世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1544

日ソ・シベリア開発協力史の教訓と課題:待たれる日・露財界の奮発

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2019.11.18

 1991年にソ連が崩壊し,冷戦は終焉した。これに伴い,日ソ経済委員会は日露委員会へと名称変更となり,同時にナショナル・プロジェクト交渉の一元的窓口という機能も消滅した。ソ連が「市場経済型」国家のロシアへ体制転換したのだから当然である。ソ連時代の政経分離による経済交流と現在の日露経済協力では,国内外の背景や諸条件が大きく異なり,単純に比較することはできない。それでも,シベリア開発協力の経験と教訓が,今日的課題に繋がる部分があると考えられる理由が少なくとも二つある。

 一つ目の理由は,ソ連がロシアになっても変わらぬ側面があるということである。ソ連時代のシベリア開発協力で露呈した経済交流の制約要因の多くが,いわばレガシーとして残っている。前回の拙稿(No.1533)のなかで,チュメニ石油開発プロジェクトの頓挫に関連して,当時の日ソ・シベリア開発協力には何らかの許容範囲の上限があったのではないかとの仮説を披瀝した。今日においてはそうした上限はかなり緩くなったものの,決して消滅したわけではない。ロシアの軍事的脅威が完全に払拭されたわけではないし,北方領土問題も未解決のままである。米国や中国との関係も依然として重要なファクターである。数年前のことだが,長年にわたりロシア・ビジネスの最前線に携わってきた某総合商社の幹部に「北方領土問題が御社のビジネスに支障をきたすことはあるのか」と内々に質問したことがある。その答えは「直接の支障かどうかわからぬが,他国とならすんなり通るような案件でも,ロシアが相手だと役員会まで上がって『やめておけ』となってポシャることがある」というものだった。

 また,ロシア・ビジネスの実務的な問題も忘れてはならない。日露経済委員会では,毎年,主要な日本企業を対象にロシアのビジネス環境に関するアンケート調査を実施しているが,ここで指摘されている諸々の障害(煩雑な許認可手続き,必要性の疑わしい審査や規制,窓口ごとに異なる対応,多大な時間を要する通関,煩雑で頻繁な法改正,国際会計基準から乖離した独自の会計基準等々)は殆ど全てソ連時代のままと言ってよい。

 他方,将来的には,両国間のさらなる経済交流を模索するなかで,かつてチュメニ石油開発プロジェクトを巡って経験した国内外の大きな反響と懸念を引き起こすような新たな大規模協力案件が,浮上する可能性を排除することはできない。例えば,数年前,APEC(アジア太平洋経済協力)ビジネス会議において,ロシア代表が日露を中核とするアジア太平洋電力供給網構想を唐突に打ち出し,会議の参加者を驚かせたことがあった。あまりに気宇壮大であり,その後,具体化の議論は耳にしないが,もし仮に同構想の事業化可能性の検討が始まり,現実味を帯びるようなことがあれば,米国や中国も黙って座視するということにはならないだろう。

 二つ目の理由は,今日の各国との2国間経済交流のなかで,対ロシアほど官民連携の名の下に政府が継続的に関与し,前面に出て旗振りをしているケースはないということである。官邸主導の下にロシアとの経済交流拡大のための官民会議が設置されている他,取りまとめ役として関係省庁を動員した医療,都市計画,省エネ・再エネ等セクター別の8項目の「協力プラン」が推進されている。これは,経済交流の拡大を通じて両国間の信頼関係を醸成し,日露平和条約締結への道筋をつけたいという安倍政権の強い意向によるものと考えるのが自然であろう。このような政府の取り組みは,ソ連時代であれば一種の政経分離政策(北方領土返還への出口戦略)と見做されたはずだが,今日においては政治・外交目的のために経済関係を活用しようとする政経リンケージ戦略であると解釈できる。筆者は8項目の「協力プラン」の経緯や詳細を承知していないが,いずれもロシアのニーズに合致しているようであり,もし同プランを通じて経済交流が拡大するならば,それ自体は好ましいことである。しかしながら,リンケージ戦略として功を奏するか否かは別問題であろう。

 冷戦時代に国内外の様々な逆風のなか,7件の日ソ・プロジェクトが結実した最大の要因の一つが,気迫に満ちた財界人の大胆な決断と行動力だった。まさに民主導の経済外交の真骨頂だった。紆余曲折はあったが,当時の政府部内,とりわけ外務省には,北方領土返還交渉が進まぬまま経済交流のみが先行して拡大することへの警戒感があり,しばしば財界主導のシベリア開発協力に対するブレーキ役を果たそうとした。翻って,現在の「協力プラン」は官民連携と言うよりも,むしろ外務省を含む官主導の観が強い。セクターによっては,政府の旗振りに民間がお付き合いをさせられている面もあるかもしれない。少なくとも,シベリア開発協力を推進した時のような民間の熱意が,政府を動かしているという印象はない。

 限界はあったものの、日ソ・シベリア開発協力で政経分離が機能したのは,当時の高度成長期の日本に強い経済的ニーズがあったからこそである。経済的必要性が政治的障害を凌駕したケースだった。他方,8項目の「協力プラン」はじめ政府主導による現在の日露経済交流拡大の取り組みは,決して無駄ではないが,政治・外交上の目的達成のための政策手段とするならば,その効果はかなり限定的であると言わざるを得ない。なぜならば,現在の経済界のロシアに対する関心の度合いが,日ソ・プロジェクト形成に沸いた当時とは比較すべくもないからである。政経分離でも政経リンケージでも,それが有効に機能するためには,強い経済的ニーズの存在が大前提ということではなかろうか。

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