世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1657
世界経済評論IMPACT No.1657

EU委員を操るユーロ官僚たちの要塞ベルレイモント:欧州連合の舞台裏①

瀬藤澄彦

(帝京大学 元教授)

2020.03.16

2人の欧州統合派の矜持と憂鬱

 2019年12月になってフォン・デア・ライエン率いる欧州委員会の新体制が難産の末,ようやく稼働し始めた。巨大な伏魔殿とも言われる4つの翼の結合する十字架のようなベルレイモント・ビルと呼ばれるこの委員会本部はEU統合の総本山でもある。このEU委員会に勤務する正規職員2万3000人,契約職員9000人,加盟国からの出向職員らはユーロクラット(欧州官僚)と呼ばれたりもする。メディアではEU委員会の28人(Brexit後,現在27人)のコミッショナー委員がよく登場するが,彼らを支えているこの官僚たちは余り紹介されてこなかった。この委員会は1951年の欧州鉄鋼共同体(ECSC)とともに発足し,現在の欧州統合の組織なかでもっとも古い超国家的機構である。その現在27人のコミッショナーと呼ばれる委員のことはよく知られているが,そこに勤務する人達,約3万人のことは専門家以外ほとんど知られていない。

 欧州統合について長年,取材してきてその舞台裏,表と裏を誰よりも知っていると言われるフランス人ジャーナリスト,ジャン・カトルメール(Jean Cartelemaire)氏と,筆者の友人でパリ・ベルシーのフランス経済財務省出身でEU代表部勤務のイバン・バサール(Yvan Vassard)氏との情報を中心にその知られざる実態を探ってみることにある。断っておくがこの二人は熱烈なEU統合推進派である。ブラッセルを愛するが故の辛口である。カトルメール氏は最近ではよくテレビの討論番組に登場するようになった。また長年の筆者パリ・ベルシーの経済財政省出向以来の友人であるバサール氏には来日時にEUの現状について日仏会館で講演をしていただいたところである。彼はブルッセルの生活が気に入ってもうパリには戻りたくないとさえ告白してくれた。

過去の栄光の亡霊に生きるユーロ官僚たち

 EU委員会勤務の欧州官僚たちはいわば無国籍なテクノクラート集団である。難関とされる欧州レベルの試験に合格して就職してきた彼らや彼女たちは勿論,出身国の国籍を失ってはいないが,欧州連合そのものにまだパスポートがない以上,本来あるべき法的な国民としての正統性というものを生活のなかで持ち合わせていない無国籍に近い身分ともいえる。彼らは一般的に市場経済主義を熱心に信奉し,それなりに「高い給与」を支給されて満足した生活をしていると言っていい。その精神的な支えは自分たちが欧州のひとびとのために奉仕しているのだという強い信念である。しかしながらブラッセルでは,現実の市民の生活実感からかけ離れて,広い立派なアパートに居を構える彼らは,なんと欧州の「問題児」,「癌」であるとまで悪口を叩かれたりする。これは驚きである。どうしてであろうか。こんな話が聞こえてくる。

 「私のお母さんには委員会で働いているとは言わないでください。かつては欧州のために勤務できるなんてことは大変な誇りだったけれども今はちょっと違うのです。その訳は次の通りです」と嘆くユーロ官僚がいる。

 実はギリシャ危機以来の欧州各国,とくに債務国に課せられた財政緊縮で生活が大変だということをもじった漫画のステッカーがブラッセルで大流行になった。それはあの欧州連合の星のついた旗のブルーの生地で首を絞めつけられている人の漫画の入ったものである。かつては聖なる欧州統合という使命を掲げて進歩と平和に貢献するエリート公務員とあがめられていたユーロ官僚たちにとって実は1980年代,90年代のはじめ頃まではいわば黄金時代だった。ジャック・ドロール委員長の推進する欧州単一市場の完成やマーストリヒト条約の締結などユーロクラットたちも胸を張って街なかを闊歩していたものだ。転機はどうも今から考えると1992年にドイツのヘルムット・コール首相がブルッセルの官僚を「怖い怪物だ」などと批判したあたりのようである。率直に言ってこのようなユーロバッシング,ユーロ官僚いじめは以来,ひとつの変わることのない流れになってしまったようである。ユーロ官僚を煙たくみるようになったのも無理からぬことかもしれない。欧州統合に関して自国の政府よりももっと問題を引き起こしているのは彼らのせいだとみなされるようになった。彼らは加盟各国の国家主権には冷たく,高慢な態度で見下し,それでいて欧州全体の本当の利益というものも忘れてしまっている。このような政治センスの欠如には欧州のひとびとはあきれ果てているのである。過去の栄光という亡霊に生きているようなユーロ官僚には救いようもないのであるとジャン・カトルメールは言う。この魔物のような迷宮ベルレイモンEU委員会本部ビルには彼はいつも奇妙な感覚に襲われるという。そこに入るときには胸を張って欧州を意識する欧州連邦主義者の気分なのに,そこを出るときになると国家主権ナショナリストのような感情に陥ってしまうというのである。彼ら欧州官僚からすると彼はあの「うるさい」フランス人国家主義者であり,しかしパリに一端帰ると欧州連邦主義者の守護神のようにされてしまうと告白している。

