世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
追憶のメコンデルタ
(東海大学政治経済学部 教授)
2022.10.03
2022年夏ベトナム農村調査
8月29日から9月5日の日程でベトナム南部メコンデルタでの農村調査に赴いた。今夏は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う規制が国際的に緩和傾向にあったことを受けて,7月末から8月上旬に学会報告でパリ,8月中旬に農村調査でベトナム北部(ハノイ市,フンイエン省)と海外渡航が続いた中でのメコンデルタ訪問となった。日本帰国に際し,現地でPCR検査を都度受ける煩雑さはあったが(9月7日にワクチン3回接種者に対しては現地PCR検査が不要となった),久々の海外渡航はパリもベトナム北部も学ぶところ多く,有意義であった。今回のベトナム北部とメコンデルタでの調査は佐賀大学農学部の辻一成先生を研究代表者とする科学研究費助成事業「ベトナム・メコンデルタにおける農業構造変化と農業生産力の保全に関する国際共同研究」[国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))]の一環として行われている。1990年代から長憲次先生(現・九州大学名誉教授),岩元泉先生(現・鹿児島大学名誉教授)が中心となり進められた貴重な農業・農村パネル調査を受け継ぐ科研費事業である(注1)。
長先生,岩元先生の科研プロジェクトの報告書を拝読したことがあるが1990年代,まだベトナム調査には様々な制約があった中で収集された詳細な農業生産に関するデータの集計値が報告されており,当時大学院生だった私にとって農村調査の理想形の一つとなった。パネルデータは同じ農家について年月を跨いで追跡調査し収集するデータであり,ただでさえ貴重である。年月を経て調査のラウンドを重ねれば,そのデータの価値はさらにあがっていく。ゆえに,いまや貴重な研究資産となったこの調査にメンバーとして加えていただいたことは大変光栄なことであった。
追憶のメコンデルタ
私の憧憬の対象であったベトナム農村調査に参加できるということもあったが,今夏最後の海外渡航地となったメコンデルタ,特に中心にあるカントー市は私が初めて渡越した際の思い出の地でもあったため,渡航前から高揚感を覚えていた。
私が初めてベトナムを訪れたのはまだ大学院生であった頃の2002年9月のことである。3週間強ベトナムに滞在し南部と北部をまわった。当時,北部はまだハノイとハタイ省が合併する前で,ハタイ省の農村で絹織物等の農村工芸を見せてもらったことを思い出す。南部では初めからメコンデルタを訪れる予定であり,私はホーチミン市でバックパッカー通りとして有名なファングーラオ通りに宿をとっていたが,その近くデタム通りにある老舗旅行代理店シンカフェ(現在はSinh Tourist)のメコンデルタツアーを利用してカントーに赴いた。当時のカントーはまだハウザン省が分離する前であり,行政区画としても中央直轄市になっておらず省の位置づけであった。川岸に水上で生活する低所得者のバラックが多く存在し,Xe Lôiとよばれるオートバイに荷台を繋げたような運搬兼バイクタクシーが多く走っていた。舗装されていない道も珍しくなく,夜になると川に大きな蛍が何匹もいて,それが夜闇に映えていた。カントーからはアンザン省のロンスエンを通り,カンボジア国境のチャウドックまでバイクタクシーと路線バスを使って足を延ばしたことも覚えている。道路はほとんど舗装されておらず,大雨後に道が洪水状態になっていたり,路線バスのタイヤがパンクしたり(昔は日本の中古路線バスも走っていた),不便にも直面したが,路線バスの中は行商人が多く,売り物のドライフルーツを少し分けてくれて「ngon không(おいしいか)」と尋ねてくれたことが懐かしい。
今夏の調査ではそうした思い出を胸にカントーを訪れたが,20年前とは別世界のようであった。街中が明るく,夜でも暗いところがほとんどない。道路は拡張され,至るところ自動車の波である。スーパーマーケットで必要なものがそろうため,有名な水上マーケットもほとんど観光用と化していた。大きなショッピングセンターはまるで日本の百貨店にいるようで,洋服や化粧品などが所狭しと並んでいる。レストラン街も賑やかで若者たちが焼肉や回転ずし等をほおばる姿が見えた。このレストラン街にいた若者たちを見て,20年前カントーを案内してくれた女性のガイドさんを思い出した。家族ぐるみでカントーのガイドを営んでいたが,私が「日本にも是非来て」と話すと「私には海外旅行は高すぎて無理」と答えたのを思い出す。
ベトナムの経済発展に思う
ベトナムの経済発展がメコンデルタの都市,農村にも浸透していたことを今夏は目の当たりにした。世界銀行はコロナ禍の後にもかかわらずベトナムの2022年の経済成長率を7.5%と推計しており,その経済の強靭性(resilience)には改めて驚嘆させられる(注2)。他方であまりにも急激な経済成長は拝金主義など倫理的な面で人々の荒廃をもたらすこともある。それは20年前への追憶とベトナムの経済成長を目の当たりにした驚きからくる私の杞憂かもしれないが,2045年にはベトナムは先進国入りを目指している。ベトナムが先進国のビジョンをどのように思い描いているのか,これからも注視していきたい。
[注]
- (1)詳しくはその成果である長憲次(2005)『市場経済下ベトナムの農業と農村』筑波書房を参照。
- (2)Vietnam’s Economy Forecast to Grow 7.5% in 2022, New World Bank Report Says(2022年9月29日閲覧)
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