世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
東京五輪とOECD:初心忘ルベカラズ
(外務省経済局 国際貿易課長)
2020.07.27
東京五輪が開かれた1964年(昭和39年)の年表は,戦後復興から高度経済成長への離陸を象徴する出来事に溢れているが,中でも,4月の経済協力開発機構(OECD)加盟を忘れるべきでない。
『巨人の星』で,星飛雄馬が,晴れがましい栄誉と闘争心を抱いて巨人軍に入団するのが1967年。花形満や左門豊作といったライバルと切磋琢磨し合う姿は,日本が先進国と肩を並べ,改革・自由化の試練の道をひた走る成長物語と重なる。
OECDは,欧州の戦後復興を目的とした「マーシャル・プラン」の実施機関を前身とし,1961年,アメリカとカナダが加わる形で,経済成長,貿易自由化,途上国支援の三つの目的に貢献する機関として創設された。
日本は,そのわずか3年後,戦禍と灰燼から,他国の先陣を切ってこの「先進国クラブ」に晴れて加盟した。その日の国内の新聞に踊った「やっとおとなの仲間入り」,「手放しで喜べぬ,経済界に厳しい義務」との見出しは,当時の日本人が全身で負った誇りと高揚感,まなじりを決した責任感を物語る。
故・村田良平氏(元外務次官・駐米大使)は,ガット11条国への移行(1963年)と国際通貨基金(IMF)8条国への移行(1964年)とOECD加盟が相俟って,日本が「名実ともに先進国の一員になり,国際的地位を向上させた」と記し,また,OECD側からみれば「欧州的な色彩の残っていた国際機関にアジアからの加盟国を迎えることは,OECDの地域性を打破し,OECD自体の一層の発展をもたらすものとの期待感が醸成されることとなった」と回顧している(中公新書『OECD(経済協力開発機構)―世界最大のシンクタンク』)。
OECD加盟は,至難の業だ。候補国は,様々な政策分野における先進国並みの質の高い規準(スタンダード)を遵守しているか,そのための国内法令が整備されているか,など,30前後の専門委員会での厳しい加盟審査に「合格」し,最後に,全会一致での承認を得なければならない。狭き門をくぐること自体に,改革促進効果があると言われる所以である。しかも,加盟後も,定期的なピア・レビュー(加盟国間の相互審査)を通じて,その実施状況を厳しく審査されるので,構造改革や制度調和の努力において「喉元過ぎれば」は許されない。
このように,OECDに加盟する国は,あたかも「大リーグ養成ギブス」のように,自らすすんで高い負荷をかけ続けることで,経済成長や生活水準の向上を担保しようと覚悟を決めている。90年代には,市場経済に移行する旧ソ連諸国が,昔から憧憬の対象であり続けた西方の光源に向かい,鉄のカーテンをこじ開け,先にブリュッセルの欧州連合(EU)に,次にパリのOECDへと加わった。
そしていまなお,半世紀以上前に日本が抱いた高揚感を現在進行形で経験している国もある。今年,奇しくも日本加盟と同じ4月28日に,37番目のメンバーとして正式加盟したコロンビア。フアン・マヌエル・サントス大統領(当時)は,内戦の混乱に終止符を打ち,いよいよ国造りに邁進しようと国民を鼓舞する中で,2014年冬,パリのOECD本部を訪れ,「自分の墓碑銘には,国内和平とOECD加盟を成し遂げた男,という業績を刻んで欲しい」と涙目で演説した。こうした近隣国の動きにも触発され,コスタリカが加盟審査中であるほか,南米ではブラジル,アルゼンチン及びペルー,中東欧ではルーマニア,クロアチア及びブルガリア(いずれもEU加盟国)が名乗りを上げている。
近年,OECDをはじめとする国際機関は,多国間協調やグローバル・ガバナンスの機能不全の象徴のように言われる。しかし,思うに,国際機関の主人は,あくまでもメンバーである主権国家であり,その逆ではない。問われているのは,国際機関ではなく,それを使いこなすべき国家の意思と力量なのだ。国家が各々の機関に付託する目的の下での活動に主体的に参画し,そこから貪欲に便益を得よう。
OECDの議場で,真新しい席札を掲げる新顔の同僚が発する熱量は,古参の我々に,東京五輪の頃の初心忘ルベカラズ,と呼びかけている。
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