世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
迫られる食糧安保確立への体制強化:我が国農政の再点検と抜本的見直しを
((一財)国際貿易投資研究所 客員研究員)
2022.09.05
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから半年が経過した。この間,両国を巡る情勢はなお膠着状態が続き,同紛争の終結さえ見通せない状況にある。だが,大きな流れから捉えると,事の本質は結局,エネルギーと食料の問題に集約されるのではないかと考えられる。つまり,世界全体では,エネルギー自給力と食料供給力が同市場での力関係において決定的に重要な要素であり,国家レベルでの総合的な安全保障の確保こそが何より不可欠な課題として急浮上しているのである。
このうち,後者の食料関連について言えば,穀物や肥料・飼料という幅広い農業用資材の価格高騰,農産物のサプライチェーンの混乱などにみられる如く,世界的に食料需給に関するリスクが一段と高まっている。最近特に目立つのが食料の争奪戦で,不足するそれらを囲い込む動きが加速していることである。事実,世界20カ国以上による輸出制限の実施件数が,本年に入って一気に急増していることが分かる。
そこで本稿では,食料供給不安の長期化に伴う世界的な食料危機への懸念が広がる中,食糧輸入に大きく依存している中国と日本に焦点を当てつつ,これまでの両国の対応と打開策に関し比較検討する。加えて,食糧安全保障(食糧安保)の観点から自国優先に舵を切る中国の動きを参考にしながら,その確立に向けた具体的な取り組みを基に,我が国農政の今後の在り方に求められる体制強化について述べることとしたい。
まず中国は,14億人余を抱える人口大国としての立場から,食糧安保には従前よりことのほか強い危機感を持ってきた。そのため,国内で食糧を自給自足しようといち早く取り組んできたのである。こうして2000年代に入ると,例えば2004~13年に至るまで10年連続の豊作を記録し食糧の増産が達成された(ちなみに,2013年の同生産量は6億3,000万トン)。ただ,2004年より既に農産物の輸出国から輸入国へと移行しており,カロリーベースの食料自給率は概ね下降傾向にある(FAOの試算では,2000年の94%から2020年に76%へと低下)。そのような中で,前回の2008年における世界的な食料危機以降,中国は将来の食糧不足に備えて平素から着々と同重視戦略を強力に推進してきた。実際,翌2009年には国家食料備蓄政策として「3つの保護」(農家利益,食料市場安定,国家食糧安全)が打ち出された。すなわち,主要穀物であるコメ・小麦の買付価格の引き上げや主要農産物の国家備蓄の底上げ(注:世界の穀物在庫の過半は中国の在庫で,大豆を含む足元の備蓄レベルは約5億トン)等々。さらに2013年末に開催された党中央農村工作会議では,新たな食糧安保戦略が掲げられ,「主食用食糧(コメと小麦)の絶対的自給とそれ以外の食糧の基本的自給の確保」への方針転換が明らかにされた。これは,1996年に初めて食糧安保政策を策定した時に提示された「食糧の95%自給」戦略の全面見直しであり,その他食糧の適度な輸入が同供給の重要な構成要素の一つに位置づけられるものであった。
とはいえ,その後の推移をみると,食糧需要の増加に生産が追い付かなくなり,守ろうとした主食でも輸入依存が逆に強まる結果に陥った。中国は確かに農業大国で主食のコメや小麦の生産量が世界1位ながら,同時に全体の食糧輸入量も顕著に増大し過去最高を記録するまでになっている。特に大豆輸入(2020年は1億トン超で,同自給率は20%未満)の場合,実はその約3割を米国産に依存しているのが特徴である。
このため,米中貿易摩擦の激化とも深く関わっているが,中国では2019年頃から次第に食糧安保重視路線へと方針が再び転換されるようになった。そうした背景には,耕地面積や水資源の制約から従前の規模を上回る増産がもはや困難となってきている一方で,人口増加や所得水準向上による食糧需要の更なる拡大という事情も挙げられる。2019年10月に20数年ぶりで公表した2回目の『食糧安全保障白書』では,「食糧安保は国家の重要事項」と繰り返し謳われてそれが農業政策の重大な課題であり,改めて食糧生産の安定重視が強調されたのであった。
