世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1803
世界経済評論IMPACT No.1803

中印関係悪化が暗雲をもたらすRCEP交渉

椎野幸平

(拓殖大学国際学部 准教授)

2020.07.06

 6月に発生したラダックにおける中印両軍の衝突は死者が出る事態となり,中印関係の緊張を高めている。今回の事態を受け,インドのモディ政権は経済面で中国への対抗措置を打ち出している。また,交渉中の東アジア包括的経済連携(RCEP)では,2020年中に署名に至れるかが焦点となっているが,インドを含めた16カ国での署名を一段と厳しくする事態となったと指摘できる。

インドは経済面で中国に対抗的措置

 インドと中国の両軍は,6月15日,ラダックで衝突し,銃器は使われなかったものの,インド側は20人が死亡した(中国は非公表)。国境問題を抱える中印両国は,インド側地域でみればラダック,シッキム,アルナチャル・プラデシュなどで長い国境を接している。長年,実効支配線で睨みあいながらも,1975年以降は死者を出すような衝突がない状況が続いてきたが,45年ぶりに死者を出す事態となり,緊張関係を高めている。中印両国は5月以降,ラダックの実効支配線をはさんで緊張関係を高めていたが,その背景にはインド側の実効支配地域での道路整備に対する中国側の反発,事実関係は明らかではないが両軍が実効支配線を越えたことなどが指摘されている。

 この後,中印両国は緊張緩和に努めているものの,国境付近で軍の動員を増やしているとも伝えられている。さらに,インド側は経済面で中国に対して対抗的措置を発動,検討している。インドはこれまで,5G政策では中国の通信機器メーカーを排除する方向性は示してこなかったが,今回の事態を受け,インドは国有通信企業が中国製の通信機器を使用することを禁じるとともに,携帯電話事業者にもファーウエイやZTE等の中国製機器使用を禁じる可能性があると報道されている(The Economic Times, June 18, 2020)。

 さらに,6月29日には,インド政府は59の中国企業のアプリについて,利用禁止とする措置を発表した。この中にはTikTokやMi Video Callなどが含まれる。収集されたデータを不正に送信し,インド外のサーバーに保存され,安全保障に影響をもたらすことを理由とし,インド電子情報技術省はGoogleとAppleに対してプラットフォームから同アプリの削除を指示するとともに,通信企業に対しても同アプリへのアクセスをブロックすることを求めている(The Hindu, June 29, 2020)。

 また,中国からの輸入品は全て検査の対象となり,輸入遅延が生じている模様で,インド自動車部品工業会(ACMA)は自動車のサプライチェーンに悪影響を及ぼすとして,通関手続きの改善を求めるリリース(6月29日)を発表している。

 また,インド政府は,中国を特定しているわけではない模様だが,中国を含む全ての国に対して160~200品目を対象に関税を引き上げ,100品目を対象に非関税障壁を設ける方針であることも報道されている。中国への報復措置ではなく,国内の産業保護が目的で,4月頃から検討していたとされる(Business Standard, June 19, 2020)。

 インド政府は,4月には,事実上,中国をターゲットとした外資規制の強化を行った。インドと国境を接する国からの直接投資については,自動認可は適用せず,政府からの個別認可取得を義務付ける外国直接投資政策の改訂を実施し,中国側の反発を招いていた。新型コロナウイルスがもたらす経済の混乱に乗じて,中国企業等がインドで買収攻勢をかけるリスクを防止することを狙いとしているとみられる。近年,PaytmやOlaなどインドのユニコ―ン企業等にアリババやテンセントなどの中国企業が出資し,スタートアップ分野での中印連携が進んできたが,こうした動きにもブレーキがかかることも考えられる。

16カ国でのRCEP署名に一段の暗雲

 中印両軍の衝突は,交渉中の東アジア地域包括的経済連携(RCEP)交渉にも一段の暗雲をかけることとなる。RCEP交渉は2019年の首脳会談で合意が期待されたが,最終段階でインドが交渉離脱も辞さない姿勢をみせ,合意には至らなかった。声明では,インドを除く15カ国については,「2020年における署名のために15か国による法的精査を開始するよう指示」とする一方,インドについては「未解決のまま残されている重要な課題がある」と明記されている。

 2019年の首脳会談直前まではインドもRCEPに合意する可能性が高いとみられていた。インド工業連盟(CII,日本の経団連に相当)は,首脳会談直前の11月2日のリリースでRCEPに加盟しないことは長期的にインドの産業界にはマイナスになると発信し,産業界としてもインドのRCEP加盟を後押しする姿勢をみせていた。しかし,最終段階でモデイ首相が未解決の課題があるとして,RCEPから離脱も辞さない姿勢を示し,土壇場での卓袱台返しとなった。

 その後,RCEP交渉は4月と5月に交渉会合,6月に閣僚会合がテレビ会議方式で開催されたが,インドは出席していない。閣僚会合の声明では,「我々は,RCEPがインドに対して引き続き開かれていることを強調したい」とし,インドへの参加を働きかけている状況にある。

 今回の中印衝突は,2020年中のインドを含む16カ国でのRCEP署名を一段と困難にしたと指摘できる。一方で,RCEPにインドが加盟することは,インドと中国,オーストラリア,ニュージーランドと,アジア大洋州域内のFTA未発効国間で新たにFTAを形成すること,ASEAN・インドFTAなど既存のFTAを上回る自由化率を実現すること,デジタル貿易など新しいルール形成にインドを取り込むことなど,RCEPの価値を高める観点から重要であることに変わりはない。

 そもそも,新型コロナウイルスの影響で15カ国による2020年中の署名にも不透明さが残るものの,16カ国によるRCEP署名が困難な場合には,将来的にインドがRCEPに参加する枠組みをいかに残していくかが課題となる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1803.html)

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