世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本がアンチダンピング措置を取らなかった70年間
(小樽商科大学商学部 教授)
2021.03.08
日本は,アンチダンピング(AD)法に約100年の歴史を持つ。第二次世界大戦以前にAD法を持つ国は日本を含め8カ国しかなく,ほとんどの国はGATT/WTOに加盟して以降に法制化している。日本以外のGATT成立以前に法制化した国々であるアメリカ,欧州諸国,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドは,1990年代まで主要なAD発動国であり続けた。一方,日本は,1930年代に3件の調査を行ってから60年間AD調査を行わず,1993年に至って初めてAD課税を行なったのであった。前世紀に日本がAD課税をした件数は,わずか2件である。なぜ日本は長い間AD措置を取らない国だったのだろうか。
AD課税は,輸入国の産業がダンピング輸入により損害を受けたと認定された場合に課されるが,調査は輸入国の産業が自国の調査当局に申請しなければ始まらない。また,調査当局により調査要件が満たされたと認められなければ調査は開始されない。20世紀の日本では,これらの3条件がなかなか揃わなかったのである。
1930年,31年に相次いで行われたAD調査は,日本が第一次世界大戦以降停止していた金兌換を再開したことにより円高傾向になり,大恐慌による影響も相まって,輸入急増に苦しむソーダ灰,硫酸アンモニウム,銑鉄業界の陳情により行われた。しかし,どれも課税に到ることがなく,それぞれ相手国企業による価格引き上げの協定,輸入許可制度,AD税ではない関税引き上げにより解決したのであった。その後,日本の金兌換停止により大幅円安に振れたことから日本製品の輸出急増が起こり,今度は「日本によるダンピング」が世界で問題視されるようになってしまった。
第二次世界大戦後も40年以上,AD調査が行われなかった。その理由は,時期により異なる。民間貿易が再開された1947年から1964年までは,日本は輸入超過基調であったものの厳しい管理貿易を行っており,ダンピングが疑われるような輸入急増など起こり得なかった。そして,貿易自由化が本格的に行われ始めた1965年以降は輸出超過基調に転じた。高度成長期の日本の貿易構造は,産業間貿易の傾向が顕著であり,国内品が輸入品と競合して敗退することによりAD措置が必要となるような問題が浮上することはなかった。
1970年代に入ると,二度の石油危機により,設備投資稼働率と利益率が長期的に低迷する産業いわゆる「構造不況業種」が現れた。1980年代に入ると,これらの中から輸入急増によりさらに苦境に陥る産業が出てきた。それらの産業は,AD申請を目指した。実際に申請した案件は,繊維2件,鉄鋼1件である。しかしながら,これらは全て調査開始が行われなかった。通商産業省が間に入り,輸出国企業の輸出自主規制や輸出国政府による不公正輸出阻止の約束により,提訴取下げで終結した。また,他にも申請を目指す動きが少なくとも5件あったが,結局行われなかった。
1980年代にAD調査開始が行われなかった理由は,通商産業省がAD調査を行うことや課税することに消極的だったからである。日本のAD手続きは,大蔵省(財務省),通商産業省(経済産業省),産業所轄官庁(例えば,対象産品が農産物の場合は農林水産省)による官庁横断的なプロジェクト・チームにより行われる。1980年代の申請に関連する産業の所轄官庁は,通商産業省であった。各産業団体は,AD申請に当たって,申請書類を揃えるためにも通商産業省の原局原課に相談する必要があった。ところが,1980年代は,日本に対する莫大な貿易赤字が欧米で問題視されており,通商産業省にとり最大の課題は日本の市場開放だった。したがって,輸入を制限する政策が省内の合意を得ることは難しく,相談を受けた原局原課は,AD申請に協力的ではなかった。また,申請しようとする産業団体も,後の行政指導のことを考慮して,原局原課に逆らうことは難しかったのである。このように,1980年代は,申請ニーズはあったが,調査当局が調査開始を認めなかったのである。
しかし,この後日本はAD調査と課税を行うように方針転換をしてゆくことになる。
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