世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2722
世界経済評論IMPACT No.2722

気候変動適応と貿易:WTOの取り組み

松村敦子

(東京国際大学経済学部 教授)

2022.10.24

 WTO(世界貿易機関)が2022年11月に発行する2022年版世界貿易報告書(World Trade Report 2022)では,「気候変動適応と貿易」というテーマが取り上げられる。その内容紹介が2022年9月にWTOホームページに掲載された。WTOが「貿易と環境」のテーマの一部としての「気候変動適応と貿易」に関してどのように取り組んでいるのか,以下でじっくりとみていきたい。

 「気候変動適応と貿易」に関する取り組み自体はWTOの現在のワーク・プログラムに明示的には含まれず,気候変動に特定化されるWTOルールも設定されていない。しかしながら,気候変動に対して社会・経済システム等を調整することにより悪影響を軽減する「適応」においては貿易の役割が重視されること,気候変動問題解決に向けた多国間協力や国際機関を通じた適応策で整合性が重視されることなどにより,WTOでの取り組みの重要性が高まってきており,本年の世界貿易報告書で取り上げられることになったと考えられる。

 本報告書における「気候変動適応と貿易」の内容は,3つの柱から成る。第1点目として,まずは気候変動が貿易に及ぼす影響が考察されており,短期的影響としては気候変動での自然災害等による生産性低下と貿易費用の増大,サプライチェーンの断絶が考えられ,こうした生産体制での悪影響を通じて長期的には比較優位構造に変化がもたらされる。特にサハラ以南アフリカ,南アジアにおける農業輸出において,気候変動の影響による被害が大きいとしている。

 第2点目として,気候変動適応における貿易と貿易政策の役割について考察されており,輸出増加による経済成長により気候変動適応戦略での投資増大につなげることができること,気候変動対応に必要な気象予報サービス,保険,電気通信,輸送,健康に関するサービスなどの貿易が有効に作用することなどが挙げられている。また,気候変動により特定国の作物の収穫高が減少して食料不安を引き起こす場合には,食料の需給ギャップを埋めるための貿易促進が重要性をもち,農産物の関税引き下げや通関手続きの簡素化などの適切な貿易政策も有効であることが指摘される。一方で,気候変動による製造業セクターへの影響とそこでの貿易の役割に関しては,サプライチェーンへの悪影響を最小化するためのWTOの役割として,サプライチェーン強靭化のための情報提供,貿易障壁引き下げ,通関手続き簡素化,貿易政策の透明性確保などの対応を重視している。気候変動適応に有用な新たな財・サービスの市場獲得による貿易拡大の過程で技術革新と技術波及効果が生じ,ここで貿易拡大による規模の経済性を通じた生産効率上昇も相まって,様々な気候変動適応技術開発等の費用を低下させる可能性が協調されている。

 第3点目として,より野心的で実行可能性の高い気候変動適応戦略のための国際貿易面での協力の重要性が指摘されている。ここでは気候変動によって大きな被害を受ける途上国支援が中心テーマとなる。WTO加盟国による環境関連の897の通報のうちの18%が気候変動適応に関するものであり,そのうちの半数以上が農業セクターに集中し,特に途上国への金融的支援が重要性をもつとされる。2022年6月に開かれた第12回WTO閣僚会議では,食料,肥料を含む様々な農業セクター投入財の貿易の促進と,農業生産性向上のための協力が確約された。また,発展途上国での気候変動に対する強靭性の確立に向けたキャパシティー・ビルディングのため,WTOは気候変動適応目的の技術移転を支援している。一方,WTOは途上国の貿易関連能力の向上を通じて経済発展と貧困削減を達成しようという「貿易のための援助(Aid for Trade)」の取り組みを行っており,ここで気候変動適応への支出額は2010年の11.4億ドルから2020年には57.5億ドルまで増加している。

 WTOでは,2022年10月17日から21日までを「貿易と環境ウィーク」として,多国間貿易と国際協力を通じた環境問題解決のための議論を行うためのプラットフォームを提供し,「多国間貿易と環境協力:危機への対応と更なる強靭性に向けて」と題したパネルディスカッションも行われた。こうした取り組みにより多国間貿易を通じた気候変動適応への意識を高め,適切な政策立案の必要性を発信することが重要である。以上でみてきたとおり,貿易面からの気候変動適応には多岐にわたる内容が含まれており,今後のWTOでの細かな取り組みの進展を注視していきたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2722.html)

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