世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
交渉という名の強要:トランプの米国にどう対応すべきか
(関西学院大学 フェロー)
2025.07.14
トランプ大統領は,大統領専用ヘリで移動中,米空軍のイラン核燃料貯蔵施設爆破計画(Midnight-Hummer計画)に承認を与え,B-2ステルス爆撃機群がイランの目標3か所に14発の地下貫通弾を投下したという(NYT2025年6月25日:”How they did it”)。空爆成功の報を受けた大統領の脳裏には,第一期政権就任直後,フロリダに向かう大統領専用機の中からシリア爆撃の命を発し,その成功の報を,習近平との昼食会の,しかもデザートの時間にポツリと口に出した。歴史とは皮肉なもの,第二期トランプ政権にとっては,アサド政権打倒を果たしたシリアの現政権は,中東情勢への対処や地中海でのロシアの影響力を減じるため,今ではむしろ手を差し伸べる対象。対してイランは,直前のトランプ自身の中東歴訪で,数多くの対米投資を約束させたアラブ系の国々とは潜在的に対立するペルシャ人の国。加えて,イスラエルのネタニヤフ首相自身が米軍のイラン核施設爆撃を何度も要請して来ている。トランプにとって状況は,「巧いタイミングをとらえて素早く,そして断固たる行動をとることが如何に大きな利益に結び付くか」(トランプ自伝)を実証する好例と映ったのだろう。
イランの核燃料貯蔵所爆撃の話を続けると,爆撃直後,トランプ大統領は「ウラン濃縮施設を完全に破壊した」と主張した。ところが,そんな当初のトランプ流成果誇示も,その後,米国国防省情報局担当者が,「今回空爆は,イランの核開発プログラムの中核部分を破壊するには至っていない。肝心の遠心分離機はほぼ無傷で,精々,開発計画を数か月後退させた程度…」と述べた旨の初期評価を,CNNが報道するに及んで,雲行きが少し変わってくる。
勿論,トランプ自身はその評価をフェイクだと発言,ホワイトハウスも,その種の評価は事実に反するとし,へグセス国防長官自身も己の所轄の担当者の初期評価コメントを,「情報局の一担当官の見方に過ぎない,国防総省の正式の見解ではない」と否定,CIAのラトクリフ長官も「攻撃によって,イランの核施設は打撃を受けており,その再建には数年かかる」と宣言,トランプ政権はあらゆる手を使って,この初期評価のインパクトを否定するのに躍起となった。
しかし,巷間伝わるように,爆撃時に濃縮ウランは既に他所へ搬出済み(FT紙報道)で,且つ,仮に上記国防省担当者の初期評価通りの結果だったのだとすれば,この停戦は,イランの核開発願望を一層強め,それを知っているイスラエルのネタニヤフ首相が再び躍動,故に停戦も一時的なものに終わる可能性もありうる。いずれにせよ,トランプの決定とその結末が不完全な事例を何度も見せつけられていると(例えば,就任初日にウクライナ停戦を実現させる,対中関税の引き上げを即時実施する等などの言動と,それらの現状),「この大統領の言う交渉とは何なのだろう」との素朴な疑問が心に付着して離れない。言い換えると,彼にとっての交渉とは,所詮,本当の,実質的交渉に入るための,“端緒を創る”だけの意味でしかないのではないかと…。その後は,押して,押して,押しまくるのみ(トランプ自伝)。
直近,トランプ大統領の関税政策をTACOと呼ぶことが話題になった。この言葉,コラムニストRobert Armstrong が5月2日付のFT紙に書いた記事中で “Trump always chicken out”と書いたもの。TACOは,その最後の結論文章の頭文字を連ねた略称。つまり,トランプは,最後には常に怖気づいて,行動を躊躇すると…。
