世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1693
世界経済評論IMPACT No.1693

グローバリゼーションと自由主義:新型コロナ後の困難な世界

鈴木裕明

((一財)国際貿易投資研究所 客員研究員)

2020.04.13

 2月に本稿の寄稿依頼を頂いた時には,中国に端を発した新型コロナウイルス感染がまさか短期間でこれほどのパンデミックになるとは想像できなかった。しかし,ジャレド・ダイアモンドの名著『銃・病原菌・鉄』で詳らかにされているように,病原菌こそが,世界史を形作ってきた主要ファクターの1つであり,私たちは今まさに,その事実が展開するのを目の当たりにしている。

 では,新型コロナウイルスは世界の何を変えるのか。まだ現在進行形であり,その行方のすべてを占うことは,浅学な筆者には到底出来ない。しかし,筆者が携わってきた国際経済/政治面から,そのきっかけとなるものを問題提起できればと思う。

グローバリゼーション深化の終焉?

 まず見えやすいところでは,このところ停滞や逆行が生じているグローバリゼーション深化の動きに,新型コロナウイルス感染がとどめを刺すのか,という点である。

 第2次世界大戦後の貿易投資の拡大は,世界経済の成長に大きく寄与してきた。ただし,グローバリゼーションへの対応の巧拙によって,国ごとに寄与の大きさには大小があり,また,一国の中でも裨益した層と損害を受けた層の双方が存在することになった。近年,特に成長率が低下してきた先進国においては,輸入と競合する産業に従事する中低所得層の損害が目立つようになり,学術的にもそれを支持する論説が増えてきた。これを象徴するのが,米国のラストベルトでかつて製造業に従事していた「忘れられた人々」であり,この人々の支持を集めて大統領に就任したトランプ,そして彼のもとで始められた米中摩擦であった。

 経済学的に,トランプ政権のとった保護主義政策は正しくはない。関税を引き上げて既存産業の保護を図るのではなく,国内の雇用移動を推進する政策を強化して,国際競争力を失った産業から,国際競争力を持つ産業へと雇用をシフトするのが筋である。こうした貿易調整支援策は主に米民主党が主張し長年実施されてきたものではあるが,しかし,近年の実証研究では雇用移動が思った以上に低調であることが示されるなど,決してうまくはいっていない(その一因は次項で述べるように,人間の「感情」である)。結果として,米国民の間で深刻な分断を生むまでになっている。これは,英国など欧州においても当てはまるところである。

 そこで米国が保護主義の一手段として持ち出したのが,安全保障上の理由による輸入制限である。鉄鋼などで一定の産業規模を国内に残すことが米国の安全保障上必要という理由で,トランプ政権は輸入制限をかけた。

 そこに今回,新型コロナウイルス感染で明らかになったのは,医療機器やマスク等の確保の重要性であった。現状,医療機器等の輸出規制をめぐっては,各国がさまざまなスタンスを取り,それが変化し,また,表に出ているもののみならず,SNS上では虚実取り混ぜた情報が流れていて,現状についても,今後についても,どうなるのかは分からない。ただ,1つだけ確かなことは,国境というものが存在する以上は,必需品の多くを輸入に依存すれば,常に供給途絶というリスクが存在するということを,各国国民が自分の生命にかかわるものとして深く記憶に刻むであろうことだ。今後,貿易自由化を進めようとすれば,この不安感情と正面からぶつかることになる。必需品をすべて自給するなど現実的ではなく,十分に備蓄する,輸入相手国を多様化する等の方策も組み合わせるのが現実的ではあるが,こうした合理性を恐怖や不安の感情が凌駕することは容易に想像できる。

 このほか,中・短期的には,国際的な人の流れの途絶も,グローバリゼーション深化には逆風となる。いずれ,新型コロナウイルスは今ほどの脅威ではなくなり,人の交流は危険ではなくなるだろう。しかし,それまでの間,人々はICTによる遠隔コミュニケーションに慣れ,使いこなし,ツールもまた多大な需要を得て一層進化していくことになる。フェイストゥーフェイスによるコミュニケーションの重要性を過小評価しようとするものではないが,新型コロナ以前と以後を比較した場合,「これ,TV電話会議で済みますよね」という機会が増えていくことになるのであろう。

自由主義の限界?