有力政治家を委員会コミッショナーに任命の時代に

 このような逆説的な状況というのは同氏によると次のような背景がある。欧州委員会の28人のコミッショナーはいずれも28カ国のそれなりの知られた政治家ばかりである。欧州連合の官僚的な「矛盾」の論理がこの辺の委員構成からすでに発生している。1980年代のジャッ・ドロール委員長以降の時期においては,加盟国の首脳も政府関係者も密かに暗黙の次のような合意事項があったと言われる。それはこのEU委員会の委員長のポストには元首相経験者しかもってきてはいけないということである。これはこのEU委員長ポストの格上げを狙うとともに,もうひとつは欧州理事会,すなわち欧州首脳サミットのメンバーだった加盟各国の元首をここに持ってくることによって委員会との密接なつながりを継続することが容易になるからである。通常,首相や元首はどうしてもいつまでたっても政治家であって事務処理的なことは蚊帳の外で不得手である。EU委員会のような重量級のしかも多国籍な官僚組織を効率よく引っ張っていくのはよっぽど,内部に精通して複雑なその手続きや法規などに明るくなければならない。加盟国元首の集まる欧州理事会や,担当大臣の定期会合である欧州連合理事会のメンバーであれば政治的な影響力によって委員会を自分の領域のように振る舞えるからである。

 ところが問題は高級官僚として本当に優秀であったジャック・ドロール委員長を最後に,カトルメール氏によるとその後任の委員長,元ルクセンブルグ首相のジャック・サンテール(1995~99年),元イタリア閣僚評議会議長で首相だったロマノ・プロディ(1999~2004年),元ポルトガル首相を務めたホセ・マヌエル・ドラオ・バロッソ(2004~14年),などがすべて「無能」な委員長であったという言い方はブルッセルでは知られたことである。このような流れのなかでコミッショナー委員には政界出身者の大物を各国とも候補者に選ぶようになったが,現場の仕事経験のなく規則やルールにも疎いこれらのコミショナーは実はEU委員会においてはあの強力なDGと頭文字を取って通常呼ばれる総局の単なる操り人形にすぎないとも悪口を言われたりするようになった。百戦錬磨で案件を熟知する欧州官僚たちから飛び交ってくる専門的な用語や議論の凄まじいやり取りに対抗するにはよっぽど勉強,準備して揺るぎない強い政治的な決意や意思がないと難しいであろう。従ってこれまでのコミッショナーで評価が高いのはいずれも優秀な官僚出身者だけであった。ジャック・バロー法務・輸送担当,ロヨラ・ド・パラシオ輸送担当,ミッシェル・バルニエ地域開発・単一市場担当,マリオ・モンチ市場・競争担当,そしてパスカル・ラミー対外通商担当らのコミショナーは本国でも最も優秀な評価のあった人物であった。ところが,予期せざる展開で元政治家が委員会コミッショナーに次々と選出,任命されるようになったたがためにかえって官僚機構のプロパー職員に権限を与えることになってしまうのである。

「コミッショナー局長,それはEU条約では許されません」

 実はロマノ・プロディがEU委員会の委員長のときに委員会の組織としての権限と能力があっという間に大幅に低下してしまったと言われている。それは従前から課題とされていたEU委員会の大胆な行政改革が1999年に英国のニール・キノック(Neil Kinnock)EU副委員長の陣頭指揮で行われた結果,大きな変化が生じることになったのである。すなわち1999年以前ではコミッショナー委員の不可欠な補佐役となっていた4つある総局(DG)の総局長ポストにはその分野に精通する水準の高い専門家が公募され,長期にわたってそのポストにとどまるようになった。それは言ってみればおめでたいこと一点張りの多いコミッショナー委員の能力の限界や欠陥を糊塗することのできるいわばまさに第2コミッショナー(commissaire bis)委員の誕生と皮肉交じりに言われるような「次官補」人事である。しかしながらプロディ委員長は人事異動を民主主義や透明性の欠如という当時降りかかった批判にこたえるようにこのような総局の幹部管理職の4年から5年ごとに交替する重要ポストの人事異動政策を敢行したのである。この改革はカトルメール氏によると「破滅的な」マイナスの影響を委員会に与えてしまったのである。頻繁な局の幹部の人事異動によって委員会の事業の予算や執行に関することは熟知する時間もなく人事異動で交代になってしまうようになったと言われている。このことによって仕事の実際の意思決定権が序列からすると下位のランクのユーロ官僚職員に移行してしまったのである。財政局,医療局,地域開発局などと局を移動してもすぐに業務に精通できるものではない。委員会では一般的にひとつの総局の仕事をマスターするのに最低1年はかかると言われており,最後の年度は次のポスト探しに費やされてしまうのである。そうすると4~5年任期の在任中,滞りなく仕事を局長が発揮できるのはたった2~3年間ということになってしまう。さらにこのような状況に輪をかけたのはプロディ委員長の直前のサンテール委員長のときに発覚して,委員会委員全員が辞任に追い込まれた汚職事件の影響である。教育や科学の担当コミッショナーの不祥事に端を発したすべてのコミッショナー総辞職以来,新たな汚職が発生しないように委員会の総務管理と財務に関連する仕事に追いまくられるようになり,政策の執行に時間をかけることができなくなってしまったのである。こうして総局の幹部に対して下の職員から発せられる言葉が有名になった。「できません,コミッショナー局長,それはEU条約では許されません」。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1657.html)

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