世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1459

A.ベノア教授によるEU統合失敗の4要因:政治・文化の軽視とエリート中心の目線

瀬藤澄彦

(パリクラブ日仏経済フォーラム 議長)

2019.08.26

統合の将来に赤信号

 英国のEU離脱は欧州統合建設の不手際が招いた結果であり,英国の決定そのものが統合そのものをすべて混乱させている原因ではない。このようにパリ政治学院アラン・ド・ベノワ教授(Alain de Benoist)は述べる(Le Traité transatlantique et autres menaces, Pierre Gullaume de Roux出版, 2015)。このフランスの有力な政治評論家の一人,アラン・ド・ベノワ教授などの意見を参考に,冷静に60年のその統合のプロセスを分析して浮かび上がってくるのは,統合推進の原理であったネオ機能主義モデルが挫折したということである。石炭や原子力の共同管理,関税同盟,単一市場,単一通貨,財政政策という段階を積み重ねていけば,その経済的効果がスピル・オーバーするように政治統合に向かってこぼれて波及していくという考え方が暗黙裡に是認されていた。そのための推進の中核機関が欧州委員会であった。

 まず第1の失敗は2回の世界大戦の教訓を踏まえて統合欧州の目的が持続ある和平を構築ことであったのに米国寄りの経済統合の考えに傾斜してきたことである。発足時期には多くの統合案が相対峙していた。そういうなかでジャン・モネを中心とするアングロサクソン的な市場合理主義に依拠する経済統合プロジェクトが,アレクサンドル・マルク,ロベール・アロン,ドニ・ド・ルジュモンらの連邦欧州統合案やオットー・ド・ハプスブルグのカロリング王朝型汎ヨーロッパ主義の構想などを退けて採択されてしまった。

 欧州連合は今日,ユンケルEU委員長が「実存的危機にある」といみじくも称したように先例のないその存在の「正当性」に関して歴史的な危機に遭遇している。A.ベノワは次の4点を指摘する。第1は政治や文化の領域を無視して経済統合が政治統合に機械的にたどり着くと考え,通商面から統合を始めた。第2は統合プロセスがエリート層を中心とする高いところから出発して,市民レベルの参画がなかった。第3は政治構造や統合ガバナンスを十分に成熟されることもなく新規加盟国を拡大してしまった。第4は統合欧州の境界線とその最終目標を明確に位置づけられなかったことである。近隣政策の位置づけが不十分である。

最優先だった機能主義的合理性の原則の破綻

 戦後,東西冷戦時代も含めて,実は多くの欧州統合案が競い合った。このなかでも経済分野を最優先するジャン・モネの統合案がいくつかの連邦主義型欧州統合案を退けて採択されていった。この連邦欧州統合を標榜する欧州共同体案はアデナウアー,ド・ガスペリ,レオンブルム,スピネリなどを中心に意図的に文化面が無視されるなかで推進されていった。これはすでにオーストリアのクーデン・ホール・カレルギー伯の「汎欧州主義」の考えとも違って統合する国家を機能主義の視点から経済空間に統合してしまうというものであった。ジャン・モネの目指していた国民経済の組み合わせというものは国家の政治的な結びつきを解体していくよりも経済コストと犠牲が少なくてすむ経済面中心の統合であった。それが将来,政治統合のテコになるはずであった。米国で銀行家ウォーバーグに仕え,当時,国際連盟の事務次長ジャン・モネは1943年8月5日のフランクリン・ルーズベルト大統領宛の書簡になかで連邦制の必要性を述べている。「国民主権に基づいて欧州統合が推進されたら欧州には平和は到来しないだろう。共通の経済面の組織となる連邦制度を形成しなければならばならない」。モネは1951年,欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の初代事務総長に就任。また欧州6カ国の130の政党,労働組合を集結させた欧州合衆国委員会を1960年から推進していった。

 モネが欧州統合の経済面の推進者とすれば,ロベール・シューマンはドイツのアデナウアーやイタリアのド・ガスペリなどとともに欧州のキリスト教カソリックの伝統と哲学に基づいて統合を構想していたのである。モネの考えはローマ法王12世の賛同も携えることによってキリスト教民主主義を機能主義的な欧州市場社会の構築に向けて転換させる契機となっていった。言わば,統合欧州というものをひとつの代替イデオロギーとしてキリスト教民主勢力が戦後の統合プロセスを牽引していったのである。それはバチカン的ヨーロッパという失われた精神的統一を再興していこうとするものでもあった。1950年5月9日のシューマンの演説や1957年3月25日のローマ条約においては,市場経済活動の重要性や,そのための欧州社会システムの再編成が中心的課題とされたのである。最初の統合組織の名称となった「共同市場」が経済的な性格を与えて,統合の制度的な自由主義的色彩やブラッセルにおける政策的志向が経済分野に傾斜していったことなどによって,政治的な性格が影を潜め,それまでの民主的な制度が葬り去れ,専門的テクノクラートが幅を利かし,その結果,経済的な論理さえでもないそれこそ機能主義一点張りの合理性の原則が最優先されるようになっていった。フランスの中道派政治家の盟主,フランソワ・ベイルーは次のように事態を嘆いた。「ひとつの癌が欧州を蝕んでいる。この欧州の癌とは何もかも全部,機能的な技術主義一点張りで,もう政治的な要素などは存在しない」と。

地域空間・市民レベルの下流からの統合の不在

 第2の失敗は欧州統合を下の方からではなく上の方,すなわちEU委員会のあるブラッセルから創設しようとしたことである。本来は連邦型欧州統合主義者が望んだように,論理的には下流のレベル,すなわち市民としての最初の出発点である隣人関係,町の界隈などから市町村,市町村や都市圏から地域圏,地域圏から国,そして国から欧州という上流のレベルの方に統合を進めていくべきだった。そして中世の歴史から形成されてきた「補完性の原理」をそれぞれの地域空間レベルで厳格に適用されなければならなかったと言える。ところがこの補完性原理はいつの間にか欧州統合機構によって効率性の原理,すなわち中央集権的なジャコバン主義の論理に変換されてしまい,全く逆の流れになってしまった。補完性の原理によれば上層部門は下層部門では十分な能力が発揮できない場合のみ介入していくことができることになっている。しかし現実にはブラッセルの欧州委員会が強大な権力を背景にEU指令という名のもとにすべてを制度化しようとしており,下部機構はいつまでたっても権限を委譲された組織にならない可能性が指摘されている。このようなブラッセル中心の考えは,仮にそれが欧州連邦主義を掲げていてもその実態は権威主義なジャコバン型のモデルであるといわねばならない。

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