 上述したように,米国においては,グローバリゼーション深化への「対応不全」が生じたが,これは,人は感情の生き物であり,政権が望むようには動いてくれないということでもあった。具体的には,雇用の産業間でのシフトについて,国際競争力を失ったからといって,生涯をかけて取り組んできた仕事,その技術も思い入れも捨て去って,ゼロから職業訓練を受けろというのは,与えられた状況下ではそうすることが合理的であったとしても,その個人には感情として許容できないということだ。それくらいなら,失業者として,あるいは薬物に逃れて,刹那的に時間を費消する,そういう人たちが溢れた。米政府はこれまでかなりの資金と労力を投入して貿易調整支援を実施して,彼/彼女らの雇用移動を促してきたが,うまくいかなかった。自由主義の米国において,それ以上の強制はありえない。結局,トランプ政権は,自由貿易と雇用移動を諦めて,国際競争力を失った産業を保護主義によって再構築しようとすることを選んだ。ただし,このやり方にしても,結果がうまくいく保障はまったくない。

 人々の合理的には見えない行動は,今回の新型コロナウイルス感染でも生じた。政府や専門家が危険性を説き,自粛事項を訴えても,これを聞かない人々が少なからず存在し,感染を広めた。目先の欲求とその結果生じうるリスクを考慮すれば,こうした人々の行動は,客観的にみれば合理的ではない。しかし,彼/彼女たちの感情(主観的な合理性)には,この理屈は通らなかった。結果として感染は広がり,法的に可能な国々は,非常措置として,自由主義を曲げて移動制限や営業制限などの強制措置を取った。

 上記はいずれも,政府が自由主義の下で,客観的な合理性に基づいて国民が行動することを期待して政策運営を行ったところ,結果が破綻してしまった例といえる。

 他方において国民側からみると,新型コロナウイルス感染拡大下で強制的なロックダウン等がなされない自由な状態においては,どの範囲までの行動が許容範囲なのか,一人一人が都度,自分で判断することが求められる。真面目に考えようとする人たちにとっても,新型ウイルスの感染に関する情報は極めて不完全であり,自分は平気でも他人にのみ害を及ぼすケースもあり,しかも,強い自粛措置を取れば損害(それが金銭的であれ,精神的であれ)が生じることから,許容範囲を正しく判断することは極めて難しい。そして,個々の自由判断の集合として国全体を望ましい方向へ進めることは,さらに難しい。結果として,個人でも国としても,いわゆる正常性バイアスが作用し,各国で自粛が遅れることになった部分もあったのではないか。

 これに対して,強いリーダーシップをみせる誰かに判断してもらい,そのリーダーを盲信し,ついていく方が楽ではある。国としても,一見,まとめやすい。そもそもが,数年来,民主主義国家において強権的な政権の誕生が相次いでいるが,背景には,こうした国々の「自由疲れ」もあろう。今回の危機に際し,強いリーダーを待望する思いはさらに高まっている。

 今後,為政者側からも国民側からも,「自由疲れ」の流れが加速することも考えられる。

コロナ後の世界

 過去数十年,世界は,グローバリゼーションの方向,自由主義の方向に,大きく振れてきた。その流れが近年,滞り,逆流する兆しが出ていたが,新型コロナウイルスという「病原菌」は,この兆しを決定的なものにするのかもしれない。上で述べてきたように,グローバリゼーションと自由主義の危機,その共通する背景としては,政治経済のリーダーが,国民一人一人の人間としての感情を理解しきれていない,理解しようとしないことがあるのではないか。人間の感情はしばしば客観的な合理性を凌駕するし,自由より服従を選択することもある。既に,行動経済学や心理学など,幅広い専門家を交えた政策形成が為されているのであろうが,保護主義化や新型コロナウイルス感染の状況をみれば,現状は,まだ適切な対応を見出しているとは言い難い。

 コロナ後の世界は,グローバリゼーションと自由主義のそれぞれについて,今の反動(一種のユーフォリア)でいったんは再び深化するようにみえることもあるかもしれないが,その後は再び停滞・逆行して,振り子がどこまで戻るのか,その落としどころ探しの局面に入っていく,困難な時代を迎えることであろう。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1693.html)

関連記事

鈴木裕明

最新のコラム