世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1855
世界経済評論IMPACT No.1855

インドが直面する2つの試練:新型コロナウィルス禍と印中国境紛争

小島 眞

(拓殖大学 名誉教授)

2020.08.24

 現モディ政権では力強い経済成長の実現に向けて,インド社会の変革と底上げを含めて,幅広い取り組みがなされてきた。しかし近年,金融機関の貸し渋りなどの影響で経済成長の減速が顕著となる中,第2次モディ政権ではBJP(インド人民党)の選挙マニフェストに謳われているヒンドゥー・ナショナリズム色の濃い施策を打ち出したことに伴う政治的動揺も手伝い,2019年度の成長率は4.2%にまで低下した。さらに2020年度を迎えて,インドは更なる試練に遭遇することになった。一つはインドの脆弱な医療体制の虚をつかれた格好での新型コロナウィルス感染拡大とそれに伴う甚大な経済的損失である。もう一つはラダック地方での印中国境紛争に端を発した地政学的リスクであり,対中政策の本格的な練り直しを迫られていることである。ここでは,新型コロナウィルス感染拡大と印中国境紛争というインドに突き付けられた2つの試練に注目しつつ,そうした新たな状況下でインドが経済,安全保障の両面でいかなる変容を迫られているのか,その今後の方向性を検討する。

新型コロナウィルス禍とインド経済

 新型コロナウィルス禍に対して,今年3月末にモディ政権はロックダウンを数カ月にわたって断行し,果敢にその封じ込めを図った。しかしながらロックダウンの導入はインドに多大な経済的犠牲を払わせることになったのみならず,結果的には感染拡大の歯止めにはならなかった。8月15日現在,インドの感染者総数は252.6万人であり,米国531.3人,ブラジル332.6万人に次いで多い人数になっている。1日当たりの新規感染者数でも8月に入って米国を抜いて6万人を超える状況になった。実際,かつて第1次大戦末期にスペイン風邪が世界的に流行した際,世界で最も多くの犠牲者を出した国がインドであり,死者数は1200万~1300万に及んだとされる。感染源は,欧州戦線に駆り出され,ボンベイ港に復員したインド人兵士とされる。

 ロックダウンの結果,1億2200万人が失業状態に追いやられ,追加的支援がなければ,家計全体の3分の1以上が当座の生活を維持することすら難しい状況に陥った。こうした窮状に対処すべく,ロックダウン直後には貧困者を対象に食糧支援や銀行口座振り込みなどを含む「困窮者福利パッケージ」が発表され,さらに5月には「インド自立化ミッション」という名称でGDPの10%相当の巨額の経済パッケージが発表された。その名称からも窺われるように,上記パッケージは広範な救済措置の提供にととまらず,国産品や経済自立を重視する観点から,農業関連事業も含めた部門別構造改革を伴った内容である。

 職場を離れた人々のうち,6月頃までには9100万の人々が職場復帰するようになり,失業率は4~5月の23%台から6月の11%を経て7月には7.4%に低下し,3月以前の状態に戻るようになった。7月には自動車の国内販売台数,電力消費量も昨年同月比でそれぞれ4%減,2.6%減のレベルまで回復したが,ビジネス環境は依然として楽観できる状況ではなく,今年度のインド経済は大幅なマイナス成長は避けられない見通しである。

印中国境紛争の波紋

 インドがコロナな問題の対応に追われている最中の6月,ラダック地方東部の国境沿いで印中両軍が衝突し,1962年の国境戦争以来の最大規模の犠牲者を出す事件が勃発した。3年前のドクラム高原(ブータン)で印中両軍が対峙して以降,両国は首脳会談を通じて信頼関係の回復を図ってきたものの,今回の国境紛争でそれが裏切られたということで,インドの対中不信は一挙に高まり,安全保障,経済の両面で中国離れが加速するようになった。これまでインドでは戦略的自律が標榜され,非同盟政策の流れを汲んで全方位外交が展開されていたが,今回の国境紛争を契機として,従来の外交的自律に束縛されることなく,民主主義を共有する日米印豪を中核とした「自由で開放的なインド太平洋(FOIP)」構想の枠組みに外交の軸足を大きく移動させる結果となり,安全保障面での日米豪との2国間,多国間協力を一段と強化する構えを見せている。

 さらに経済面でも,中国企業・投資家の対印投資をすべて認可制にするとの今年4月の発表に続いて,さらに国境紛争後は中国製アプリの使用禁止,中国製品に対する輸入規制の拡大など,矢継ぎ早に中国離れの政策を打ち出している。「インド自立化ミッション」で打ち出されている国産化重視の方向性は,6月の国境紛争以降,さらに中国とのデカップリングと結合した形で展開されている状況にある。

今後の方向性

 今後,インドは新たな成長センターとしてのインド洋経済圏の牽引役として,さらには日本とともにインド太平洋構想の中核を担う存在として,経済,安全保障の両面で国際社会においてますます重要な存在になることが期待される国である。引き続いて力強い成長を続けていくためにも,今回の試練を契機として,公衆衛生の改善を図り,コロナウィルス感染拡大に打ち克つとともに,インフラ整備,労働規制や土地収用,さらには電力部門など十分踏み込めなかった分野での経済改革がどこまで実行できるのか,今後の取り組みが大いに注視されるところである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1855.html)

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