世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
申請しやすくなった日本のアンチダンピング措置
(小樽商科大学商学部 教授)
2024.02.19
WTOは自由貿易を原則としているが,その中にあって貿易救済措置は関税を引き上げてもよいとされる例外である。その一つであるアンチダンピング措置は,世界において頻繁に用いられている。アンチダンピング措置は,外国のダンピングにより国内産業が損害を受けたかその恐れのあるときに5年間関税を引き上げることを認めるものである。
日本におけるアンチダンピング手続きの流れは,国内産業が政府へダンピング輸入の事実とそれにより国内産業の損害が生じていることの十分な証拠を添えて課税を求める旨の申請をすることから始まる。政府は申請に基づき調査を行い,その結果,要件が満たされたと認定された場合に課税される。むろん,申請がなされたとしても,申請適格要件が満たされなかったり十分な証拠がなければ調査は開始されないし,調査してもダンピングの事実がなかったりダンピングによる国内産業の損害が認定されなければ課税は行われない。
また,アンチダンピング措置の申請自体に費用はかからないが,申請するための態勢づくりや資料収集,申請資料作成に相当に手間と費用がかかる。申請しようとする企業は,それらのコストをかけてもそれを上回る収益が得られると予測しなければ,たとえダンピングで損害を受けていても申請に至らない。かつて日本のアンチダンピングの申請は稀であったのだが,その背景には費用が期待収益を上回っていたことも一因であろう。
あわせて実務面においても,申請適格者のハードルが高かったこと,調査を開始するに足る申請者が提出する「十分な証拠」の要求される水準が極めて高いと企業側が認識していたことで,ことさらに企業が二の足を踏んでいた側面もあったようだ。
具体的には,まず,アンチダンピング措置の申請適格者であるためには,調査対象貨物と同種の産品の国内生産者で国内総生産の25%以上を生産し,かつ申請を支持している国内生産者の生産高の合計が申請に反対している生産者の生産高の合計を超えていることが必要とされている。1社で国内生産シェアの半分以上を占めているような企業であればともかく,多くの場合国内総生産の25%以上の要件に満たすために複数の企業がまとまる必要があり,国内生産者の生産高の50%以上の企業の支持を集めることはさらに大きなハードルであった。ただし,2011年以降相次いだガイドラインや政令の改正によりこれらの運用は徐々に緩和され,一例として産業としての50%の支持の中に賛成も反対もしない者を除くようになっている。
ついで,申請者が提出する調査を開始するに値する「十分な証拠」についても,事実上申請困難なくらい厳格なのではないかと長い間指摘されていたが,2011年に「合理的に入手できる情報」で十分であることが改めて確認された。ここで求められる「十分な証拠」は,外国企業のダンピングがあったこととそれにより国内産業が損害を受けた事実であるが,ダンピングの証拠となるデータ集めには,財務省の貿易統計や業界誌等を活用したり,必要であれば対象とする外国企業の現地の調査会社を用いることもできる。国内産業の損害の証拠については,申請企業の損害を超えて当該産業全体の損害のデータが求められるが,業界団体や弁護士を活用すれば機密情報の取り扱いや独占禁止法に抵触する可能性を回避することができる。近年,政府はアンチダンピング措置の申請コストとハードルを下げることに積極的で,提出すべき書類の簡略化が行われている。加えて,貿易救済措置のホームページから輸入や国内需給動向のデータが利用でき,経済産業省の特殊関税調査室では申請希望者からの相談を受け付けている。
期待収益の面でも,申請者にとって望ましい状況になっている。日本で初めてアンチダンピング関税が課されるようになった1990年代には,申請者が申告した外国企業のダンピングマージンの半分にも満たない関税率しか獲得することができず,申請産業にとっては期待はずれであった。ただし,この時期は政府が積極的に調査を行うようになって日が浅く試行錯誤の段階にあり,課税率に関しても慎重すぎるくらい慎重であった。しかし,このような状況も2000年代以降改善した。ダンピング算定方法を整備することで,比較的高い関税率を実現している。また,2008年以降,1年またはそれ以上かかる調査期間中に暫定税を課すようになったことも国内産業にとって望ましい改善であった。
いまだ,日本の企業の間では,アンチダンピング措置の申請はハードルが高いという印象があるようだが,昨今の制度改正によりアンチダンピング措置は使い勝手が良くなってきており,輸入急増により国内産業が危機に見舞われたときに活用すべき経営戦略のひとつなのである。
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