多党制を容認しない多選による長期政権は制限的であるべきだろう。多選禁止は三権分立と不可分の政治システムとして確立しなければならないのではないか。プーチンでなければ今回のウクライナ戦争を起こせなかったはずだ,という巷の原因説明と通底するからである。長期政権は社会体制を固定化し時代変動に対応できなくなり,改革が排除されてしまう。我が国の地方自治でも多選の首長や議員が珍しくなく,その結果ダラ幹化し過疎化に拍車をかけている。もっとも地方自治が戦時体制を先導できないことだけは救いだが。

 話を安全保障の議論に戻せば,「反戦平和運動」に賛同する論客は軍事技術研究関連への協力を懸念する傾向が強いように思える。彼らは平和教育や戦争の悲惨さを人々に語るだけで,また非武装,丸腰で国際社会の一国家として生存できると考えているのだろうか。このようなイデオロギーは,おそらく親の庇護のもとでしか生存できない幼児や,反抗期の未成年と同類なのではないだろうか。あるいは意図せざるとはいえ,敵国になり得る諸国に加担する行為でしかない。科学技術の概念を巡る論争は国際情勢の冷徹な分析を踏まえた上で,単なる自然科学・技術者の議論に収斂することなく,社会科学者が先導してでも広く議論を喚起すべき分野である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2791.html)

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