世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
EUの脱炭素化政策の大転換と日本への含意
(多摩大学 教授)
2025.10.20
1.脱炭素化至上主義から競争力強化と脱炭素化の両立へ
EUが環境政策の大転換を進めている。EUの環境政策は,フォン・デア・ライエン欧州委員長の一期目(2019-24年)には,2050年の気候中立を目指すグランドストラテジー「欧州グリーンディール」の下,遮二無二,脱炭素化を追求した。しかし二期目(2024-29年)を迎えた同委員長は,競争力強化を最優先課題とした新しいグランドストラテジー「競争力コンパス」を2025年1月に打ち出し,「脱炭素化は,あくまで競争力強化との両立の下で推進される」,と大きく軌道修正した。新戦略具体化のため,クリーンテック技術振興やエネルギー多消費産業支援を目指す「クリーンインダストリアルディール」や,サステイナビリティ報告,タクソノミ-,炭素国境調整措置等の適用対象・報告内容を大幅に緩和する「オムニバスパッケージ」を矢継ぎ早に打ち出している。
2.政策転換をもたらした企業の競争力低下と国民の生活困窮
欧州グリーンディール下での,規制の厳格化中心の脱炭素化の推進は,それを遵守するための多大なコスト増によって,EU企業の競争力を低下させると共に,EU市民の生活の困窮化を招いた。さらに,2022年2月以降のロシアのウクライナ侵攻は,ロシア産の安価な化石燃料の輸入に依存していたEUのエネルギーコストを上昇させ,企業の競争力低下と市民の生活困窮を深刻化させた。それはEU域内で‘Green Backlash’(厳しい気候変動対策強化への反発と揺り戻しの動き)のうねりを引き起こし,結果としてEUは2050年の気候中立達成という野心的目標は維持しつつも,脱炭素化政策の進め方について大幅な修正を余儀なくされた。
3.EUはナイーブな理想主義を放棄し,柔軟な現実主義へ転換
政策転換の特徴は,ナイーブな理想主義から,柔軟な現実主義への転換だ。それは国際カーボンクレジットの活用に表れている。欧州委員会は7月に,2040年のEU全体の温室効果ガスの排出量の1990年比90%削減という,欧州気候法の改正案を発表したが,この内3%分はパリ協定6条に基づく域外の国際カーボンクレジットの活用を認めた。これまで,温室効果ガス削減の目標達成に利用できるのは域内の削減努力のみだと,頑なな方針を維持してきたEUが,遂に域外クレジットの購入による相殺許可へ舵を切ったのだ。
以下,EUの政策転換を具体的に見てみよう。まず,政策間の連携強化だ。欧州グリーンディール(以下旧戦略)では,脱炭素化政策とその他の政策がバラバラに遂行されたため,脱炭素化目標は達成されたものの,EU企業の競争力は低下,成長率は低迷した。競争力コンパス(以下新戦略)では,脱炭素化政策を,産業政策,競争政策,経済政策,通商政策と有機的に連携させ一体的に運用する。
第二に,環境関連規制の緩和だ。EUが世界に先駆けて規制を厳格化したため,EU企業の競争力低下を招いたことへの反省から,新戦略では,前述した環境関連規制緩和のためのオムニバスパッケージが打ちだされ,特に中小企業への負担が軽減されている。
第三に,「技術中立」(特定の技術を優先せず公平に扱うこと)への転換だ。旧戦略では,法案作成時に欧州委員会が,特定の技術を優遇していたが,技術間の競争を促しイノベーションを促進するため,新戦略では技術中立アプローチが選択された。フォン・デア・ライエン欧州委員長は,9月の一般教書演説で,一期目に立法化した2035年の内燃機関車の実質販売禁止を技術中立の観点から再検討していること,原子力発電をベースロード電源として活用する方針であることを宣言した。
第四に,企業との十分な対話に基づく立法だ。旧戦略では企業との対話と利害調整が不十分だったため,新戦略では,欧州委員会と,自動車,鉄鋼,化学等の産業との戦略的対話が実施され,業種毎のきめ細かな脱炭素化計画の立案が進んでいる。
第五に,域外との連携強化だ。クリーンエネルギー,重要原材料,クリーンテクノロジーへのアクセス確保のため,「クリーン貿易・投資パートナーシップ」の締結を促進する。
4.日本へのインプリケーション
EUがステイクホルダーとの対話を重視することは,日本政府及び企業がEUの脱炭素化政策の作成過程に関与し,ブリュッセルエフェクトと呼ばれるEUの国際ルール形成力を活用するチャンスの拡大を意味する。
ビジネス面では,EUが,域外国との連携を強化する中,日本とEUの脱炭素化分野での協業のチャンスが大幅に拡大する。両国は7月に経済安全保障,脱炭素化分野等で協力する「日EU競争力アライアンス」を立ち上げたが,蓄電池分野や,脱炭素分野のスタートアップを支援する欧州ファンドの日本進出,等で成果が出つつある。また,国際カーボンクレジット分野での連携も有望だ。日本はアジアを中心にJCM分野のプロジェクトで世界をリードしてきたが,今後協業の余地は大きい。
日本企業は,日EUグリーンアライアンスや日EU競争力アライアンスの制度的枠組みも活用しながらEU企業との連携強化に柔軟かつアジリティーを持って取り組んでいくべきだろう。
- 筆 者 :平石隆司
- 地 域 :欧州
- 分 野 :国際経済
- 分 野 :国際政治
- 分 野 :資源・エネルギー・環境
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