世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米国家計の貯蓄・投資行動の構造変化
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2025.07.14
大幅に薄れた資産残高と貯蓄率の負の相関
米国では資産価格が上がって個人の保有資産の評価額が上昇すると,心理的効果や家計が保有資産の値上がり益を引出すことなどによって個人消費支出が増え,貯蓄率が低下するという資産効果が強いとされてきました。実際,1960年1-3月期から2013年10-12月期の期間では家計の純資産残高の個人可処分所得に対する比率と個人貯蓄率の相関係数は−0.826であり,かなり強い負の相関があったことがわかります。しかし,2014年1-3月期から2025年1-3月期には両者の相関係数は−0.221となっており,負の相関は大幅に薄れ,資産効果がほとんどなくなったように見受けられます。
家計の金融資産の蓄積が進む
家計の貯蓄は,一部は住宅などの実物投資へ,残りは金融資産の取得に回ります。1960年1-3月期から1995年1-3月期の金融資産の純取得(金融資産の取得-負債増)の個人可処分所得に対する比率は平均6.7%であったのに対し,同期間の実物純投資(総投資-資本減耗)の個人可処分所得比は平均3.5%であり,傾向的に金融資産の純取得の方が大きくなっていました。しかし,その後の不動産ブームで住宅投資が増え,2005年7-9月期には実物純投資の可処分所得比は5.4%まで上昇しました。一方,住宅ローンなどの負債が増大したことで金融資産純取得が減り,2005年4-6月期には可処分所得比−3.1%とマイナスに転じました。
しかし,リーマンショックを経て実物投資が減少する一方,金融資産純取得は増大し,再び実物純投資を上回るようになりました。コロナ禍後は多額の給付金支給などの影響で大きく変動しましたが,2025年1-3月期も金融資産純取得の可処分所得比が3.0%,実物純投資は1.8%と,金融資産純取得の方が上回っています。金融資産の値上がりも相俟って,純金融資産残高(金融資産残高-負債残高)は大きく増大しました。純金融資産残高の可処分所得比は,2009年1-3月期の292.8%から2025年1-3月期には485.0%まで上昇しました。同期間に実物資産残高の可処分所得比は253.4%から275.0%への上昇に留まっています。大きな金融危機を経験し,家計は消費支出や実物投資より,金融資産の蓄積を優先する傾向が強くなったようです。個々人にとっては賢明な判断かもしれませんが,蓄えを厚くするだけの収入に余裕がある人とない人との間で資産格差が拡大することは,社会の分断を招く面があり,問題でしょう。
国内民間部門の需要不足が常態化
家計の金融資産蓄積志向の高まりのもうひとつの問題は,財・サービス需要の減退です。家計の資本移転を除く貯蓄投資収支は,1975年4-6月期にはGDP比+9.5%の貯蓄余剰であったものが,2005年7-9月期には同−2.6%の貯蓄不足に至りました。貯蓄余剰から貯蓄不足に転じたことは,家計の支出の伸びが所得の伸びを上回っていたことを示しており,家計が需要面でこの間の米国経済の成長を支えたと言えます。しかし,その後は再び貯蓄余剰に戻っています。2025年1-3月期はGDP比+1.9%の貯蓄余剰でした。近年は企業も貯蓄余剰であることが多くなっており,2025年1-3月期は同+0.3%の貯蓄余剰でした。家計と企業を合わせた国内民間部門は貯蓄余剰,つまり需要不足が常態化しています。
民間部門に代わって政府が需要を下支えしてきたことが,大幅な財政赤字と政府債務の累増を招いています。連邦政府,州・地方政府,社会保障基金を合わせた一般政府の総債務残高のGDP比は,リーマンショック前の2007年10-12月期のGDP比89.7%からコロナショック前の2019年10-12月期には136.5%へと上昇し,2025年1-3月期には140.8%へとさらに上昇しています。7月4日,トランプ大統領は「一つの大きくて美しい法案」と名付けた減税法案に署名し,2017年のトランプ減税の延長が決定されました。トランプ関税の発動によって景気の悪化が懸念される今,短期的には財政政策による景気下支えが必要かもしれません。しかし,家計を中心に民間部門での貯蓄余剰=需要不足が続く中,大幅な財政赤字が続き,政府債務の累増に歯止めがかからず,米国債や米ドルへの信認が低下しかねないことには注意が必要です。
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