こうした揶揄。それに対し反論する一部トランプ支持派。この両者の,大統領らしさとは何か,そのイメージを巡って180度異なる見方のあることを示している。一方は,トランプを権力という形に拘わる権威主義者と見做し,他方は,彼を「人生の目的は,何かを成し遂げるため…そのためには,時には競争相手をけなすのも駆け引きの一つ…」(トランプ自伝)と好意的に観る。
長年トランプ大統領を遠巻きに観察してきた筆者には,大統領の交渉観が,“極めて融通無碍で,提起する焦点を状況次第でコロコロ変える,いわば目晦まし戦術とセットになっている点”を強調しておかねばならない。更に,“己に対しての相手の対応ぶりの如何で,相手に対する己の対応の仕方を変える”,その意味では,極めて厄介な思考の持ち主であることも併せて指摘しておきたい。
これは前述のトランプ自伝に曰く,「私は融通性を持つことで,リスクを少なくする。一つの取引やアプローチにあまり固執せず,幾つかの取引を可能性として検討する…一つの取引に臨む場合,これを成功させるための計画を少なくとも5つ~6つは用意する」とあることからも的外れではないだろう。
この考え方を,今回関税賦課問題に適応してみると,対中関税→対中・加・墨への関税賦課→全世界対象の相互関税へと,問題提起の範囲を徐々に拡大し,それでも問題解決の前進に明確な展望が見えないとなると,対米投資促進→米国進出企業への課税問題(内国歳入法に,在米外国企業に新しく報復税とも見做しうる課税率引き上げ条項を盛り込む)→議会審議中の予算案に同事案を潜り込ませる(内国歳入法に899条を新設)として提起し,EUや日本など,米国に多額の投資を実行済みの国々に或る種の脅しをかける等,従来一つだった争点を,解決が難しいと見るや,次々と拡大・追加して行くのだ。
ここからは私見になるが,そもそものトランプの問題意識そのものが,現在の,世界経済に占める米国の在り様の本質から逸れている。
中国の改革開放を起点に,1989年のソ連崩壊後,米国一人勝ちの状況が出現してから45年超を経た現在,これまでに世界に広まった経済のメカニズムは,概ね以下のようなものだろう。
米国並びに西側の企業の海外への生産拠点の移設→欧米金融資本が追随→金融グローバル化も相俟って米国発の金融技術・手法が世界に拡散→製造生産移転先国からの対米輸出の増大(米国の貿易赤字の恒常化:代表例は中国)と,それら輸出国の稼得資金の米国への還流(受け皿は,米国国債や米国企業が創出した各種の金融商品)。
要は,米国経済は貿易赤字を受容することで,世界の製造企業を活気づかせ,それら企業群は稼得した輸出代金や,自ら成長して生み出した余剰購買力を,米国の国債や企業債,或いは新種の金融商品の購入に振り向ける…。こうした,総体として米国が得する骨太のメカニズムの結果,必然的に,米国は金融分野で超大国化し,製造分野では小国化した。裏を返せば,それが,米国の歴代政権が取ってきた政策選択のはずだった。そして,このメカニズムが継続されるためには,米国は貿易赤字を続け,対して,貿易黒字国は稼得した米ドルを,米国の株式・証券(含む国債,新型金融商品)市場に投資し続ける,つまり,それだけ米国の株式・証券市場が活況を呈していなければならない。ところがトランプは,こうした全体メカニズムを考慮せず,自国に都合の悪い貿易赤字の部分のみに焦点を当て,米国は虐げられているとし,一方では米国企業のManufacturing Renaissanceを掲げ,他方では対米貿易黒字国を非難し,相互関税や諸々の個別関税(自動車やアルミ製品等)を賦課する姿勢を示すわけだ。
こうした状況下,7月4日にトランプ大統領は,「貿易相手国にかける税率が様々に異なり,最大70%(10%プラス60%の意味だと解釈されるが,詳細は不明)に達するだろう…各国別に,それぞれが適用される税率が順次通知され,新しい税率の実行開始日は8月1日から…」と一方的に宣言したのだ。
