世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3603
世界経済評論IMPACT No.3603

哲人政治もある程度は欠かせない:一つの政治改革の視点として

末永 茂

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2024.11.04

 フリーマンや大谷選手の活躍には目を見張るものがあり,ワールドシリーズでの観客の熱狂には圧倒される。こうした熱狂は人間の存在に係わる欠かせない精神活動である。これが歴史を動かしてきた側面も強い。精神医学者のルボンはこの心的現象をもってフランス革命を説明したとG・ルフェーブル(注1)は論じている。個々バラバラの政治的志向性しか持ち合わせていない国民に対して,ある「磁場」を与えれば劇的に政治転換できるという社会現象である。ルフェーブルはそれを「集合心性」と概念化している。そしてこのフランス革命以後,西欧地域では絶対王制が崩壊しナショナリズムという政治観念が台頭した。これがいわゆる国民国家という国家分割の動きを助長することになる。さらに総力戦による二度の大戦に連なる。二度あることは三度あるというが,世界の人口と開発の現状は20世紀中期とは比較にならない程劇的である。これも人類の努力の成果=精華ではあるが。

 エドワード・H・カーは「ナショナリズム」(注2)の歴史展開を4期に分割している。第1期はフランス革命からウィーン会議まで。第2期がナポレオン戦争後期から第一次世界大戦まで。第3期が両大戦間期。第4期が第二次世界大戦後である。外交官のE・H・カーは20世紀を代表する知識人で,国連「世界人権宣言」(1948年)を取りまとめた委員長である。現在のような先行き危うい国際情勢を読み解き,また近未来を展望したいとの思いを馳せる時,彼の著書を読み返すと炬燵の温盛も手伝って心が鎮まる。

 机を離れてテレビ画面を観ると,我が国の政界はどんな塩梅なのか。フランス革命時に活躍? した「政治的」人間として描かれる人物にジョゼフ・フーシェがいる。周知のようにフランス革命後は動乱に次ぐ動乱である。そうした時間軸においてフーシェは常に与党に加わり転変する。日和見主義者の典型として後年描かれることになるが,最後は完全に失脚するという運命を迎える。超多選の高齢政治家で政党を渡り歩いている「日本のフーシェ」のような人もいるが,彼らは一体我が国をどのように持って行きたいのだろうか。あるいはそうした気概があるのだろうか。選挙活動だけが熱心で,国会議員になってからの活動があまり伝わってこないので一国民としては大変不安になる。

 忘れた頃に民間人が入閣する時があるが,憲法「第68条」によると大臣の半数未満は国会議員でなくてもなれるはずである。組閣する時は毎回,半数近くを民間人から起用してはどうか。また政党党首は国会議員でなければならないということもない。学位取得者で官僚と互角以上に議論できる専門家が大臣や党首になってもらいたい,と思うのは筆者だけであろうか。また,企業幹部も同様であり,自社勤務の達人のみでは新時代を切り開いて行けないような気もするが,如何なものであろうか。読者のご意見を賜りたい。もちろん学者の戯言と言われないように十二分に留意する必要は肝に銘ずべきだが,ポピュリズムにも傾斜してはならないだろう。

 選挙には「投票による選挙」の他に「科目による選挙」もあるが,どちらも万能のシステムではない。中国で1300年も続いた「科挙」は朝鮮では採用されたが,我が国ではその制度は導入されなかった。このことが幕末から明治にかけて西欧化=近代化達成の大きな要因のひとつになったとも考えられるが,投票による選挙だけが民主主義の政治スタイルではなさそうである。国民としての政治的意思決定をどのようにすれば良いのか。与党過半数割れの事態を今一度考えるチャンスではある。

 戦時・準戦時体制でなければ政治体制を維持できない国家が現実に存在している以上,我が国だけが理想主義的平和国家でいられるはずはない。こうした国際情勢下にあって,膨張する近隣アジアの政治的経済的圧力に対して,有効な外交戦略はどのように構築すべきなのか。さらに,今なお太平洋戦争末期の「バケツリレー」程度の防災訓練しかイメージできない自治体が存在しているようである。度重なる大規模災害への対応として「防災省」は早急に組織化すべきであろう。そして,自衛隊の入隊は防災省に1年以上勤務した人から採用する必要があるのではないか。隊員の給料を上げることよりも重要な組織的課題である。個人優先の戦後教育の極みとも思えるのだが,「命令」に対して反感を抱き,上官に発砲するような事態も現実に発生している訳だから,そうした採用人事もシステム化すべきではないかと思えてくる。給料の多寡に関わらずフランス外人部隊に志願する青年も存在しているのであるから,彼らの処遇も考慮しても良いのではないか。

 また,多発する災害に対して復興対応費が補正予算で処理されているという実態や,予算委員会の場で政治倫理問題を審議しているというシステムはどう考えてもおかしな話である。熱狂による改革に陥ることなく,冷静な議論が待たれている。以上,いくつか現状の課題を論じたが,早急に改善されることを願っている。

[注]
  • (1)G・ルフェーブル『革命的群衆』岩波文庫,2007年。
  • (2)エドワード・H・カー『ナショナリズムの発展』みすず書房,1952年。
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3603.html)

関連記事

末永 茂

最新のコラム