世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2143
世界経済評論IMPACT No.2143

挙国一致内閣の真髄:競い,おぎない,聴き,決める

安部憲明

(外務省経済局国際貿易 課長)

2021.05.10

 前回コラムの将棋の駒で思い出した。劇作家の故・井上ひさし氏は台本に行き詰まると,溜まった栄養剤の空箱を適当に切って俳優の顔写真を糊づけし,机の上で展開させたという。そのうちに,駒がひとりでに台詞を吐き始めるのだとか。

 筆者もこれに倣い,『Team of Rivals』に登場する「うるさ型」の閣僚や軍人の顔が入った駒を作り,話の筋に沿って次々と動かしてみた。駒の動きから見えてきたのは,リンカーンが屋台骨を担わせ,敵には絶対に回してはいけないと考えていたスワード国務長官との信頼関係が,ライバル内閣の生命線だったという構図である。

 共和党重鎮スワードは,急進的な言説で墓穴を掘り,敵を作らぬ戦術に徹したリンカーンに負けた。乞われて入閣したが,友人や家族には,愚鈍な上司への軽蔑や,南部と取引出来るのは俺様だけだとの驕慢を隠さなかったという。

 リンカーンは筋金入りの連邦維持原理主義者である。「連邦は憲法よりも古いので,合法的な離脱にはすべての当事者の同意が必要だ」との立場を貫いた。奴隷制についても,州の「住民主権の法理」を否定した。前任のブキャナン大統領はじめ北部は,サウス・カロライナ州が率いる離脱勢力の意思を「空脅し」に過ぎぬと過小評価していたが,果たして,リンカーンが勝利し就任する前の1860年暮れ,同州議会が全会一致で離脱を決定すると,ミシシッピ,ルイジアナ,フロリダ,アラバマ,ジョージア及びテキサスの6州は雪崩を打ってこれに続く。この時,スワードは古巣の上院で,南部に残留を「懇願」した。しかし,党内強硬派に加え,フランシス夫人までもがこれを「弱腰」と非難した。ここでリンカーンが批判に加わっていれば,内閣はたちまち瓦解しただろう。オモテではスワードの宥和的な呼びかけを追認せず,南部の暴挙を非難しながら,ウラでは四面楚歌のスワードへの私信で,誰かがやらなければならない仕事だとして理解を示した。二つの駒の間に篤い信頼の「気」が通い始める。

 両人の補完関係は,大統領就任演説の起草でも見られた。リンカーンが推敲を重ねた草稿を読んだスワードは,バージニアや他の境界州に離脱の口実を与えぬよう,原案の「上から目線」で刺激的なトーンを和らげた。例えば,南部の「謀叛の企み」を「革命的な試み」に改めるといった具合に。この点,選挙戦では奇抜なトリックで足元をすくわれたスワードが,入閣するや,これまで昼行燈(あんどん)と見くびっていたがなかなかどうして頑固一徹なリンカーンに向かって,「ここは堪忍せよ」と勧めている。古今東西に通底する,政治家どうしの関係性がよく表れている。リンカーンは,この老練政治家の助言を受け入れ,演説では,大統領は州権に介入する権利も意図もない,戦争か否かの決定権は自分ではなく各位の手中にある,として南部に最大限の謙譲を示した。合衆国国民の良識と建国精神に響く訴えが効き,さらなる離脱は先延ばしされた。

 次は,南軍に包囲され接収の危機に瀕していたサムター要塞(サウス・カロライナ州)への対応である。一家言ある閣僚らには,救援の是非を巡る意見を書面で聴いた。ブレア郵便長官(民主党出身)は連邦軍投入に賛成したが,南部穏健派から内戦回避の「最後の砦」として期待を一身に集めていたスワードはじめ閣内意見は反対に傾いた。ところが,リンカーンは「連邦管轄下の施設を南部が接収しようとしても,絶対に認めない」との既定方針を曲げず,要塞の防衛を断固命じた。後世の歴史家に,これがなければ5年に亘る凄惨な内戦は防げたのではないか,という「大きなif」を提起した決定だった。スワードらはこの時初めて,リンカーンの内に秘めた胆力を知ったのかもしれない。

 両者が真逆の役回りを演じたのが,英仏両国の干渉を防ぐための手法を巡る甲論乙駁だ。英国に南部を国家承認されてはたまらない。ここでは穏健なリンカーンが,強硬論一辺倒のスワードを説得した。外交責任者のスワードは,上司への覚書で,対英危機を演出し「目くらまし」で南北対立を一時収拾させる奇策を上申した。また,その煮え切らない姿勢に,大統領の任務を一部代行する用意さえ遠回しに伝えた。リンカーンは,スワードに英国への挑発的な物腰を改め折衝に当たらせ,英国の不介入という目的を達成した。同時に,スワードへの返信で,国内政策で貴長官と意見はほとんど違わない,対外政策は大統領の責任で最終判断する,閣僚全員の助言を受け今後も合衆国政府を指揮する考えだ,と穏やかだが毅然として応じた。スワードは後日,この件を機に大統領への忠誠を固く誓った,と妻に述懐したとされる。

 このように,リンカーンは閣内意見に耳を傾け,求心力の「かすがい」であるスワード国務長官を御し,亀裂の芽を摘みながら,最後は自らの政治的信条に基づき決断する指導スタイルを確立していく。

 ところが,艱難辛苦に「刃こぼれ」はつきものだ。不満や嫉妬で,机の隅の方にわだかまる駒も出てくる。次回は「混成内閣」の宿痾といってもよい異分子の扱い,慰留や解任の人事を巡る指導者の苦労を見てみたい。

[参考文献]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2143.html)

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