世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3747
世界経済評論IMPACT No.3747

EUの戦略転換と競争力復活への挑戦:欧州グリーンディールから競争力コンパスへ

平石隆司

(多摩大学 特命教授)

2025.03.03

1.経済の停滞により最優先課題を脱炭素化から競争力復活へ

 二期目を迎えたフォン・デア・ライエン欧州委員長が,EUの2025~29年のグランドストラテジー「競争力コンパス」を1月末に打ち出した。これは,欧州委員会がドラギ前ECB総裁に依頼した競争力強化のための提言「ドラギレポート」を取り組みの工程表に落とし込んだものだ。

 EUは,長期的経済低迷に苦しんでいるが,「緩慢な成長」を辛うじて支えてきた,堅調な世界貿易の伸び,ロシア産の安価なエネルギー供給,安定した国際情勢,という外部環境が過去数年で激変した。フォン・デア・ライエンが,EUの最優先課題を,一期目の「欧州グリーンディール」から,二期目の「競争力強化」へ大きく軌道修正した背景には,生産性上昇による成長率の引き上げに早急に取り組まなければ,EUは米中の狭間で衰退するとの強い危機感がある。

2.競争力強化のため3つの重点課題

(1)米中とのイノベーションギャップ解消

 EUは特許の数では米中に遅れをとっておらず,問題は「イノベーションの商業化」にある。

 ①革新的技術を持つ新興企業のスタータップ段階やスケールアップ段階での成長支援,②AIギガファクトリー,AI開発,産業分野におけるAI導入促進,③量子技術,バイオ,先端素材,宇宙分野における技術優位の確立や投資促進,等によりイノベーションを再加速させる。

(2)脱炭素化と競争力の両立

 脱炭素化は,政策間の連携を密にしなければ,競争力と成長に負の影響を及ぼす。脱炭素化政策を,産業政策,競争政策,経済政策,通商政策と統合した「クリーン産業ディール」を実行し,成長ドライバーとする。①エネルギー集約型産業を含む製造業の生産基盤強化や,クリーンテクノロジーや循環型ビジネス促進,②市場統合深化や,電力市場におけるCfD等長期取引制度の導入促進,送電網の拡充,等によるエネルギー価格の引き下げ,③鉄鋼,金属,化学品等エネルギー集約型産業の脱炭素化支援や,EUのコア産業である自動車業界との対話を通じた脱炭素化推進,等により,脱炭素化と競争力の両立を目指す。

(3)経済安全保障の強化

 過度の対外依存を脱し経済安全保障を強化するため,①重要原材料,クリーンエネルギー,持続可能な燃料の安全な供給を目指し,域外国と「クリーン貿易・投資パートナーシップ」を締結,②重要セクターやテクノロジーにおける公共調達において欧州企業を優遇する。

3.重点課題克服のための横断的施策

 重点課題克服のため以下の様な横断的施策を実施する。

 第一に規制の簡素化,行政手続きの削減を実施し,長期投資の妨げとなっている企業負担を大幅に軽減する。具体的には,①全企業の行政手続きを25%,中小企業は35%削減,②サステイナビリティ報告,デューデリジェンス,タクソノミー等の報告義務の緩和,等を実施。

 第二に,競争力強化のための投資資金調達だ。ドラギレポートは,EUは競争力強化のため官民合計で毎年8000億ユーロ程度(GDP比5%)の投資増が必要だと指摘した。資金調達のため,①EUの資本市場の統合加速,②2028~34年の次期MFF(中期予算)における戦略的技術と製造に向けた「競争力基金」の設立を提言。

 第三に,EU,そして加盟国レベルで,産業政策,R&D政策,そして投資の調整を目指し,「競争力政策調整トゥール」を導入する。

 第四に,ガバナンスの改善,域内の障壁除去,標準設定プロセスの迅速化等によって,EU単一市場の障壁削減を目指す。

4.新戦略の評価と今後の課題

 EUが,トランプ米大統領の再登板と高関税政策等の外部環境変化に対し,柔軟かつプラクティカルに,欧州グリーンディールから競争力強化へ戦略の舵を切ったことは評価に値する。

 一方,問題点は,施策の両輪たる規制の簡素化と投資増のうち,公的投資のための資金調達面が曖昧なことだ。ドラギレポートは,EU共同債の継続的発行による資金調達を提言していたが,独蘭等北欧諸国の反対を背景に競争力コンパスでは共同債への言及はない。

 また,前述した通り新戦略では2028年以降の次期MFFで実現する競争力基金の活用が謳われているが,これも財源の問題が絡むために現段階では規模,財源共曖昧であるし,そもそも時間軸から見て足下の巨額の投資資金需要を満たすことはできず,あまりにもスピード感に欠ける。

 EUは,コロナ危機時に,共同債の発行による巨額の復興基金の組成という劇的政策転換に踏み切ることができたが,これは,①未曽有の危機に対し,EU諸国が一致団結して「危機ばね」を働かせた,②独仏等主要国の政治が安定し強力な指導力を発揮した,という条件が重なったためだ。足下のEUの状況を見た場合,主要国における右派ポピュリストの台頭等もあり,改革へ突き進む条件が満たされているとは言い難い。EUは,抜本的改革に踏み込み米中に伍していけるのか,それとも改革は中途半端なものにとどまり「じわじわと苦しむことになる」(BY ドラギ)のか,フォン・デア・ライエン2.0は船出早々正念場に差し掛かっている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3747.html)

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