世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3103
世界経済評論IMPACT No.3103

シンガポールで12年ぶりとなる大統領選挙

椎野幸平

(拓殖大学国際学部 准教授)

2023.09.11

 シンガポールでは,9月1日,12年ぶりに大統領選挙が実施された。与党・人民行動党で,汚職疑惑やスキャンダルが表面化し,与党に逆風が吹く中,同党出身で大統領選に出馬したターマン・シャンムガラトナム(Tharman Shanmugaratnam)氏の得票率にどのような影響を与えるかが注目された。

3つ巴の選挙戦となった大統領選挙

 シンガポールの大統領選挙には,ターマン元副首相とともに,シンガポール政府系ファンドであるGICの元最高投資責任者(CIO)のウン・コクソン(Ng Kok Song)氏,大手保険会社NTUC Incomeの元最高経営責任者(CEO)であるタン・キンリエン(Tan Kin Lian)氏による三つ巴の選挙戦となった。

 シンガポールでは,首相が政治的実権を有し,大統領は総じて象徴的な存在であるものの,政府の準備金支出に対する拒否権,最高裁・軍・警察など一部政府官職の任命権,汚職捜査局による捜査に対して首相が同意しない場合でも,大統領の同意があれば実施できることなど,一定の権限を有している。

 ターマン氏は,与党・人民行動党の重鎮で,国民的人気も高い政治家である。学生時代には,学生運動に参加したとされるが,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとケンブリッジ大学で経済学を学び,ハーバード大学で行政学修士号を修め,シンガポール通貨金融庁(MAS,中央銀行)でそのキャリアをスタートさせている。その後,与党・人民行動党において政治家として頭角を現し,教育大臣,財務大臣,副首相,MAS議長,上級相等を歴任してきた。ターマン氏は,これまでの総選挙においても,自身の選挙区(シンガポール西部のジュロン・グループ選挙区)で,毎回,7~8割の高い得票率で当選を果たしてきた(最高79.75%:2001年,最低66.96%:2011年,直近の2020年は74.61%)。また,シンガポールでは民族的には少数派(国民の9.0%,2022年)となるインド系である。大統領選においては,Respect for allとのスローガンを掲げ,これまでの政治家としての実績と国際性を強調してきた。

 このターマン氏に挑むかたちとなったのが,ウン氏とタン氏である。ウン氏は,MAS勤務後,GICで長年,政府資産の運用を担ってきた金融の専門家である。United for our futureをスローガンに掲げ,選挙戦では11人兄妹で貧しい家庭で育った経験を語るとともに,無党派である大統領を誕生させる必要性を主張してきた。一方,タン氏は,Bring back trust and give hopeをスローガンに掲げ,野党有力者の支持も受けて,大統領選に臨んだ。2011年の大統領選挙にも出馬したが,投票率4.91%で敗れている。

大統領選前には与党に逆風

 この大統領選挙前には,汚職に対して厳しい姿勢をとり続けてきたシンガポールにおいて,政府要人の汚職疑惑が表面化していた。2023年7月に,イスワラン(S Iswaran)運輸大臣が汚職疑惑で逮捕されたことである。さらに,同月にタン・チュアンジン(Tan Chuan-Jin)国会議長が与党・国会議員との不適切な関係で,辞任に至っている。加えて,結果として何ら問題はないとされたものの,バラクリシュナン(Vivian Balakrishnan)外相とシャンムガム(K Shanmugam)内相・法相による国所有の住宅借り上げ問題が追求され,国会で取り上げられる場面もあった。

 また,物価上昇とともに,不動産価格が高騰,住宅問題が大きな課題となるなど,与党には逆風が強い中での選挙戦となった。

結果はターマン氏が圧勝

 大統領選の結果は,ターマン氏が得票率70.4%(174万6427票)で当選,ウン氏が15.72%(39万41票),タン氏は13.88%(34万4292票)となり,ターマン氏が7割の得票率で,他2候補を大きく引き離して圧勝した(CNA)。

 前回2011年の大統領選では,4人の候補者が立候補し,与党出身のトニー・タン(Tony Tan)氏の得票率が35.2%と次点のタン・チェンボク(Tan Cheng Bock)氏(34.85%)に僅差で勝利していたことを考えると,今回のターマン氏の圧勝ぶりは際立っている。

 今回の大統領選でターマン氏が圧勝したことは,与党への逆風が大きく影響しなかったとの見方ができるものの,一方で,ターマン氏の個人的な実績と人気が大きく寄与したとの評価がみられている(Straits Times)。

与党では第4世代への世代交代を模索

 現在,与党・人民行動党では,リー・シェンロン(Lee Hsien Loong)首相から,ローレンス・ウオン(Lawrence Wong)副首相・財務相を中心とする第4世代への世代交代が進められており,第4代新首相誕生のタイミングが模索されている段階にある。一方,近年は野党の一つである労働者党が議席を増加させており,2020年の総選挙では10議席(93議席中)を獲得,一方,人民行動党の得票率は61.2%と,6割を超える国民の支持を得ているものの,過去の総選挙における得票率の中では相対的に低い水準まで低下している。第4世代への世代交代を通じて,高い支持を維持できるかが同党の課題となっている。

 こうした中,与党出身のターマン氏が圧勝して,新大統領に就任することは,第4世代への世代交代を進める上で,少なくともその予見可能性を低下させることにはならなかったと言えるだろう。

[参考資料]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3103.html)

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