世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2965
世界経済評論IMPACT No.2965

述 懐:イラク戦争から20年に思う

高橋 塁

(東海大学政治経済学部 教授)

2023.05.22

20年を経たイラク戦争

 未だ混迷を見せるウクライナ情勢,世界的なインフレ基調など,新型コロナウイルスのパンデミック収束が見えてはいるが,国際情勢の不安定要因は尽きない。この原稿を執筆している2023年のゴールデンウィークではスーダンの激しい軍事衝突が泥沼化の様相を呈しており,ウクライナへのロシア侵攻とならび21世紀に尽きない暴力の応酬に暗澹たる思いを抱くのは筆者のみではあるまい。

 そうした中,2023年は2003年に開戦したイラク戦争から20年ということで,各種メディアで,イラク戦争を振り返る報道がみられるようになった。大量破壊兵器保持に関するイラクの義務違反を主な理由としてアメリカを主体とする有志連合国とイラクとで開戦に至った戦争であるが,このコラムの読者の中にも熱狂する民衆の中で米軍により倒されるサダム・フセイン像の映像を強く記憶に刻んでいる方も少なくないと思う。イラク戦争は,少数の兵士投入と無人機等ハイテク兵器導入の進展,戦闘終了後の国の統治混乱など,今日の国際情勢につながる様々な問題の起点ともなる戦争であった。また周知のように開戦の理由となったイラクの大量破壊兵器は結局見つからず,戦争終結,米軍撤収も開戦から10年近く経過したバラク・オバマ政権のときに行われるなど,多くの疑問と費用を抱えた戦争でもあった。ウクライナ情勢が人道的に極めて厳しい状況になっている中で,イラク戦争が今日盛んに顧みられることは当然といえよう。

英国の思い出

 イラク戦争について,私には強く記憶に残る思い出がある。2018年4月から2019年3月まで私は家族とともにロンドンに滞在し,長男を地元の小学校に,長女を併設のナーサリーに通わせることとなった。長男,長女が通う小学校・ナーサリーは,中東の文化で彩られ,ムスリムの人々も多く住んでいるロンドン北西部のエッジウェアロード近くにあったので,児童もムスリム家庭の子女が多く,学校で出される食事は当然配慮されていたし,ヒジュラ暦に従った主要行事について学ぶ機会が多かった。私も学校の行事や父母会の集会などに参加し,多様な文化的背景をもつ人々と交流する機会を得ることができた。私にとっては非常に有意義で楽しいひと時であったし,子供たちにとっても成長につながるかけがえのない日々であったと思っている。

 秋になり,ロンドンもサマータイムが終わったころ,長男と同じクラスでとても仲の良い友達のご両親に自宅へ招待していただくことになった。ご自宅は公営の高層住宅にあり,エレベーターで長男,長女とともに上層階に上がると長男の友達のお父様が出迎えてくださった。イギリスの小学校は,大きなゲートで厳重に施錠されていることが多く,帰りの時間になると子供たちが校庭に集められて保護者が迎えにいかなければならない。出迎えてくださったお父様は,初老の威厳を感じる男性であり,いつも電動車椅子に乗って小学校までお迎えに来られていたのを私も覚えていて,良く知っていた。

 長男と長女が友達と楽しく遊んでいる中で,私は丁重なもてなしをいただきながら,お父様とひとしきり話した。英語はあまり得意ではないご様子であったが,それは私も同じだったので,かえって自分の考えていること,思っていることを率直に伝えあうことができた。その中で,彼はイラク戦争のことを語ってくれた。長男の友達のご家族は,イラクご出身で,イラク戦争終結後の混乱の中,スウェーデンのマルメーに行き,そこでしばらく過ごしてから,ロンドンに移り住んだとのことであった。お父様はイラク戦争で軍人として戦地に赴き,銃撃を受けて負傷した。私にその傷跡を見せ,それにより足が不自由になってしまったことを伝えてくれた。電動車椅子を利用されていたのはそのためだったのである。

 会話が進む中で,「サダム・フセインの時代の方がよかった,医療も教育もタダであったし」,彼はそのように話した。イラク戦争後,米軍を中心とする占領政策は混迷し,その影響はいまだに続く。それは母国に思いを馳せる望郷の気持ちから発せられたなどと単純に受け止めることはできなかった。「正義」という価値観の問い直しが迫られたような気がしたし,また適応性を考慮しない民主主義の押し付けのもとに進められる暴力への怒りを感じたからである。

 その後,お母様も途中から会話に入られ,お子様(長男の友達)はイギリスで生まれたから,アラビア語を毎週学ばせていることを話してくれた(ちなみに私たちの自宅近くにはリージェンツ・パークがあったが,そこにはロンドン・セントラルモスクがあり,アラビア語教室や学習教材の売店もあった)。遠くイラクから離れても,自らのアイデンティティや価値観をとても大切にしていることがうかがえた。

 今日,ウクライナやミャンマーをはじめ,争いや暴力はいまだになくならず,それどころか苛烈さを増している。なぜ世界は一方の価値観の否定から入るのか? なぜ世界は暴力につながろうとするのか? イラク戦争から20年経過した今,長男の友達のお父様はこの世界に何を思っているだろうか? もう一度話を伺ってみたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2965.html)

関連記事

高橋 塁

最新のコラム