世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国際金融のトリレンマからジレンマへ
(西南学院大学経済学部国際経済学科 教授)
2025.03.31
テキストブックにも載っている「国際金融のトリレンマ」として知られる命題がある。「為替レートの安定」,「金融政策の独立性」,「自由な資本移動」という3つの望ましい政策目標の鼎立は不可能で,どれか1つは放棄しなければならないという考え方である。この命題は,やはりテキストブックに載っている古典的な「マンデル=フレミング・モデル」(為替レート制度や自由な資本移動の程度によって,金融・財政政策の有効性が異なる)から証明されることが多い。
例えば,G7など多くの先進国では,「金融政策の独立性」と「自由な資本移動」を採用しているが,「為替レートの安定」は放棄して変動相場制を採用している。ユーロ圏では,「為替レートの安定」と「自由な資本移動」を採用して,「金融政策の独立性」は放棄している。かつてのブレトンウッズ体制では,「為替レートの安定」と「金融政策の独立性」を採用して,「自由な資本移動」を放棄,つまり資本規制が原則であった。
ところが近年,国際金融は緩やかな「トリレンマ」に制約されているのではなく,もっと厳しい「ジレンマ」に拘束されている研究動向が注目を集め,多くの実証研究が蓄積されてきた。最初は,ロンドン・ビジネススクールのヘレン・レイが2013年に提唱したものである(簡潔な要約は,Hélène Rey, “Dilemma not Trilemma: The global financial cycle and monetary policy independence”, VoxEU Column, 31, Aug, 2013)。
この副題にある「世界金融循環」(Global Financial Cycle:GFCy)とは,⑴グロスの資本フロー(資本流出入の急増),⑵資産価格の変動(バブルとその崩壊),⑶銀行貸出の伸び(レバレッジとデレバレッジ)のグローバルな連動性を意味する。つまり,バブルとそれに伴う過剰なレバレッジがあると,非居住者による資本流入が急増し,資産価格が暴落しデレバレッジが加速すると,居住者による資本流出が急増する。したがって,グロスの資本フローにはプロシクリカリティがある。
「アメリカがクシャミをすると日本がカゼをひく」と言われた「実体経済の世界的な連動性」が,「貨幣経済のグローバルな連動性」も観察されると言ってもよいかもしれない。ただ,このGFCyは,リーマンショック(世界金融危機)後に,連邦準備制度理事会(FRB)をはじめとする先進国中央銀行が採用した「非伝統的金融政策」(量的・質的緩和政策とゼロ金利政策)とその正常化が,周辺国にいかなる波及効果(スピルオーバー効果)を及ぼしたかという分析において,主に確認されたことである。つまり,「中心国の非伝統的金融政策→周辺国への資本流入の急増→周辺国のバブル」,逆に「中心国の非伝統的金融政策の正常化→周辺国からの資本流出の急増→周辺国のバブル崩壊」という現実から抽出された分析結果である。
上記の観察だけならば,取り立てて目新しいことではないかもしれないが,重要なことは,この資本フローの動きと,為替レート制度の間には,何の関係もないことっである。FRBの金融政策の緩和や引き締めに応じて,グロスの資本フロー,資産価格,さらにレバレッジが互いに連動するというGFCyが確認されるという論理に,為替レート制度は何の関係もないのである。つまり,伝統的なマンデル=フレミング・モデルならば,中心国の金融緩和(逆に金融引締),周辺国の資本流入(逆に資本流出)を引き起こす場合,周辺国は為替レートの増価(逆に減価)で対応すべきということになる。それゆえに,国際通貨基金(IMF)は,アジア通貨危機以前から,新興国にも「資本の自由化と変動相場制」を推奨してきた。
このGFCyという分析が「トリレンマからジレンマへ」という命題とどのように結びつくかと言えば,冒頭で述べた「為替レートの安定」,「金融政策の独立性」,「自由な資本移動」という3つの望ましい政策目標のうち,「為替レート」という選択肢が脱落し,「金融政策の独立性」と「自由な資本移動」の2つが両立しないというジレンマに直面することになる。すなわち,①「自由な資本移動」を選択すれば,金融政策の独立性を放棄して,金融政策は中心国中央銀行に追随せざるをえず,②「金融政策の独立性」を選択すれば,資本の自由化を放棄し,「資本規制」を採用せざるをえなくなったのである。
これは驚くべき結論である。なぜならば,多くの新興国は,②の選択,つまり,先進国の中央銀行からは独立した金融政策を望むはずであり,その場合には資本規制を採用せざるを得ないからである。逆に,①の選択,つまり金融政策の独立性を放棄して,先進国の中央銀行に全に追随する「ドル化」(Dollarization)を選択し,インフレを押さえ込もうとする国は,現在でも少なからず存在する。
なお,国際通貨基金(IMF)は,2012年に「資本フローの自由化と管理:機関としての見解」を公表し,「資本フロー管理政策」(Capital Flows Management:CFM)と「マクロプルーデンス政策」(Macroprudential Measure:MPM)を重視した。この「機関としての見解」は,2022年に見直され,CFM/MPMは,新型コロナウイルスのパンデミックが始まった当初における大規模な資本流出と,ロシアのウクライナ侵攻を受けた一部の新興市場経済における資本フローの混乱に対応するために強化された。1990年台には,新興国にも資本の自由化を推奨したIMFから見れば,隔世の感がある。
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