世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
ウクライナ戦争におけるプロパガンダの新境地:兵士の母の心を敵国間でつなぐネット情報サービス
(桜美林大学 准教授)
2022.09.05
ウクライナ戦争が始まって半年が過ぎた。欧米諸国の支援を受け,ウクライナは南部での反転攻勢に出ているとされる一方,多くの市民の犠牲や,原発のリスクなど予断を許さない。
世界が「民主主義と権威主義」対立の構図で分断され,その影響は様々な分野へ大きく,かつ急速に波及している。
私の専門であるマーケティング分野では,コトラーのマーケティング1.0から4.0への進化に見るように,世界の主導権は一般市民に,重視点は地球平和にシフトしている。この私たちの常識がこの戦争によって大きく覆される事態となっているのである。
本稿ではマーケティング視点から,ロシアとウクライナの両国で行われている市民向けのプロパガンダの現状と行方について考察したい。
ロシア政府は,ウクライナの「ネオナチ」が親ロシア系住民を虐殺しており,そこから一般市民を解放するための,平和を目的とした「軍事作戦」を主張している。ロシア国内での政府への支持率は侵攻当初の8割超から少ずつ低下してきてはいるものの6月下旬で75%と高水準にあり,我々が思うフェイク・ニュースをロシア国民の多くが信じているようである。ニューヨーク・タイムズは,ウクライナ人の親戚を持つロシア人でさえ「ロシア軍は軍事的インフラを攻撃しているだけで,民間人の被害に関する映像などは偽物」と信じていると報じている。
戦争におけるプロパガンダは2つの世界大戦で発展した。主にマス・メディアを主媒体として政府の統制下に置き,政府機関がこれを統括した。発信する内容は「我々は戦争をしたくない」「しかし,敵側が一方的に戦争を望んだ」「敵の指導者は悪魔のような人間だ」「我々は領土や覇権のためではなく,偉大な使命のために戦う」など,歴史家アンヌ・モレリによる「戦争プロパガンダ10の法則」に集約される。これ自体はこの戦争でも変わっていないようだ。
ロシアは独立系メディアを排除し国外からの情報を遮断するなど統制を強め国内の情報を政府の都合がいいようにコントロールしている一方,ウクライナは国際社会への情報発信を積極的に展開するという逆方向の動きとなっている。
ロシアは古典的・伝統的なやり方であるが,前述の支持率にみるとおり一定の成果を挙げているようにみえる。
一方でウクライナは,ゼレンスキー大統領自らが様々な国際会議や各国の議会などでオンライン演説を行なったり,連日SNSにネット動画を公開し国内外へウクライナの正当性や支援を訴えており,国内の志気を高め欧米諸国の結束に成功している。
今回の戦争におけるプロパガンダにおいて先の大戦と大きく異なるのがネットやSNSの存在である。その有効活用が顕著なのはウクライナといえる。
侵攻が始まった当初,ウクライナは国内で投降したロシア兵の動画を次々とネット上に公開した。兵たちは何も知らされないままウクライナに招致され,目的も説明されないまま戦闘行為をさせられている,という事実が世界中に生々しく伝わったのである。
今回,特に注目したいのはこの取り組みである。ロシアは兵士の安否を家族に公開していない。一方でウクライナは掴んでいるロシア兵の情報全てをネットで公開し,ロシア兵の家族からの問い合わせや捕虜交換リストへの編入希望などにも応えているというのだ。
ロシア兵士の母の会のメリニコワ会長は,「(ロシアからは何の情報もないため)私たちの子どもが捕虜になったのか,死んだのか,行方不明なのか確認できません。ウクライナは,最初からネット上のサイトで捕虜の写真と書類を公開しています。インタビューもあります。これらのおかげで私たちが何かを知りたいとき(ウクライナ側に)連絡することもできます。これは正式な情報です」と語っている。さらに,情報を得られれば捕虜交換のリストに自分の子どもを入れてくれるようウクライナに頼むこともできるし,同じく息子を戦争に出したウクライナの親と連絡を取り合ったりもできるという。
敵対する国家間であっても,兵士を想う母の心は変わらない。その気持ちに応え寄り添い,交流を促進するという,まさにマーケティングにおける潜在ニーズ「インサイト」に応える画期的な仕組みといえ,インターネットがあるからこそ,そしてウクライナの独創的な発想が可能にした発明といえよう。
このような取り組みが相互のコミュニケーション・ギャップを緩和し,戦争終結へ導くトリガーのひとつとして機能していくことに期待したい。
ロシア国内の政府の支持率は高水準とはいえ,侵攻開始当初に比べて減少傾向である。深刻な兵員不足を補うには「軍事作戦」から「全面戦争」へ移行することが根本解決となるが,それができないのはロシア国民の不満を爆発させかねないためであるとも言われている。
ウクライナのネットによる様々な取り組みが終戦へのブレイクスルーにつながることを期待して見守りたい。
- 筆 者 :宮本文幸
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際ビジネス
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