世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2322
世界経済評論IMPACT No.2322

国語と科学技術

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2021.11.01

 現在の企業内新規提案や公的研究予算獲得のキーワードはITとAIと言っても差し支えない。半導体性能向上と通信技術の進展からIT/AIはスマホに代表されるようにモノとコトが並行して進化する好例である。メルケル提案のIoTが人々の意識から遠のいているのは,もともとカンバン方式や店頭在庫チェック手段としてバーコード管理が既存であり新規性がなかったことにある。他方,IT/AIで合理化を進めたネット通販は巨大なEntityになった。科学では新薬合成や新規化合物をビッグデータのAI探索で推進するプロジェクトがあるが,いま一度Hypeから抜け出して冷静に進展を見る必要が有る。ビッグデータは過去の集積のデジタル化であり,人間の力では検証できない巨大なデータソース分析をAIに担わせることである。もちろん,この中から見逃されていた情報が紡ぎ出され,見落とされていたものが創造される場合もあるだろうが「既存」のものであることには変わりははない。ゼロから1を産む創造力をAIで代替するにはもう少し時間が必要だろう。それが実現する時,使われる言語は英語,それとも代数?

 新たな発見を思考から具現化するプロセスは言語によって構築されている。プレゼンチャートは思考を可視化したものであり,「絵」を見た人々はそれを言語に置き換えて理解している。数学や物理が難解なのは抽象的な思考を記号に置き換える数式が伝達ツールとして専門家以外に共有されていないためである。概念の共有について身近な例を考えてみると判りやすい。100年前の人々は「スマホ」と言われても訳が分からなかった。その一方で今の高校生以下は公衆電話のかけ方を知らない。モノとその使い方(コト)は言語によって伝播され,技術の登場と衰退は時空間に位置づけられている。スーパーマリオやポケモンの出発点は日本語が紡ぎ出す文化から具象化されていることを忘れてはならない。ゲームソフトに限らず国語は日本の科学技術と産業を支える重要な開発ツールである。

 国語の水準低下は科学技術研究だけではなく工場作業や事務でも大きな影響を及ぼしている。そのため工場ではビデオはもとよりAIが懇切丁寧に指導してくれる時代になった。定形事務作業はソフトで自動処理できるようになった。そのうち人の教育よりもロボットに置き換える方が効率的になり国語を必要としなくなっていくだろう。いわゆるシンギュラリテイはAIの創造性よりも産業経済活動がヒトの言語を必要としなくなった時に起こるのではないかと思う。証券・金融会社が兜町や大手町から北海道の原野に移り,そこでは少数のエンジニアとの保守人員が働き,窓口対応は3Dアバターになる時代がすぐそこに来ている。アナリストや経営幹部というのが死語になるかもしれない。

 さて,創意工夫の必要な大学と研究者はどうであろうか。装置もコンピューター化と規格化が進み,3Dプリンタの出現で手作りの装置が激減,実際の実験無しのシミュレーションだけで論文を作成することも急増している。結果として感触や視認,色や匂いの変化を自分の言葉で表現して書き記すといった基本動作が失われつつある。そのため国語の表現を知らなくても良い時代になってきた。最近問題なのは漢字の読み方を知らない,漢字や表現を誤用する,構文がおかしいといった基本的なことである。技術文書は専門用語を多用するものの時代を超えて筆者が読者に明確に趣旨や意図を伝える文章である。記録したことを後代に正しく伝えられないと技術の衰退に繋がり産業経済の土台を揺るがすことになる。特に科学技術の発見はAIによるビッグデータの解析がそうであるように記録を見直すことから生まれることが多いので,見た,感じたことの正確な記述および読解能力を必要とする。明月記は,記録された天文現象(超新星爆発)が現代の天文学で特定されたように記述の重要さを示す例である。

 国語は日常的に目と耳で学ぶのでTVとYouTubeの影響は大きい。正しい日本語の普及に務めるはずのNHKは最近急速に劣化している。NHKで頻出しているが真似されると困るのは,「〇〇では…。」「街の人は…。」といったSNSで多用されている主語だけ示して述語は「…。」と具体的に書かず曖昧さをわざと残す表現である。体言止めや倒置法でもなく,「…の部分は言わなくても判るでしょ!」という上から目線である。加えて報告文そのものがバラエティのクイズ的「ノリ」になっている。例えば,「ワクチン接種率が60%を超えた」という主題の後に酒屋の注文が増えたという「風邪が吹けば桶屋」的組み立てである。報告文は主題の後に説明,理由,比較など重要な順に記述するが,NHKはしばしば逆順になっていて,頻繁に報道される先の例では「説明:各地区の接種率」「理由:関係者の努力」などは後回し,「枝葉:酒屋の注文」「おまけ:街の声(不満)」が先でこのパターンの踏襲である。卒業論文予稿でも順序がめちゃくちゃなものを度々目にするようになってきた。NHKの影響は大きい。

 構文だけではなく漢字の読みや表現もおかしくなっている。これもNHKのアナの一例だが「水面に映える紅葉を楽しむ」を「スイメンにミえる紅葉を楽しむ」と読み上げたのには驚いた(画面下にテキストが表示されたので原文が分かった)。このアナは「ミナモ」「ハエル」という表現を知らなかったのだろう。落語の「たらちね」で笑うどころではなく日本語そのものが通じなくなる恐れが有る。実学に漢字の読みは関係ないと言う人もいるが,このようなことが続くと前述のアナのように意味の取り違えが発生する。学問分野を問わず母国語にモノ・コトを表す表現がなくなると記録の伝承ができない。東南アジアや中東で技術指導等に就かれた方はこの苦労が判ると思う。

 最近流行りの「テーパリング」も主に技術用語として使われていた言葉なので,本来の英語の意味を取り違えている金融関係解説者は「英語圏で通じない日本語英語」を助長する。これを防ぐためにも日経の木村響子氏が丁寧に英語表現の解説することは大変好ましく毎日出演して欲しい。コロナ禍でやたらに横文字専門用語を羅列することが横行したので,日常への回復とともにマスコミは改めて国語を正しく使う努力を必要とする。日本の産業経済の発展の歴史は識字率の高さと多くの国民が言葉を共有できることで成立していることは言うまでも無いだろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2322.html)

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