直近の注目すべき動きを列挙してみると,2022年春に全人代常務委員会で「食糧安全保障法」が審議され,同法案が中国における食糧安保の確立に向けて新しく制定されてもいる。もう1つが,中国ではこのところ同国の食料事情を安定させるカギとして,とりわけタネ(種子)が大事だと力説されるようになった点である。習近平主席が本年4月に海南島の種子研究所を訪問した折,「食糧安保を確立するためには種子に関して自立することが必要だ」と指摘し,食糧の輸入依存に改めて強い懸念を表明したと伝えられる(注:2021年時点での種子輸入は年間7万トン)。
一方,日本では周知のとおり,グローバル化の進展も相俟って中国以上に穀物や豆類などの食糧を始め,肥料原料,配合飼料などもほとんどを海外からの輸入に頼る体質がビルトインされてきた。そのため,これまでは食の多様化で消費者のコメ離れが進み,コメ(特に主食用)の過剰傾向が過去50年来,長らく継続されてきたことから,ややともすると不測時の食糧安保への危機感の欠如は否めなかった。実際,近年では主食用コメの需要は毎年10万トン規模で減少しているとされ,その総量は年間生産量の1.4%減にも匹敵すると言われる(ちなみに,2022年産見通しは673万トン)。
ところが,コロナ禍とウクライナ危機に加え,台湾情勢の緊迫が表面化したことにより,我が国でもそれをきっかけに今,ようやく食糧安保に対する機運が官民とも一段と盛り上がりを見せるようになった。なかでも特に食料不安に拍車をかけたのが,台湾有事の際の輸入途絶という可能性が新たに現実味を帯びてきたことに因るところが大きい。つまり,我が国でも食糧が戦略物資として再認識されるようになり,同逼迫の問題が他人事ではなく決して例外でないことが示されたからにほかならない。
従来,我が国の“農政の憲法”と目される「食料・農業・農村基本法」(1999年に初めて制定)では,国内の農業生産の増大を図ることが基本とされ,輸入と備蓄も組み合わせて食糧の安定確保を実現すると定められていた。しかしながら,同法で向上を図るとした食料自給率はほぼ一貫して下降を辿り,1960年代初めの79%から2021年度現在で38%(品目別ではコメの98%に対し,小麦は17%,大豆は7%)と,依然として先進国の間では最低水準に止まっている。この背景には,豊かな食生活の反面,国内の農地が年々減少するも休耕地や耕作放棄地は約1割にまで上昇し,農家やその担い手たる農業従事者の減少には歯止めがかからないなど,農業生産基盤の縮小が第1に挙げられる。
こうした中で,我が国政府は主食用コメに関して2018年度から国による減反(生産調整)政策の廃止には踏み込んだものの,併せてそれが供給過剰とならないよう補助金などで飼料用コメや麦・大豆,ソバなどへの転作を生産者に奨励してきた。そのため,主食用コメの作付面積は一段と削減を余儀なくされながら高価格だけが維持され,競争力の向上にはあまり繋がってこなかったというのが実態である。
それ故に,我が国の食料自給力(率)の向上を推す声が徐々に高まっているこの機を嚆矢として,従前からの農業政策を根本から再点検し,生産面・資材面の両方から脆弱化しているその基盤維持・強化に注力していくことで,食糧安保確立に向けしっかりした体制の枠組み構築が何よりも求められる。食糧安保の観点からも,今や中国の例を1つの教訓とし,平素から国策としてコメの消費拡大や増産・輸出,麦・大豆の生産強化などにも積極的に取り組むべき時期である。要は国内の消費で必要な分は出来るだけ国内の生産で供給していくとの理念に立ち返り,その目標を改めて再確認しつつ農政の抜本的見直しを図っていくことこそが最も重要であると思料される。
聞けば,政府・与党による農政全般に対する検証作業が今秋から本格化するとのことであるから,食糧安保体制の強化に向けた対応策の具現化が期待されるところである。
- 筆 者 :小島末夫
- 地 域 :日本
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際経済
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