世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
昨日の敵は今日の友:リンカーンに見る融和と結束の技法
(外務省経済局国際貿易 課長)
2021.04.05
日本の将棋は,取った敵の駒を直ちに使うことが出来る。敵陣前に垂らして打った歩が一瞬で金になるのは,西洋のチェスや中国将棋にはない用兵の妙味だ。
今日,2005年に出版されたリンカーンの評伝『Team of Rivals』を紹介するのは,未曽有の分断の時代の国事の舵取りを担った指導者が,どのように敵を味方にしたのか,衝突の傷を癒してきたのか,融和と結束を掲げるバイデン新政権が始動する現在の米国にいかなる今日的示唆を与えるだろうか,という切実な問題意識による。
リンカーンは1860年の共和党指名選をものにしたが,古今東西,勝ち戦の本当の成否は,敗者の扱い,いいかえれば,取った駒の活かし方で決まると言っても過言ではない。この評伝の筆者グッドウィン女史は,ポストを巡る政治生命や名声をかけた駆け引きを,不出の指導者像を好敵手との関係性において描き出す。6年前に諸派を寄せ集めて誕生したばかりの共和党が,大統領選で民主党に勝ち政権を担う上で,足元の党内融和と北部諸州の結束は,リンカーンに課せられた絶対命題であった。
共和党大本命のライバル,スワード上院議員への入閣打診は,リンカーンの人事・用兵の白眉である。スワードは,勝利演説の草稿も空しく,逆転負けの屈辱と失望の淵で任期途中の議員引退すら考えたものの,そこは大人物。党の大義である奴隷制廃止を掲げて再起を図り,民主党との決戦に備え,中西部9州への遊説で聴衆を魅了する。本選まで,ガラス細工のような党内一致を維持するために「戦略的沈黙」を保っていたリンカーンとは対照的だ。絶対に敵に回してはいけないこの大物を,リンカーンはどう口説き落としたのか。
リンカーンは,スワードに閣内で最重要ポストの国務長官を打診した。その際,二通の手紙を側近に託した。一通目は,スワードを国務長官として上院の承認を求める覚悟だとの公式の要請。二通目は,私信かつ極秘の封をした上で,〈世間は,リンカーンは計算高い男だから,この入閣要請は必ず断られるだろう,と見立て,協力を拒否したスワードを体よく疎外する魂胆がある,との風評を立てている。しかし,絶対にそんなことはない。小生は指名されたその日から貴上院議員を国務長官に,と固く心に決めていた〉と添えた。当時,書簡はしばしば紙上に公開されたので,二通目の密書こそが,スワードの自尊心をくすぐる独特の技法だったととれる。
リンカーンの美徳は,謙譲ばかりではない。例えば,スワードとの最初の面会場所に,相手の地元ニューヨークや中間地点を拒否し,本拠地スプリングフィールドにこだわった。今後すべての政権の決定は,大統領の決定なのだ,とのシンボリズムである。また,「将を射んと欲すればまず馬を射よ」とばかりに,指名受諾後真っ先に,大胆にもスワードの政治参謀でもある共和党の重鎮ウィードに会った。ウィードは,世の中から知性や容姿を侮蔑されている,この異形の人物の政治的才覚をたちまちにして見抜き,スワードに入閣を勧めることとなる。その後,リンカーンは,軍師ウィードと熟練政治家スワードの飛車角を味方につけ,側近数名とともに,「びっしりと目の詰まったクロスワード・パズルを解くように」組閣人事を固めた。リンカーンの影を薄くするスワード系列のホイッグ党・東海岸出身者を抑え,多様な政治母体,出身地及び個人的気質のバランスを図った。民主党から,ウェルズ(海軍長官)及びブレア(郵政長官)らもひな壇に加え「挙国一致」体制を整えた。
第二のライバルだったベイツは,野心満々のスワードやチェイスとは異なり,「担がれ候補」らしく,敗北を従容として受け入れた。激戦後に健闘を称え礼譲を示すリンカーンからの使者にも淡々と今後の協力で応じた。ベイツは,かつて,第12・13代フィルモア大統領からの入閣要請を,「平時の戦争長官」など興味がない,と公言し一蹴した硬骨漢だ。リンカーンは,憲法秩序瓦解の危機を訴えられたベイツは「有事の司法長官」への就任要請を絶対に断らないと読んだ。
もう一人の党内対抗馬チェイスは,任期中4度も辞職を申し出,閣内から大統領選への出馬すら画策するなど,獅子身中の虫となる。予兆は最初からあった。この敗軍の将は,まぐれ勝ちの田舎弁護士候補への返書で,地元オハイオ州の分裂投票を未練がましく語った後に,しぶしぶ支持することで応じたが,理性と感情がバラバラの内容だったにちがいない。それでもリンカーンは,チェイスのわだかまりを解くことに必死で,こんな芸当もやって見せた。リンカーンは,共和党大会中,スワードから鞍替えしたペンシルベニア州への「論功行賞」として,同州のキャメロン連邦上院議員に財務長官を打診した。しかし,これに喜んだ議員側からのリークや収賄などの醜聞が聞こえるとすぐに,キャメロンを戦争長官に格下げし,財務長官の要職を「冷や飯組」でもおかしくないチェイスに与えた。
このように,苦労人リンカーンは,自他を取り巻く政治情勢の中で,相手の政治的信条や立場を洞察し,心理の機微に触れる接近法で,党指名選挙で一敗地に塗れた3人のライバルを閣内に招くことに成功し,挙党体制の下で大統領本選にも勝利する。
しかし,「ライバル内閣」の正念場はこれからである。盤上の将棋と違うのは,現実の駒は意思を持ち,一瞬で,王将に刃向かう敵にも変わることだ。
[参考文献]
- 『Team of Rivals: Political Genius of Abraham Lincoln』Doris Kearns Goodwin著(Simon & Schuster社)2005年10月
- 本コラムの初回(1月11日)『分断から統合へ:米歴史家の眼』
- 第2回(2月1日)『ライバル考:リンカーンと3人の好敵手』
- 第3回(3月1日)『勝ちに不思議の勝ちなし:リンカーンの政治的資質と選挙手法』
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