世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
4通目の辞表:超党派内閣の絶えざる摩擦と遠心力
(外務省経済局国際貿易 課長)
2021.06.07
ゴルフで「アルバトロス(あほうどり)」と言えば,「イーグル」より一打少ない慶事である。しかし,英熟語でこの鳥は,首にまとわりつく(albatross around the neck)と,四六時じゅう自分を悩ませる厄介者や難事を意味する。
リンカーンの「政治的家族」の中で,財務長官のチェイス(元オハイオ州知事)が,まさに首回りのそれであった。このコラムの『ライバル考』でも述べたが,1860年の共和党選で過信と人望の無さがたたり,オハイオの地元票をリンカーンに奪われた。恨み節タラタラで入閣した後は,同じくライバルで大統領に恭順し敬意を抱くようになったスワード国務長官とはちがい,チェイスは後ろから矢を引いた。戦時の財務長官として紙幣や国債の発行を通じた戦費調達,国内銀行制度の確立などで目覚ましい実績を上げる一方,党内の反対勢力とつるんでホワイトハウスへの道を策動したのだ。いつの世も,仕事はできるが忠誠心のない部下の扱いは,上司の厄介事である。
もっとも,出身や利害が異なるライバルが集う「超党派内閣」が順風満帆だったはずがない。ときどきの政治情勢や戦局に応じ,政治家の自我と野心,不満と嫉妬で,閣内には摩擦と遠心力が不断に働いていた。「スワードが大統領の時間を独占しすぎる」と複数の閣僚から苦言が呈され,閣議が定例化されたのはほんの一例に過ぎない。
リンカーンは,チェイス財務長官に4通の辞表を突き付けられ,ようやく受理した。
最初の辞表は,政権発足後まだ2年も経たない1862年末のこと。南軍優勢を許し,国家再統合や奴隷解放という党是の実現が危うくなる中,党内批判の矛先はリンカーンとスワードに向かう。リンカーンは上院議員の代表者らとの会合に,既に辞表を出していたスワードを除くすべての閣僚を伴い参加した。この時,ウラで上院議員と結託し,リンカーンとスワードの失脚に暗躍していたのがチェイスなのは公然の秘密だ。会合で,大統領はチェイスに面と向かって「貴長官も私を支持しますか」と質した。チェイスは,スワードへの嫉妬と敵意をにじませ,閣議で重要な決定についてきちんと議論されないのが不満だとも訴えたが,上司の質問に「イエス」と答えてしまった。上院議員らに優柔不断の烙印を押されたその翌日,チェイスは,ウェルズ海軍長官とスタントン戦争長官とともに呼び出された場で初めての辞表を上司に手渡した。大統領はそれを握りしめ,いまこの難局にあって,国務と財務の両長官からの辞表を受けとることは出来ない,としてスワードとチェイスの双方を活かす形で事態を収めた。
2度目は,共和党大会を秋に控えた1864年2月。チェイスは大統領への野心に身を焦がし,雇用あっせんなどで15,000人もの支持者の面倒を見るなど,北部の民心買いにいそしんでいた。親チェイス勢力は,サミュエル・ポムロイ連邦上院議員(カンザス州)がチェイスの選対本部長となり,リンカーンを激しく批判する小冊子を配布する暴挙に出た。これはもはや「謀叛」である。しかし,チェイスは,これが現職大統領派の結束を強める結果に終わることを見通せなかった。チェイスは弁明調の長い辞表を書いた。リンカーンは最初「時間が出来たらちゃんと返事する」とし,その6日後に二度目の返信で「今は変化の時ではない」としてこれを退けた。これで分かった,大統領は有能な自分の首を切れないのだ,とのチェイスの自惚れと誤算が加速する。
3通目と4通目は,それから4か月後の1864年6月29日に書かれた。共和党はリンカーンを担ぎ,民主党一部と合流して国民統一党(その名もNational Union Party)の結成に進み,チェイスは破れかぶれだったのだろう。チェイスは,上司の反対を無視し,ニューヨーク州高官を子飼いの政治家に交代させようとした。チェイスは話せば何とかなるだろうと高をくくり,リンカーンに面会を申し出たが拒否された。反射的に書いた3度目の辞表が断られると,同じ日に今度は長めの辞表をしたためた。辞表も随分と安くなったものである。リンカーンは「私が貴長官の能力と信義についてこれまでに送った賛辞を一切取り消しません。けれども,私と貴長官の公の関係はお互いに険悪の極みに達し,これを解消するのはもはや難しく,貴長官がこのまま公職にとどまることは無理なように思われます」と返書し,4度目にしてついに辞表を受理した。これを知った財政委員会の上院議員がこぞって抗議に現れた時,大統領は4通すべてを読み聞かせ,この騒動にケリをつけた。
仏の顔も三度まで拝めれば,地獄に落ちても文句は言えまいと思う。しかし,チェイス辞任劇には,さらなるオチがある。リンカーンは,そのわずか2か月後,現職の死去で空いた最高裁判事の椅子に,このアルバトロスを返り咲かせたのだ。チェイスにとっては,ゴルフのアルバトロスのような思わぬ慶事だったろう。この人事を見て,国民の誰もが,大統領にとって国民融和と国家統合が心からの悲願であり「先ずは隗より始めよ」との本気度をたちまち理解したのである。
[参考文献]
- 『Team of Rivals: Political Genius of Abraham Lincoln』Doris Kearns Goodwin著(Simon & Schuster社)2005年10月
- 本コラムの第1回『分断から統合へ:米歴史家の眼』
- 第2回『ライバル考:リンカーンと3人の好敵手』
- 第3回『勝ちに不思議の勝ちなし:リンカーンの政治的資質と選挙手法』
- 第4回『昨日の敵は今日の友:リンカーンに見る融和と結束の技法』
- 第5回『挙国一致内閣の真髄:競い,おぎない,聴き,決める』
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