7月4日現在,米国と個別交渉で折り合った国は3か国。英国,ベトナム,それにカンボジアという。アジアのいくつかの国々では,ベトナムとカンボジアに続けとばかり,対米交渉を加速させているようだ(日本経済新聞2025年7月5日付等など)。では,日本はどうか。ベッセント財務長官は「日本は参議院選挙を控えており,そんな事情を考えれば,このタイミングでの妥協はむつかしいだろうから,当面は様子を見る」と語っている(CNBCでのインタビュー)。
しかし,トランプ大統領は,米国東部時間の7月7日正午付でSNSにて「石破首相宛てに25%の関税を日本に対し賦課する旨をしたためた書簡を送った」と公表した。適用は上記のとおり8月1日からとしている。
しかし,トランプ大統領の頭の中には,ミクロの問題意識はあっても,マクロの視点が決定的に欠けている。つまり,ゼロ・サム思考から離れられない。
だからこそ,相互関税を実施に移す直前,米国市場で証券や国債が値下がりし始め,慌てて相互関税実施を7月初旬まで延期したりすることになる。生じた事態の深刻さに驚き慌てる(TACOという言葉の出現は,そうした事例故)。
もう一つの問題点は,トランプの打ち出す方向性に,ホワイトハウス内でチェックが入らない点が挙げられよう。第一期トランプ政権時には,ホワイトハウスに,当時の共和党主流の考え方に近い大物閣僚が大勢いたし,その彼らがトランプの考え方の多くを否定し,為に,反対者の多くが更迭されもした…。
だが,今回の政権内部はトランプ追随者ばかり。関税交渉などの場合,米側閣僚相手に事務的詰めをいくら行っても,それがトランプの望む方向のものでなければ,全ては無駄に終わる。これを名指しされた相手国の立場から見ると,トランプ大統領自身,己が望むもの以外の対案を受け付けない,そんな立場を取るならば,それは最早,交渉ではなく,強要。そうなれば,トランプの“交渉”なる概念の実態は,「立場の強い者の,弱い者虐め」の性格を濃くせざるを得ない。
さて,そんなトランプの強圧的対応に,ではどう対処すればよいか…。
これまでに筆者が議論し,またご意見も伺った何人かの識者の意見を,精神論を含め,箇条書きして紹介したい。
先ずは,トランプ強圧への対抗には,「寄らば,切るぞ」との,心中の気迫が不可欠だという。もし,そうした気迫が日本にあるのなら,外貨準備としてドル保有の高い日本や英国のThink Tankが米国のピーターソン研究所辺りと共同研究プロジェクトを立ち上げ,トランプ関税が米ドルの価値下落に結び付くメカニズムに結びつく可能性や,そのリスクに警鐘を鳴らすシンポをワシントン辺りで開催する。或いは,EUと組んで,関税政策の悪弊が起こる可能性を積極的に対米広報する等など…。要するに,トランプを再度TACOにすれば良いのだ…。
しかし嘗て橋本政権時代,通貨を交渉の梃にしようとして,手痛いしっぺ返しを食った先例は未だに忘れられない。それにしても,この時代,トランプ関税政策の不条理を米国の有力紙に投稿する,日本人学者が何人かいても良さそうなものなのだが…。
次に,第一期レーガン政権発足当初,米国の産業競争力委員会が纏めたレポートの中の一節,「一国の産業競争力と個別企業の国際競争力とは違う」との認識に着目し,国と個別企業が,それぞれの立場で,従来からの市場戦略の方向を再考することが必要という。
