世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
水平分業はアメリカの発案だったはずだが
(元信州大学先鋭研究所 特任教授)
2025.04.14
2025年はトランプ関税に多くの国が揺さぶられる年になるのだろう。トランプ関税は米国が繁栄を享受してきた源泉である製造の水平分業を壊すことになりそうである。同じ製品・機能ならば輸送費用を含めて最も安価に製造できるところで製造すれば良いというのが単純化した水平分業の考え方である。筆者がユニリーバに在籍時の,1980年代後半のグローバルキャリア研修でも,ハーバード大教授によりこのような講義とケーススタディを受けた。実際に日本国内で生産していた製品も他国からの輸入品との組み合わせがあった。一例として,ノウハウが詰まっている液体洗剤のキャップは欧州の同様な製品と共通部材とするためにボトルの方をそれに合わせた設計にしていたこともある。
余談であるが,水平分業生産管理のためにインド(僻地)製造現場訪問と指導調整は筆者にお鉢が回ってきてしまった。今と異なりインドの僻地にある工場から東京に電話は通じない,テレックスも遥か彼方の街と工場の間をバイクで運ぶという状況であった。
水平分業は消費財の場合には有用な方法であるが,耐久消費財の場合は最終市場において修理とメンテナンスが必要なので,経済学的な意味のサービスネットワークを構築する必要がある。このサービスが不十分で市場拡大が進まなかったのが欧州の家電である。米国の家電は戦後の米国による占領統治と経済的進出によって昭和年代までは普及とは言わないまでも販売とメンテナンスのネットワークが存在していた。戦後1960年以前に生まれた方ならGEの洗濯機や冷蔵庫を使っていた方も結構いると思う。筆者が大学まで暮らしていた東京多摩地区では地域に米軍関係の家族が多く在住していたこともあり,「GE製品修理」の看板もちらほら見かけた。近所に米国家電製品のメンテナンスを専門に扱う方が住んでいてかなり忙しそうであった。1990年代に米国製大型洗濯機がコインランドリーで普及した際,米国製よりコンパクトな欧州製もPRされていたのでElectroluxのドラム型洗濯機を購入したが修理がままならず,わずか3年で廃棄した。
1980年代から続く米国の産業政策が,英国サッチャー首相が推進した製造業を縮小し金融業を拡大する政策の結末と似たようなことになることを危惧する。英国は産業革命を成し遂げて国内外に強力なサプライチェーンを築いたが,金融の論理に傾いて自国内のサプライチェーンを切り捨てていった。今,50歳代以下の方々には信じられないだろうが,英国はかつて造船大国であり,大衆車のオースチンからロールスロイスに至る自動車製造大国であった。リバプールのアルバート・ドックは,現在,美術館と商業施設になっているが19世紀の英国造船業と関連産業の規模がわかる場所である。金融業だけに頼った英国は医療システムの崩壊に見舞われるほど国家財政が弱っている。他方,米国は英国から金融業の覇権を奪うことに加えて軍需産業とITビジネスを拡大して国家を支えている状況である。しかし,多くの製造業,特にサプライチェーン全体を見渡すと自己完結には程遠い状況に陥っている。複数回,聞き方を変えてAI検索を行うと米国の三大自動車メーカーの米国内で生産される完成車の部品調達は金額ベースでほぼ50%が輸入になっている。特にGMは基幹部品を米国外から調達している。
自動車やスマホのような部品点数が多い製品について解説することは煩雑になるので,より単純な自転車で製造業のサプライチェーン構造を説明してみたい。自転車の基本部品は,フレーム,ホイール・タイヤ,ドライブ(ペダルやチェーン),ブレーキである。非常に単純なようであるが複数種類のネジ類まで含めると百種類前後の部品で構成されている。当然のこととして自転車を組み立てる工具類も必要である。加えて我が国同様に電動アシスト自転車市場が成長しているのでバッテリーとモーターの需要も拡大しているので部品点数が増大している。
米国の自転車市場規模は約90億ドル(2023年)とされている。このうち,米国内最終組立(輸送のためにフレームとそれ以外は別々に梱包される)を含む完成車の90%は輸入品であり,残りの10%も部品の多くは海外,主に中国および台湾からの調達となっている。完成品および部品は米国の安全基準を満たす必要があり,各メーカーはこの安全基準に合致した製品を輸出している。
自転車の生産を米国内に移転するには大まかに,1)部品の設計と試作,2)製造工場の設立,3)サプライチェーンの構築,4)人材確保と教育,5)認証と法規対応といったことに資金と時間を要することになる。なお,1)〜5)に加えてマーケティングと製品企画も必要であるが,あえて製造について特化したい。
日本ではママチャリが最も広く使われているが,ママチャリといえども部品の設計は重要である。自転車自体の重量は電動式でも100kg以下であるが,子供を乗せて走行する場合には車体は150kg以上超える重量を支えなければならない。フレームや車輪の接続が脆弱であれば走行中に破断して搭乗者は怪我をするだろう。ブレーキが効かない,あるいは壊れるということならば最悪死亡事故につながる。そのため過去に起きた事故の教訓から安全基準が設けられている。この安全基準を達成するために,構造についての専門知識を持って設計を行い,その設計に見合った部材と部品を調達し,工場での品質管理が行われる。製造された自転車はメーカーで資格を持つ品質管理担当者がチェックする。これらの工程を垂直統合で運営するには相応の資本を必要とする。
AIを使って米国内で新規に自転車工場を立ち上げる費用と出荷開始までの期間を推定してみた。結果は,10Mドル以上の費用と2〜5年の期間を要すると出てきた。もちろん,部品を含めて既存の製造工場・企業が新規に自転車製造を計画すれば費用の圧縮と準備期間の短縮にはつながるだろう。一見簡単そうな自転車の製造ではあるが,このように大雑把な分析からも一朝一夕では達し得ないことがお分かりいただけるのではないだろうか。
我が国や中国・東南アジアの国々はネジ一本の製造からメッキ処理などの部品製造に加えて,さまざまな工具や製造装置まで多くの企業が活動している。自転車は一種の精密機械製品なので,製造装置を据え付けただけでは適合する部品は生み出せず熟練者による試行錯誤も必要である。製造業界は一部品一工程でも一旦衰退するとサプライチェーンが復活するまでには多額の費用と長時間を必要とする。日米欧の自動車メーカーはエンジンやその他の基幹部品の開発で期待する性能を得るために,ネジ一本でさえ新規に開発することを外部の会社に要求する。つまり,サプライチェーンは想像以上に重要である。
かなりのサプライチェーンが中国をはじめとした東南アジアにシフトしている我が国であるが,それでも費用と時間をかければ工業製品製造を国内で完結可能である。経済関係者が使う用語の「エッセンシャル」な企業がほとんど失われてしまっている米国はこれから茨の道を歩むのだろう。
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