世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
制度の空洞化が進む中でも議会主義を貫くために
(国際貿易投資研究所 客員研究員)
2025.01.13
民主的な議論を行うためにどのような政治システムを創るのが理想なのか。トランプ再登場に託けて,「民主主義は権威主義と違い,ポピュリズムなんだ!」という声も聞かれるようになってきた。そんなものなんだろうか? 20世紀以降の殆どの国家は実態はさておき,国名や理念としては民主的な志向性を表示しているように見える。だが,現実は「権威主義国家」(「強権的国家」の方が適切なような気もするが)といわれている国家も存在している。そんな中で,韓国のように街頭での騒動が多発する国もある。国民の政治参加の積極的な側面を評価する向きもあるが,この度の尹大統領の戒厳令騒動は一体何の騒ぎなのだろうか。与野党の議席が拮抗している状況下において,ある種「二重権力」(そこまで緊迫した情勢でもないが)状態だが,この事態を打開するため,軍部を国会に導入するとは早計だった。近代民主主義のお手本のように語られるフランスでも,国民は街頭デモが大好きである。結婚も法的手続きを棚上げにするケースが珍しくない。また,ブラジルでは公務員給与を決めるのも恒例の街頭デモのようであるから,一体,議会は何のためにあるのかと訝る時がある。石破政権も与党過半数割れしているから,もし法案成立のために街頭で政治活動を呼びかけるというのが起これば,何のために高所得議員を国民が養っているのか,ということにもなりかねない。国会の存在意義が疑われても仕方ないだろう。むしろ与野党拮抗状況であるなら,議会に於いて徹底議論をする最大のチャンスである。石破首相は議論が好きなようだから,その意味において適任である。
我が国の農政空洞化も深刻である。「農政栄えて,農業滅ぶ」と戦後一貫していわれてきた。戦後農地改革の「小農主義」が立ち行かなくなっているのである。日本農業は80歳代の引退を目前にしており,高齢ドライバー問題とも関連して,担い手が一挙に撤退する。これに対して「資本主義は農業部門を包摂できないからだ」,といってはばからない資本主義危機論者(=自称・革新派)もいる。しかし,オーストラリアもカナダもオランダ,フランスも資本主義である。もちろんアメリカも。このような偏見に基づいた農業衰退説ではイギリスの農業人口1%(67万人:平均経営面積約80ha)で,食糧自給率65%を維持しているという農業構造は説明出来ない。昨年,新米収穫直前に店頭からコメがなくなってしまったという事態は,市場機構の齟齬が原因している。実は6月辺りから流通関係者の間ではコメ不足は認識されていた。今回のコメ不足は今なお食管制度の悪しき慣行を引き摺っている現象であり,コメ市場の動向とそれへの適切な対応が,後手に回った結果である。大量の備蓄米がありながら,農水省は制度膠着の前になす術を失っていた。政府やJA・全農や関係機関は農産物市場を読まない・読めないシステムに陥っているのである。25年ぶりに改正された『食料・農業・農村基本法』で食料安全保障に関連して,政府全体が意思決定できる体制を構築するとしているが,果たしてどこまでそれを現実的なものにできるのであろうか。断片的な危機管理に関する報道を耳にする限り,大いに疑問である。
政府は食料安全保障や「総合的な安全保障」を盛んに唱えているが,その究極においてマルサスの人口論は否定し難い論点を提起している。つまり「食料は算術的に,人口は幾何級数的に増加する」というテーゼである。これを絶望の体系と揶揄しても,現実はそれを容易に打開できない。新古典派のアシュトンの産業革命論はそれを確認している。産業革命後の社会は「生存できない人々の生存を可能にした」現象であると。人口爆発とはそのような現象であり,動力と地下資源の開発がそれを可能にした訳だが,何れ絶対限界にぶち当たるのは火を見るより明らかである。早々にリアルな議論を喚起する方が賢明なのだが,何が有効な政策なのか,確定できないところに混乱の火種が燻っている。1993年の細川政権でコメ輸入に関する外交文書が最近公開されたが,農産物交渉に限らず極秘文書の公開を待つまでもなく,情勢分析が的確であれば交渉の推移はほぼ正確に読める。
制度の空洞化現象は組織運用・改革を回避したい人々の願望が原因している。制度設計が不適切だから問題を先送りにし,片隅に追いやられる人々や後世に付けを回す。兵庫県知事のように改革を断行しようとすれば,既存の現場は限りなく抵抗する。時折,地方自治体・議会に於いて「紛争や紛糾」のようなことが話題になったりもするが,点が線となり,野火の如く広がることは殆どない。これが悪しき伝統社会の精神風土であり,政治風土・国民的文化ということにもなるのだろうが,そこは時代状況を踏まえて刷新しなければならない時期も必ず迎える。市民・国民が「物言わぬ農民」の群れでは,いずれ我が国は国際社会ではやっていけなくなる。ボスになれば「何でも意のままになる」「皇帝志向は当然」と勘違いしている組織幹部は珍しくないが,余りにも料簡が狭くドメスティック過ぎないか。自ら倫理的な規範を胸に刻み,なすべき改革を躊躇なく遂行する人は多くはないが,どんな時代においても,人材が不足しているということは有り得ない。舞台に相応しい役者を起用していないだけである。正月に,映画とドラマ『将軍』の受賞を観て,そんな思いが募った。
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