この議論を発展させれば,多くの米国のハイテク企業の実像が明らかになる。彼らの多くは,技術は本国で開発し,しかし,米国内での生産は少なく,実際の生産を海外で行っている…。翻って,日本の自動車産業はどうか。米国市場への取り組みに於いて,地産地消を追求するスタイルでは,恐らくトヨタと他のメーカーでは,取り組み得る体力に,差が出るのは当然だろう。故に,この機会に自動車産業内で合併などを含む大規模な構造変化が起きる。或いは,起こす。国もまた,そうした産業再編を助長する。亦,自動車各社にとってのグローバル経営戦略は,そうした環境激変で,自ずとそれぞれに違ってこざるを得ない。そうなれば,一方では,米国市場と心中する企業も出てくれば,他方では,米国市場向けと中国市場向け,或いはインド向け等など,それぞれの市場毎に戦略を異にするように,地域別に経営体制を違える企業も出てこよう…。
三つ目は,この米国の相互関税や自動車関税賦課を,危機転じて機会に変える方向での国の政策転換…。ある専門家曰く「日本に必要なのは米国市場だが,その理由の一端を辿ると,自動車の米国市場依存という現実があるからで,その現実故に,逆に日本の産構造転換が今まで進まなかったのではないか…。世界に技術革新ムードが蔓延し,従来型産業分野で後発国の追い上げが激しくなっている今,トランプ関税禍はむしろ,見方を変えれば,日本の産業構造転換のチャンスとして生かせるのではないか…。つまり,現在の産業構造の中心である自動車からウエイトを次第に変じ,将来の産業構造の軸となる,電子や航空機,宇宙,デジタル,金融などの分野に,外資をもっと呼び込む等,産業政策の軸足を移し換える…。人口が減る中,今そこにある労働力不足への解消策を,その種の産業転換の過程から生み出す。また,自動車産業の系列から外れる中小企業に,電子や航空機などの新しい産業でも応用できる技術開発・生産能力付与の支援を行う等など…。また,ある専門家曰く,「米国一国の25%の関税率引き上げは,対米輸出の視点で言えば,為替レートが1ドル150円から120円ぐらいになるのと同じ効果。だが,米国以外の国向け輸出では,為替レートは依然,1ドル150円にとどめ得る。だから,米国市場では,関税上昇による現地価格の値上げを,時間をかけて実行すればいい。と同時に,市場多角化の観点から,その他の国向け輸出促進を図ればよい。要するに,日本の各種情報によれば,「企業も結局は,現地価格の引き上げで対応するしかない」とわかっている。
尤も,世の中,そう簡単には行かないらしい。自動車各社が関税引き上げ分を現地価格に一挙に上乗せすれば,現地販売会社は当然に赤字化する。ところが,その際,日本の親会社が黒字であれば,厄介なことが発生するらしい。米国の税務当局が,「米国子会社の赤字は,利益を日本の親会社に付け替えているせいだ」と判示するからだとか…(日本経済新聞2025年7月1日)。だとすれば,現地での販売価格引き上げも,時間をおいて,GMやフォードといった米国の自動車会社自体が値上げをする瞬間まで待てばよいではないか…。勿論,その間,日本の親会社は現地の赤字を被る覚悟はあるのだから…。つまり,トランプとの勝負には,敢えて時間差を置くのだ,と。
更に別の専門家は,「自動車に関しては,日本は,韓国,EUなどと連携し,米国内で生産する自動車の台数に相当する輸出分の関税率を,少なくともゼロ,もしくは,世界共通に適用される相互関税相当分,つまりは10%に留めるよう,しぶとく粘るべきだ」と主張している。他方,別の専門家は,米国側に,それぞれの税率の違いに合わせて,原産地規則の適用をどうするのか,実務的問題点をじっくり問い詰めろと提言する。伝聞では,タイなどは,この原産地規則の点で,米側と何とか折り合おうとしている模様だが,専門家によると,この原産地証明の問題,実務的には決してなおざりにできないとのことらしい。併せて,現在,EUが指向しているような,米国抜きの広域経済圏創りの可能性も真剣に検討する。その際にも,上記の原産地証明制度はしっかりと制度作りを図るべきとしている。
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